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それでも、学生時代の1992年と93年の1月に「樹氷とご来光を撮ろう!」と、社会人の写真クラブメンバーに誘われ、撮影機材を担いで霧島の韓国岳に登りました。絶景でしたが、強風でとても寒く、フィルムが破断したり、カメラが凍って動かなかったことを覚えています。
1997年に広島で就職し、2010年に東京に転勤となり横浜市内に居を構えました。休日のアクティビティとして魚釣りをしたく港へ行けばどこも入れず、入れたとしても先客が沢山。振り返れば丹沢の峰々がそびえてました。
ヤマケイの分県登山ガイド・神奈川県を書店で購入、横浜駅近の好日山荘でハイキング用のウェアを揃えて初めて向かったのは曽我丘陵。崎陽軒のお弁当と飲料、カメラをザックに入れてのハイクでした。
それから一月経って東日本大震災。都内から横浜市内まで徒歩帰宅。筋肉痛にはならず、意外と歩けるんじゃね?と感じました。
震災後の混乱が収まり、分県登山ガイド以外の情報を得ようと登山をされている方のブログを検索すると、”ヤマレコ”なるサイトの記録がいくつかヒット!これがヤマレコとので出会いでした。最初は登山趣味人向けのブログサービスかと思ってました。
公開されていた記録を参考にして、二万五千図片手に相州大山や鍋割山を歩き始めました。山の良さを知った途端、広島へ転勤に。スタンダードプランに登録したのは2013年になってから。この頃からメイン写真もデジカメに移行し、SIMフリーのスマホでログを取るようになりました。
広島でも近場の山を歩きましたが、関東と比較すると登山者は少なくて静かな山歩きを楽しめました。ヤマレコの”みんなの足跡”のお陰で二万五千図に記載されたままの廃道を歩くプランを立てずにすみ、小屋泊やテント泊の経験を重ね、2019年にはヤマレコメンバーの「中国地方盛り上げるけん」に参加。
再び2021年に東京に転勤してからは、冬山ハイクも始めました。
こんな挑戦ができたのはヤマレコのおかげです。
自分が会員になった2013年から比べると、会員数は30倍近くに増えてました。会員数が増えても商業感を出すことなく、手作り感あふれるコミュニティサイトとして続いていることに感謝します。
的場社長のスキルを運営メンバーに相伝し、この良い雰囲気のまま進化が続くことを祈念いたします。
🏔️ ヤマレコ20周年記念 #ヤマレコと◯◯ 日記キャンペーン
👉 https://www.yamareco.com/modules/campaign/detail.php?id=14
画像は2011年2月の曽我丘陵ハイク時のお弁当
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