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ウィキペディアで「室蘭岳」を検索すると、「鷲別岳」のページに転送されます。
そこには「江戸幕府が正式に決めた鷲別岳の呼び方が正しい名称であるが、室蘭岳(むろらんだけ)の別名でも知られている。」と書かれています。
そこで「江戸幕府が正式に決めた鷲別岳」の証拠を探そうと試みましたが見つけることはできませんでした。
ただ、道民には有名な松浦武四郎さんが江戸幕府の命を受けて1859年(安政6年)に北海道地図(東西蝦夷山川地理取調図)を完成させており、その地図には「モロラン岳」と記されています。明治の初期までは室蘭と書いてもモロランと呼ばれていたことが判っていますので、モロラン岳とは室蘭岳のことを指します。
ちなみに松浦武四郎さんの別の著書である東蝦夷日誌にも室蘭岳のところに「モロラン岳」と記されています。
一方の「鷲別岳」ですが、1898年(明治31年)に大日本帝国 陸軍陸地測量部が室蘭岳山頂に設置した三角点に登場しています。仮に1898年に鷲別岳と呼ぶ方がいらっしゃったとしても、今判っている情報だけですと、江戸幕府が正式が決めたのは室蘭岳ではないかと思われます。
学生時代から歴史は苦手ですが、文明の利器ネット検索を駆使して調べみました。
・北海道大学北方資料データベース
https://www2.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/
”胆振国幌別郡”と検索すると【胆振国幌別郡全図】の地図が出てきます。地図背後の山々を見ると西から「鷲別山」、「幌別山」、「来馬山」が連なっている様子が分かります。wikipediaで”幌別郡”を調べると、その沿革から、胆振国がおかれたのは明治2年となっているため、明治初期に「鷲別山」があったと推察されます。命名したのが江戸幕府かは不明ですが。
・産業技術総合研究所 地質図Navi
https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php#14,42.42261,141.01623
ここで昭和28年に発刊された5万分の1地質図幅「登別温泉」をみることができます。この地質図を見ると現在の「カムイヌプリEL746m」を「鷲別岳」、現在の「鷲別岳(室蘭岳)EL911m」を「室蘭岳」となっています。地質的には、両者を「室蘭岳火山」と言っています。一般に地質図は当時の地形図に地質分布を書き入れるものなので、この山の名前は、当時の地形図がそうなっていた可能性が高いと考えます。
とりとめのない、かえって混乱を招く情報となったと思いますが、参考になれば幸いです。しかし、古い資料もネットで探し出せる便利な世の中なんですね。
ysk50さん、貴重な情報をありがとうございました。勉強になりました。
まず、胆振国幌別郡全図(明治2年以降)のほう、江戸時代の松浦地図には登場しない「鷲別山」、「幌別山」、「来馬山」が登場しています。これは鷲別山は鷲別川、幌別山は(胆振)幌別川、来馬山は来馬川の上流ですので、川の名前を元に便宜的に山を命名したように見受けられます。山名は後付けのように思われます。従いまして、鷲別山(鷲別岳)の始まりは室蘭岳よりも後だと思われ、「江戸幕府が正式に決めた鷲別岳」は間違いだと思われます。
昭和28年に発刊された5万分の1地質図幅のほう、「鷲別岳(室蘭岳)EL911m」が「室蘭岳」となっているのは理解できます。「カムイヌプリEL746m」が「鷲別岳」となっているのは理解できませんでした。室蘭岳(モロラン岳)とカムイヌプリは山を見て山の名前を付けたものですが、鷲別岳(鷲別山)は川を見て山の名前を付けたものと考えられます。従いまして、山の正式名称を考える際、元々から山の名前があるときには、川の名前由来の山名にとらわれないほうが良いのかもしれません。
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