この線路、かつては遠山川沿いに秋葉街道の梨元まで繋がっていたそうです。
歴史を調べると、最初は梨元から大沢渡に線路が敷かれたようです。しらびそ峠から大沢岳に至る破線の登山道があります。なぜ、こんな所にルートがあるのか不思議だったのですが、森林鉄道が運行していた時は、終点の大沢渡が登山口だったのですね。
先日、赤石岳の縦走で、笠松山の尾根を下る事にしました。路線バスに乗り継ぐ時に、この森林鉄道跡を歩くと近いと考えました。昭文社地図には危険と書かれていたのですが、歩いた記録も見つかり、何より興味深かったので、まぁ何とかなるかと考え、行って見ました。
土砂崩れ、路盤流失など思ったよりは厳しかったのですが、何とか歩けました。トンネルはノミで手彫り、以前はトラスが木製の橋とか、手積みの石垣とか、興味深い土木施設がたくさん残っています。ワイヤーだけ残った吊橋の対岸には建物があって、今でも生活しているのでしょうか。交換駅の河原には、住居にしては大きすぎる建物が残っていて、林業従事者の宿泊施設になっていたのでしょうか。
年表を見ると全線が稼動していたのは昭和31年から昭和44年まで。ちょうど昭和の高度経済成長期です。大量の木材が伐採され、日本の経済成長に大きく貢献したのでしょう。反面、急激な伐採で河川の氾濫が生じたという記録もあります。
南アルプスの東海パルプ(現東海特殊製紙)社有林もそうですが、この時期は恐らく大方の樹林を伐採したのでしょう。今あるのはその後の二次林です。もし、タイムカプセルがあるなら伐採前の自然林を歩いてみたいですねぇ。
(注:公式には通行止めで実際危険ですので、お奨めできません。)
kiha58さん今晩は&初めまして。
大変興味深い日記楽しく拝見いたしました。
リンク先に行って見て来ましたが、生活にも密着した森林鉄道は長野に多いのですね。
代表的なのは木曽御嶽山界隈(赤沢森林鉄道など)になりますが、昭和初期には長野県内各地に大小の森林鉄鉄道が点在しその総延長距離はかなりの長さになっていた様です。
南アルプスのスーパー林道の夜叉神トンネル付近には、今でも手掘りのトンネルが確認出来、上高地行く旧釜トンネルは森林鉄道のトンネルを拡張して自動車用トンネルに転用した為、勾配が車道規格よりキツイ坂になっているなど。
その他は時間も立ち草木に覆われいて簡単に歩けなくなっていたりします。
遠山森林鉄道は何時か歩いて見たいです。
kintakunte さん、ありがとうございます。
へぇ〜、釜トンネルも森林鉄道跡だったのですか!
知りませんでした。
線路といえば河東線も随分短くなってしまいましたね。
残った湯田中〜長野は、いつまでも列車が走って欲しいです。
遠山森林鉄道跡は、トンネルや橋はしっかり残っていました。
大沢渡まで列車で移動して、赤石岳を目指した人もいたと思います。
最盛期の列車を見てみたいですね。
反面、この鉄道のお陰で森林の伐採が加速されたかと思うと複雑な気持ちです。
もし探索される場合は、無雪期であってもピッケルとロープ持参をお奨めします(笑
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