人間は、自然の前では本当に小さな存在だと思います。
(命の尊さは別の問題です)
山は美しいですが、あの姿に至るまで何億年という気が遠くなる歳月をかけて、実を削って生成された姿です。
私たちは一般的に、夏のぽかぽかした天候の良い季節の穏やかな美しい姿を思い浮かべるのですが、そこに至るまでは厳冬期の、人が立つ事すら許されない季節風、頑丈な標識のを僅か数年で削り取ってしまう氷の鑢、1年前の地形をすっかり変えてしまう春の雪崩。。。
一瞬の美しさの背景には厳しい気象に耐えた、悠久なる試練の期間があります。
人間がどれだけ頑丈な砂防ダムを造ったとしても僅か数百年もすれば跡形も無くなっているでしょう。
自然の摂理からすれば100年なんて一瞬の出来事です。
私達人間は、自然の前にはあまりにも小さな存在です。
自然の前に、「歩かせてください」という謙虚な気持ちで訪ねた時、「よく来たね」と迎えて、自然の神秘をそっと明かしてくれるのだと思います。
(motchさんの日記を読んで考えさせられました)
こんばんは。
自然史の長さに比べれば、
人間の歴史などごく短いものですね・・・。
故、ぼくたちにとって、
自然とは計り知れないことだらけです。
登山という行為は、その中に入っていくわけですから、
何が起こってもおかしくない気持ちで、
謙虚に向き合っていきたいものです。
自然がもたらす美しさも、厳しさも、
全ては神秘であって、天啓ですね。
素敵な日記を見せてくださり、
どうもありがとうございます。
motchさん、ありがとうございます。
実は私も危機的状況に遭遇した事があります。
山は私を厳しく戒めつつも暖かく見守ってくれる事を感じました。
普段泣かない私が涙が出る体験でした。
また、山に行きたいと思う原点でしょうか。
最近、性格が変わってきたように感じます。
(単にじじいになっただけかもしれませんが。。。
山歩きにハマって1年と10ヶ月の初心者です。2014年3月、ヤマレコに登録しました。皆さんのレコをいつも楽しみにし、自身の山行に生かせるようにしております。…が、最近になって沢山の人の多種多様な山への対し方?について(うまく言えませんが)疑問を持ったり…少し悩みながらの山行が続いております…。
我家のルール(1人での山歩き後は夕飯を1回作る…)にのっとり、今夜の献立を考えている途中、この日記が目に止まり(山行への疑問に対して)一つの答えを見つけた感じがしました…。
私の考えは(たぶん)間違っていないと思う…
行きたい山、行った山から「よく来たね」と言って迎えてもらえる様、しっかりと歩こう…そう思います。
(kiha58さん、motchさんの日記で助けられました)
jin-solo さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
献立の検討のお役に立てたそうで、光栄です。
山歩くといろんな方がいらっしゃいます。
10人いれば10通りの動機があるかもしれません。
いいじゃないですか、自分流で。
私が出会いたい山でいいと思います。
しかし、山の表情は無限なので、きりがありませんネ〜。。。
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