ヤマレコでGPSナビ登山の議論を見ていて、ふと「登山には地図を持っていく」という常識はいつ頃からなのだろう?と思い、五万分の一地図の歴史を調べた事があります。その過程で国土地理院のHP(基準点成果等閲覧サービス)から、全国の三角点の記(最新版、かな?)が見れることを知りました。
一等〜三等三角点のほとんどは明治〜大正初期に整備が完了しています。一等点などの重要点や土地利用変遷の激しい平野部の三角点は、その後の改測や移転などで点の記が更新されてしまい、設置当初の点の記は見れませんが、山岳地域では、まだまだ明治の点の記が見れます。二等点で三割、三等点で六割位でしょうか。
明治の点の記には、ほんの数行ではありますが、点に至る順路が記載され、おぼろげではありますが、どこを登って行ったのか推定できます。名も知られていなかった多くの山々にとって、公式に確認できる最も早い時期の登山ルートでしょう。それ以外にもホウと思うような記述がある場合もあります。興味を覚えポツリポツリと読み進め、全国の一〜三等三角点(約三万八千)の6.8%ほどを読み終えました(一等点105、二等点527、三等点1965、計2595点)。明治の記録は約半数です(一等点ナシ、二等点164、三等点1191、計1355点)。添付は点の記を読んだ三角点のマップ。赤が読んだところです。
百年以上前に国家事業として組織され、多くの測量官が全国を歩き・見て・聞いた記録の集大成。読み進めるにつれ、今となってはある種の文化遺産的価値があると思うに至りました。読んでみて気づいた事や思ったことなど、日記の場に書き綴ってみようと思います。きっと興味を持たれる方もいるでしょう。
なお、元にしたのは国土地理院の「基準点成果閲覧サービス」(http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/)から見れる、明治の手書きの書面をスキャンしPDF化したファイルです。旧漢字&旧仮名使いは当然。今では見かけない省略表記や、なにより測量官固有の癖字、崩し書きなどで、判読するのに困難を感じるケースは多々あります。必ずしも正確とは限らない事はご了承ください。あくまで私の読解結果です。
追記
今年の2月26日の基準点成果等閲覧サービスリニューアル以降、PDFのビューワーがAdobe Flashになり、拡大表示ができなくなりました。これにより、上記判読が一層困難になり、実質読めなくなりました。本来、もっと多くの点の記を読み進めるつもりでしたが、実質不可能になりましたので、不本意ながら読み終えた範囲で記載します。
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