三角点には点名という名前が付けられています。例えば奥秩父竜喰山の二等三角点の点名は「大常木」です。原則は設置場所の地名を付けているようです。一等三角点の間隔は広いので、命名にそれほど困らなかったようですが、三等三角点の間隔は狭いので、ピンポイントの地名を調べる必要があります。そういう経験が未熟だったのか、そもそも地名が不明朗だったのか、初期(明治20年以前)に設置された三等三角点には「XX村(通し番号)」などという点名もあります。中には単に番号のみと云う三角点もあります。(点名は前記「基準点成果閲覧サービス」で表示されるものを用いています。)
下記は、そんな明治19年に丹沢山塊に設置された三等三角点の点名です。さて、どこにある三角点か解りますか?
(1)イノコイシ峠
これは知らなければチト解らないでしょうね。猪子石峠???どこにあるんだ?。正解は犬越路西方150m程の所にある三角点です。
おそらくは音が通じなかったのでしょうね。「ここは何と云うんだ?」「イヌコエジです」「イノコイシだな」的会話があったと想像されます。犬越路は武田信玄伝説に由来するので、江戸期から名前は安定していたと思います。それほど方言のキツイ地域とも思われないので、何でこうなったか?不思議。それともウリ坊そっくりの石でも有ったのでしょうか?
(2)ジョウ顔峠
これは解った人も多いかな?正解は畦ヶ丸と菰釣山の間、城ヶ尾峠西方150m程の所にある三角点です。これは音は通じたけれど、表記する所でアレレ??になったのでしょうね。それにしてもジョウ顔ってどんな顔?。あしたのジョー?、エースのジョー?。
点名表記と現在の山名表記が異なる例は結構見かけます。例えば、谷川連峰の仙ノ倉山の二等三角点(明治37年設置)の点名は「千倉山」です(これじゃチクラ山だ)。そんな中で「ジョウ顔峠」は秀逸(?)なので取り上げてみました。設置されたのは(1),(2)とも荒川重豊測量官です。
なお、明治31年発行五万分の一地図「松田総領」では、”ジョウ顔峠”は”城ヶ尾峠”と今と同じ表記、”イノコイシ峠”には地名表記がありません(確認したい方は「今昔マップ(http://ktgis.net/kjmapw/index.html)」をどうぞ)。中川地区と道志川流域を結ぶ道は、城ヶ尾峠経由が点線と実線の二重線、犬越路経由は単なる点線表記なので、城ヶ尾峠経由の道が良く使われていたようです。
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