人のいない山中の水場なら伝染病感染リスクは低かったでしょうけれど、だからって安心って訳じゃない。
一等点「葉山」山形県村上市、明治27年(1894)
・飲料水ヲ挹ムノ地、其路程:山上処々ニアル、所謂ル葉山ノ四十八池ト稱スル小池ノ溜水ハ、飲料ニ供スヘカラス。此水中ニハ一種浮遊ノ毒虫アリテ、其形像眼ヲ以テ見ル可ラス。回照測夫ハ之カ為ニ一種ノ下痢病ヲ発シテ大ニ苦痛セリト云フ。小虫ハ顕微鏡ヲ以テ験セシニ、形状海老ノ種類ニ属セリ。
これは、案内者は知らなかったのでしょうか?。山中で腹痛に襲われたのでは困ったでしょうね(標高1462m)。病院にも行けない。どうしたのか良く解りませんが、ウッカリ飲むとこういう事も起こる。そうは言っても、やっぱり山中で水を得るのは切実だったようで、
二等点「農鳥山」山梨県南巨摩郡、明治35年(1902)
・飲料水ヲ挹ムノ地、其路程:頗ル不便。西ニ下リテ大井川ノ水源ヲ挹ム。半日ヲ要ス。残雪ヲ用ユルヲ便トス。
二等点「青松葉山」岩手県下閉伊郡岩和泉町、明治41年(1908)
・飲料水ヲ挹ムノ地、其路程:観測ノ際ハ雪ヲ以テ弁セリ。適當ノ場所ヲ見出サス。篠竹ノ為メ孰レノ方向モ困難ナリ。
これは今の登山者も同じ。雪があれば融かして利用。
一等点「鉢盛山」長野県木曽郡、明治29年(1896)
・飲料水ヲ挹ムノ地、其路程:造標ノ際ハ終始池水ヲ使用タルモ濁水ナリ。故ニ???シテ飲用ニ供セリ。
二等点「柴倉岳」秋田県北秋田市、明治41年(1908)
・飲料水ヲ挹ムノ地、其路程:何レノ谷ニ至ルモ半里以上降ラザレバ湧水ナシ。観測ノトキハ止ヲ得ズ測站附近ノ溜水ヲ沸。
近くに流水がなかったので、近くの池や溜まり水を利用。数百mから1km降って水を汲みに行くなんてのはザラで、2kmを超える場合は、近くに水があればそれをなんとか利用した感じです。鉢盛山の???の部分は判読出来ないのですが、濾すか沸かすかしたのでしょうね。でも、それでもあるだけマシ。
二等点「高薙山」栃木県日光市、明治37年(1904)
・飲料水ヲ挹ムノ地、其路程:西沢金山(目下休鑛)ニ至ル道ノ傍ニ湧水アリ。里程一里余。頗ル困難ニテ一日一回酌ムモ容易ナラズ。
なけりゃある所まで行くしかない。水を汲むだけで一日仕事。
どうやら山中での水事情は、今も昔も余り変わらない。今はポンプアップしたり天水を貯めてある山小屋があるだけマシって感じでしょうか(それでも、有るのと無いのでは大違いですが)。では、街なら水には不自由しないかと言えば、まぁ、普通は不自由をしないのですけれど、なかには、
一等点「上沼部」東京都大田区、大正14年(1925)
・飲料水ヲ挹ムノ地、其路程:点ノ西北約二町、田園都市株式会社所有池ノ傍ノ噴水ヲ汲ムベシ。
水場は噴水ですか…。う〜〜〜む。今では大田区田園調布と言うハイソな街ですよ。噴水の水なんて飲んでたら間違いなく白い目で見られるでしょう。当時でも多摩川沿いには民家があったと思うのですけれど。(この噴水というのは今普通に言う人工の噴水じゃなく、自然に水の噴いている所なのかなぁ???。あの辺にそんな所があったとは聞かないが。湧き水ならあったかもしれないけれど。)
ちなみに、私の住む昭島市でも多摩川河川敷にお住まいの方がいます。河原の公園近くの水呑場やトイレの水道を利用されているようで、その周囲にお住まいがあるケースが多いです。なので、噴水を使ったりする必要はないし、コレラや赤痢の心配をする必要もないです。今、もし水道水にコロナウィルスが紛れ込んでいたら…なんて事があれば家庭での感染対策が根本的に覆りますよね。でも、そんな心配をする人はいないだろうし、する必要もない。百年間の社会資本投資はすごいと実感します。頑張れ水道局。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する