二等三角点「雪倉」(新潟県糸魚川市、明治37年)
・點ニ到ル順路、其険夷、町村ヨリノ路程:小滝村大字山ノ坊ヨリ字欅平迠約三里。此ノ間山ノ坊用水ノ堤防ヲ行ク二里ハ平易、一里ハ少シ嶮悪。・・・(略)・・・欅平ニハ山ノ坊ヨリ出働ヲナシ居ル老人アリ。積雪ノ際ヲ除ク外、山畑ヲ耕シ棲息ナシ居レリ。
この三角点は北アルプス白馬岳の北、朝日岳山頂にあります。この点の記に登場する老人が結構気になります。乳幼児の死亡率が高いのを排除するため、20歳の平均余命(男性)を見ると、明治37年頃は40年程、今は61年程ですから、当時の老人と言うのは60歳位じゃないでしょうか。ちょうど今の私の歳位。それ位が今の感覚で言えば80歳以上で老人という感じになりそう。ちなみに明治のこの頃の男性の平均寿命は44歳位だったそう。
冬期は降りてきたようですが、夏期は三里程山に入った所で畑を耕し自給自足。ほとんど仙人ですな。今、こんな生活をする人はまぁいないでしょうね。私にはとっても出来そうもありませんが、ちょっぴり憧れちゃいます。どんな人生だったんだろう?。
小滝村大字山ノ坊は大糸線平岩駅西北にあり。で、この欅平というのがどこだか解りません。有名な黒部川沿いの欅平でない事は確か。用水の堤防を行くって今でも用水路があるんでしょうか?。山ノ坊から三里で欅平、欅平から三角点迄約四里と記載あり。山之坊から尾根沿い約8kmで聖山。聖山から尾根沿い約9kmで朝日岳なので、聖山のやや南西の谷合のように思われます。どんな所で生活していたのか?。機会があれば探しに行ってみたいと思うのですが……。果たして私にこの順路が辿れるかどうか。下手すりゃ遭難しかねない。
なんてのを想像しながら読み解くのも結構楽しかったりします。で、いけね、こんな事してたら何時までたっても終わらないと、後ろ髪を引かれる思いで次へと進める。そんな繰り返しです。でも、気になる記載を見つけてハマると、地理院地図をひっくり返して、あーでもないこーでもないってのが楽しいんだな。
a_tomさん、こんばんは。
この老人は民俗学でいう「出作り」をしていたんじゃないでしょうか。
世間と折り合いの悪いヘンクツ爺さんとかではなく、これが普通の暮らしだったと思います。
山村の厳しい生業が垣間見える記録ですね。
irazuyamaさん、こんにちは。
まぁ、来る日も来る日も、こんな文書ばっかり読んでいる私も偏屈者の類でしょう(笑)。
出作りの事は知らなかったので、ググって見ました。山村の乏しい耕地を補う為、夏季限定で、冬はとても暮らせない山奥の耕地を耕して暮らすのですね。なるほど、この点の記の記述に良く合います。見方を変えれば、期間限定の口減らしって感じでしょうか。教えて下さってありがとうございます。
点の記を読んでいると、偶に、名通行人というか、測量には関係のない人が表れて、極簡単な記述でさっと通り過ぎたりします。その人物の背景をあれこれ色々と思い考えたりするのも楽しいです。欅平、是非共一度訪れたくなりました。が、下手をすると永久出作りの刑になって帰ってこれないな。う〜〜む。
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