ニッポン昔話では、旅人が行き暮れても一軒の家があれば、頼み込めば案外簡単に泊めて貰える。まぁ山姥の家だったりすることもあったそうですが、それも含めて現代ではまずあり得ない話。今じゃ、いきなり訪れた見知らぬ他人を泊めてくれる民家なんてそうそうあるモンじゃない。まぁ、泊めてくれないのが普通でしょう。いつ頃からこうなったのでしょう?。
二等三角点「安都玉村」(山梨県北巨摩郡)
角測量間捿宿ノ方法:本村内農家ニ依ル。明治18年(1885)
作業間捿宿ノ方法:附近民家宿泊通勤スルヲ可トス。明治35年(1902)
二等三角点「黒髪山」(岡山県新見市)、明治26年(1893)
作業間捿宿ノ方法:測站附近青竜寺院ニ宿スルヲ得。
二等三角点「大塚山」(鹿児島県鹿屋市)、明治28年(1895)
作業間捿宿ノ方法:東串良村大字豊栄ニ旅人宿アリト雖モ、点ノ下字大塚原ノ農家ニ泊スルヲ可トス。
二等三角点「木沢」(新潟県北魚沼郡)、明治38年(1905)
作業間捿宿ノ方法:木沢村XXXX方ヘ依頼スレバ宿泊スルヲ得。仝人ハ親切ニシテ点ヲ隔ル約十町許。
二等三角点「那伊山」(北海道浦河郡)、大正2年(1913)
旅舎:荻伏村大字野深村雜貨商XXXX宅ニ依頼宿泊シ得。甚タ親切ナル人物ナリ。
XXXXの部分は個人名なので伏せます。もうこれ位にしますが、他にも各地で民家やお寺に泊めてもらったという記載が一杯あります。宿があっても三角点近くに便利な民家があれば泊めてもらっちゃう。色々と世話をしてくれる親切な人もあちこちに居たみたい。ニッポン昔話の世界が日本中あちこちにあった様子。残念ながら山姥の家は登場しませんが、不潔って記載は結構あります。泊めてもらっておいてそんなぁ…。なんとなくの印象ですが、当時の測量官も頼めば泊めてもらえるのを当たり前のように思っていた節が感じられます。今ならそれが当たり前と思う人はヘンな人にされるでしょうね。
当時、主な交通手段は牛馬や足、あるいは川舟なので、一日の移動距離は限られ、そのため、ちょっとした往来のあるような所なら、かなりの田舎でも旅舎と称する宿泊施設(恐らくは民宿レベルでしょうけれど)があった様子。北海道なら駅逓も登場。測量隊も使っている例は多々あります。中には今でもここに泊まれるなら、あのルートのアプローチが随分楽に……という所も(まぁ、そういう所はとっくに廃村とかダム湖の底とかになっている場合も多いですが)。
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