では明治の日本では、全国津々浦々ニッポン昔話の世界だったのでしょうか?。
二等三角点「品川」(東京都品川区)、明治34年(1901)
作業間捿宿ノ方法:天幕又ハ高輪町ノ旅舎ヨリ通勤。
今、品川に天泊するのは相当高難度。ホームレス扱いされ、お巡りさんに連れて行かれちゃうか、野生のワカモノが現れてオヤジ狩りされちゃうか。でも当時は出来たみたいです。このロケーションだと、旅舎か民家と書かれているケースが多いのですが、品川では民家は登場せず、天幕になっちゃいます。民家には断られたんですかね?。周囲はシロガネーゼばかりで敷居が高かったのか?。
二等三角点「田端」(東京都北区)、明治33年(1900)
作業間捿宿ノ方法:幕営最モ妙。
「最も妙」ってどう言う意味なんでしょうね?。場所的には山手線駒込駅の北で、ここも今では天泊高難度地域。当時の地図でも周囲に民家は一杯あります。どちらかと言えば、下町の雰囲気の地域の筈で、そうそう敷居の高い家ばかりとも思いがたい。旅館があったかは解りませんが、幕営しなきゃいけないような所とは思えない。それが幕営。その辺りが妙なんでしょうか?。
二等三角点「川端」(東京都葛飾区)、明治33年(1900)
作業間捿宿ノ方法:附近ニ民家アレドモ宿舎ヲ快諾セズ。
あーあ。断られちゃった。渋々泊めてくれたのかな?。
二等三角点「赤羽」(東京都北区)、大正13年(1924)
作業間捿宿ノ方法:天幕。
これも民家がなかったハズが無い。大正13年なら立派に町です。なのに天幕。所在地は陸軍赤羽被服本敞内。身内の敷地じゃないですか(陸地測量部は陸軍配下)。軒先位貸してやれよっ!て感じですが、泊めてもらえず天幕。陸軍敷地だったから気にせず自由に幕営しろって言われたのか?。
と、東京じゃ民家にはおいそれとは泊めてくれないみたい。民家のある地域でまとまって民家泊がないのは東京だけ。特に断られたなんて話は東京だけ。なんとなく、東京から段々今になって行ったような気もするし、江戸の頃からお膝元は取締りが厳しく、見知らぬ他人を泊めたり出来なかったような気もするし(もっとも、上記は大木戸の外もあり、厳密には江戸ではない所もありますが)。どっちだろう?。東京者は冷たいって言いますが、点の記を読むとそうかもなぁって気もします。
地域差はあるのでしょうけれど、明治の日本はかなりニッポン昔話の世界で、見知らぬ他人の民家でも、頼めばお泊まり可能だったようです。古き良きニッポンだったようですね。昨今では、見知らぬ他人を泊めてお金を受け取れば、法律違反で検挙されかねない所まで来ました。そもそも見知らぬ家に泊めてくれなんて来る奴がアヤしい。そう考えないと危ない世の中になり、いつの間にか何かを失っている事は忘れないようにしたいものです。
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