一応、点の記の順路記載を読む時は、地理院地図と見比べながら読みます(綺麗な字で読みやすい時はサボる事もありますが)。なんせ手書きなので、結構難読な事も多い。地名などの固有名詞は前後から推定出来ませんから、地図で確認したりしないといけません。読み取った内容を地図で追い、細部はともかく、大筋でルートが追えれば、まぁ正しく読んでいるのだろうと判断する訳です。
二等三角点「冬師」(秋田県にかほ市)、明治39年(1906)
點ニ到ル順路、其険夷、町村ヨリノ路程:矢島町ヨリ仁賀保ニ通スル山道ヲ行ク三里余ニシテ冬師部落ニ至リ、夫ヨリ北方原野ヲ行ク一里ニシテ本点ニ達ス。
これを読めば、冬師部落から北方原野を行ったのだから、三角点の南一里に冬師部落があると思うじゃないですかぁ。が、地理院地図でそんな集落を探しても見つからない。廃村になっちゃったのかと思って、もう少し広く探すと、三角点の略真北に冬師あり。場所も、仁賀保を今の仁賀保駅辺りと考えれば、矢島町との県道伝いの中間で合う。あれれ?。「それより北方原野を行く」って……。「北」としか読めないんだが。
二等三角点「観音森」(秋田県にかほ市)、明治39年(1906)
點ニ到ル順路、其険夷、町村ヨリノ路程:上濱村大字小砂川ヨリ北方観音森ニ通ズル山道ヲ行ク約二里半。西方峻阪ヲ登ル三丁ニシテ本点ニ達ス。
小砂川は日本海に面しています。羽越本線の駅あり。で、そこから略真東に観音森集落あり。なのに「北方」???。そして観音森集落の東南に三角点があります。西ですか?。でも、観音森集落の西は日本海まで降り。登る「峻坂」なんて見当たらない。「北方」「西方」のどちらか片方だけなら、ウッカリ書き間違えたとも思えますが、セットで登場するとなると……。
二等三角点「生ヶ岳」(秋田県飽海郡遊佐町)、明治39年(1906)
點ニ到ル順路、其険夷、町村ヨリノ路程:吹浦村ヨリ鳥海山参詣道ヲ登ルコト四里、俗称鳥ノ海ニ達セザル半里ニシテ川原食ヨリ西方ニ行ク約半里ニシテ本点ニ達ス。
鳥海山の吹浦口登山道を鳥海湖の手前で長坂道に入ったのだと思いますが、ならば南方の方が妥当のように思えます。最も出だしは西方でも間違いではないのかも知れませんが。
上記三点を書いたのは総て上原義勝陸地測量手。この年の17点の点の記のうち、上記三点は方位が疑問。他は地図で追って妥当な方位を書いていますけれどね。ウッカリ書き間違えたのかも知れませんけれど、ウッカリ続けて二回はどうでしょう?。なんだか時々方向感覚が……。アヤしい……。でもなぁ、測量のプロなんだよなぁ……。
今じゃ登山には地図と磁石を持っていくのが常識とされますが、地図を作る為に登っているのだから、地図は持っていなくて当たり前。では磁石はどうだったのでしょうね。見れば間違える筈がないように思えます。持ってなかった?。でも、それでは測量にならない筈。地図が無いなら方位がわかっても役立つのは限定的な気もしますが……。う〜〜〜ん。
お前がおっちょこちょいで読み間違えてんだよっ!って赤っ恥をかくかも知れないのでこの辺で…。が、山行記録を書く際は方位には注意しましょうね。左右で書くのは勘違いの元です。おっとっと、こんな事書くとお前のXXの記録だって…って言われるかも…。一応公開前に見直してはいるけれど、間違いはきっと…。危ない危ない。
上原測量手は、百年以上後にしっかり読まれてこんな事書かれるなんて、夢にも思わなかったでしょう。どんな事を思いながら書いたのかは想像もつきませんが、時を超えてご縁があったような不思議な気がします。上原測量手には迷惑なご縁かもしれませんが、百年以上後の世に、ウンウン唸りながら一生懸命に読む読者がいますとはお伝えしたい。
a tomさんこんにちは。
「点の記」シリーズ、興味深く拝見しています。
私は、原典に当たる能力がないので確かめられないのですが、原文は漢文訓読調で書かれた手書きの文章らしいので、上原測量手の名誉のためにあれこれ推測してみました。
「北」、「西」をそれぞれ、「北」→「此」(これ)、「西」→「而」(しかして、そして)と置き換えて、「方」を(まさに、ちょうど)と読ませると、ちょっと苦しいですが何とか意味が通るかと考えました。
ただ、二等三角点「生ヶ岳」の「西方ニ行ク」のところは、ちょっと苦しい気もしますね。ここだけ「方(まさ)二」だと好都合なのですが。
一度、探求いただけると嬉しいです。
fengsanさん、こんにちは。
う〜〜〜ん。それはかなり苦しいなぁ。
そう読むなら、上原測量手の他の点の記もそのように読み替えないとならなくなります。となると、そっちにしわ寄せが行くでしょう。確かに紛らわしい字があり、その部分には推測も入りますが、上原測量手の字は読みやすい方です。中には泣きたくなるような字の方もいます。また、点の記の記載には一定の書式というか、似たような調子で書かれているので、あまり変わった記述に出くわす事は稀です。考えにくいなぁ。まぁ、私の読解が絶対に正しいなんて保証も全くありませんが。
上原測量手に限らず、順路記載では???って記載に出くわす事は珍しくありません。その辺の私の解釈は5/29の日記をどうぞ。
尚、点の記を書いたのが上原測量手かは解りません。記述内容についての最終的な責任は上原測量手にある筈ですが、部下がいたはずで、その人に書かせた可能性もあると思います。同一測量手の同一年設置の一連の点の記を読んで、果たして全部同じ人が書いたのだろうか?と思った事もあります。文章の調子とか文字使いとか字形とか、微妙に違う印象を持ったからです。別の人と言い切れる証拠もないですけれど。この年の上原測量手の点の記は、そんな感じはしません。同じ人が書いたと考えて良いと思います。
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