「ゆえに兵に常勢なく、常形なし。よく敵と与(とも)に化す者、これを神(しん)と謂(い)う。ゆえに五行(ごぎょう)に常勝なく、四時(しじ)に常位なく、日に短長あり、月に死生あり。」
[テキストは銀雀山漢簡孫子に基づく]
『孫子』虚実篇第六より。
孫子の兵法で重要なキーワードとして、「陰陽(いんよう、インヤン)」がある。
「陰陽」とは、一切が時間とともに変化していくことを認識して、それを利用する術のことである。自然は、時間とともに変化する。大の変化には、四季の移り変わりがある。春秋には春秋の、酷暑には酷暑の、厳冬には厳冬の戦い方で臨まなくてはならない。穏やかな春秋の気分で行動して、雪と氷を侮り、体温を越える酷暑を見くびるならば、その者は死ななければ幸運である。小の変化には、一日内の変化がある。朝に雲一つなくても、午後の夏山には雷雨がありえる。今は穏やかな冬空であっても、数時間後には猛吹雪が襲いかねない。昼の山道にいくら慣れていても、ひとたび日が暮れてしまえば、たとえライトがあっても身の周り以外は深い深い闇の穴だ。
自然は、人間の意向など構うことなく変化していく。なので、人間は自然は陰陽が転変するものであることをよく認識して、侮らず、知見を増やして、状況ごとに適切に対処することを心がけなければならず、そしてその心がけがあれば大事は避けられるであろう。ある意味、自然は人間にとって対処可能であるゆえに優しいのである。
孫子の兵法の真の地獄は、人間が人間と相対したときに起こる相互作用・相互変化にある。こと人間においては、私の行動は、敵対する相手が私に対する予測に影響を与える。結果、相手の行動そのものを変えてしまうことになる。自分の行動が系全体の陰陽を変化させてしまうので、私は自分の行動が相手の予測をどのように変化させるのかを読み、その読みを外すように相手を騙(だま)さなければいけない。しかしそれは相手も同時に私を読んで私を騙そうとしているのであって、読み合い騙し合いが無限に続いて終わらない。ゆえに、地獄なのである。それは、観測者の観測するという行為が観測される素粒子の動きに影響を与えて正しく観測できなくさせる、というハイゼンベルクの不確定性原理に通じる闇である。たとえばこちらが絶対に戦争すると言えば、相手は固く備えることによって失敗する公算が高くなる。逆にこちらが絶対に平和を守ると言えば、相手は軍事行動を起こしてもリアクションを受けないことを見透かして、相手が攻撃するモティベーションをかえって高めてしまう。「好戦的な者はかえって平和を持続させて、平和主義者はかえって戦争を近づける」というパラドックスが、人間同士が関わる陰陽の世界では起こってしまうのである。
こと人を相手とするときには、こちら側の事情だけ考慮に入れて相手に対することは、自らを窮地に陥れることになりかねない。人間に対することは、自然に対することとは次元が違う難事である。だから、自然は人間よりも優しいのだ。畏敬をもってよく認識すれば、少なくとも危難を避けることができる。人間の世界は、策略と詐術を受け取ることを常に想定しなければならず、こちらも策略と詐術でやり返すことをオプションとして不断に持ち続けなければならない、終わりなき地獄である。
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