「彼れを知らずして己れを知れば、一勝一負す。」
『孫子』謀攻篇第三より。
「勝は知るべし、而(しこう)して為すべからず。」
『孫子』形篇第四より。
謀攻篇の言葉は、よく知られているように前後のフレーズと合わせてセットとなっている。ついでに、漢文で読めば韻も踏んでいる。
「彼を知りて己れを知れば、百戦して殆(あや)うからず、彼れを知らずして己れを知れば、一勝一負す、彼れを知らずして己れを知らざれば、戦う毎(ごと)に必ず殆うし。」
ここで、「彼れを知りて己れを知れば、百戦して必ず勝つ」と言わないのが、孫子なのである。
自己の力量とコンディションをよく理解して、慢心と過大評価を捨てて自分を客観視することは、実際にできることである。これをやらないのは自分の過ちであり、言い訳がきかない。
しかしながら、外部の世界は、自分の力で100%コントールすることは不可能な領域である。情報を収集することは可能であるし、やらなければいけない。情勢を分析することは必要であるし、やれば勝率が上がるであろう。しかし、絶対に勝つとは誰にも断言することができない。外部の世界は陰陽が転変する世界であり、刻々と変化していく。その世界の中で自分ができることは、自分の力量であれば勝てそうなチャンスを見出して、試みることだけだ。情勢が悪ければ、待たなければいけない。勝率が高いのに、不必要に怖気づいてはいけない。そして命を全うするために、想定外の情勢に出くわしたならば撤退できるだけの余力を残しておかなければいけない。自分ができることは、滅亡しないだけの力を蓄えて、勝てそうな目標を定め、勝てるタイミングを見出し、できるだけ勝率を高めてトライすることだけだ。ゆえに、「勝は知るべし、而(しこう)して為すべからず」と言うのである。
初めて行く山道は、情報が未確定な領域があまりに多い。二度目三度目に登るときですら、天気が急変したり、山道が大雨でふさがれていたり、あるいは猛獣に遭遇したりすることがある。私は一月ほど前に貴船山を歩いたとき、長い一本道の途中でイノシシに出くわした。子連れであったようで、かなり怒っていた。そこから退いてもエスケープするルートがなくて、しばらく立往生して熟考した。その結果、刺激せずに静かに横を通り過ぎるしかない、と思い切った。イノシシは30分経っても道の脇の草むらから動いておらず、近づくと威嚇の鳴き声を挙げた。それでも試みるしかないと思い切って静かに静かに歩き、なんとか無事に通り抜けることに成功した。こんなことがあるものだ。山道では絶対に安全だなどとは、決して言えない。せいぜい撤退することを常に想定しておきながら、経験を積んで殆(あや)うからず切り抜ける術を身に着けるよう努めることしかできない。
とはいえ実際にその様な場面に出くわすと慌てふためいてしまいます
現在奥多摩の石尾根という長い尾根を部分部分で歩き、最後に通して歩いてみたいと思っています
途中から登り降りする事でエスケープする時もルートを探しやすくなり、また一度通ったところだと安心感があります
少しずつ歩く事で、通しで歩けるかの検証も兼ねています
山歩き初心者の私などが言うのもおこがましいことでございますが、天も地も変わるものという心がけで、ご自身の足と目で確かめた知見を活用して成功率を上げるのが、孫子の兵法としてよろしいかと存じます。
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