カテゴリーは”日常”ではなくまだ”探求”であります。
黄落や酸素マスクの母の顔 roadwalker
先日”roadwalkerさん”が初めて俳句を詠んだ日記にコメントをし、一句目から”二物衝撃”とは驚きです。なんて書きました。
簡単に言うと、一句を二つに分けて詠む表現方法です。
ロードさんの句の場合
黄落(こうらく=黄色くなった葉が落ちる様子)+入院中の母親
という取り合わせ(配合)になります。
でぇ、このことを一日中考えていて
・実際にお母さんが黄落を見ながら寝ていた状況なら”一物仕立て”となるのではないか?
実はこの句は一物と二物とのグレーゾーンにあるのでしょう。
人が病気なのにレクチャーかよ!!
でも”黄落”って落ちるだけでなく輝きもあるしなんか希望が持てるんですよね。私的には。。
さて話を戻します。取り合わせ(二物衝撃)の句を幾つか
子を思ふ憶良の歌や蓬餅 竹下しづの女
ドライブの帰りは無言つくつくし 神野紗希
つばくらめナイフに海の蒼さあり 奥坂まや
秋の風豆腐四角き味したり 小川軽舟
今日よりは明日が好きなりソーダ水 星野椿
蓬餅
蓬を摘む、茹でて刻む、餅米と一緒につく、形よく丸めるといった手間をかけて作られる和菓子で、実は優しさを連想させる。
つくつくし=法師蝉
つばくらめ=燕
一物仕立て
雪見酒なんのかんのと幸せよ 星野椿
冬菊のまとうはおのがひかりのみ 水原秋桜子
神田川祭りの中をながれけり 久保田万太郎
麗しき春の七曜またはじまる 山口誓子
春雨やゆるい下駄貸す奈良の宿 与謝蕪村
七曜(しちよう)
私といえば昨年の11月に俳句をかじりはじめて1年経ちましたが、一物仕立てが好きで殆どがこれだったことに気づきました。
モノの本によれば一物仕立ては類句・類想が多いので駄目句になりやすいとのことです。
そして句帳を開けばダメ句の連発。。(ほとんど山レコに上がっている)
いまうちのやつがルアーで65センチの平目を釣ってきたw
明日は平目だじぇ
〉でぇ、このことを一日中考えていて
この集中力は、何処から来るのか謎中の謎。然も、それが多重(微妙にきっと重なっていて、単に沢山のでなく)化されていて、パワーに驚く。
〉実際にお母さんが黄落を見ながら寝ていた状況なら”一物仕立て”となるのではないか?
はじめて初歩の俳句の本を借りてみて、読んでみて、また、調べてみました。二物衝撃を。honocaさんがあげられた様な句が書かれていましたが、ピンとはきませんでした。配合はピタリとくるかも知れません。
母は、残念ながら、窓の外は、簡易的に隔離されたカーテンがあり、窓の外は見れません。結局、私の目を通じ、見た、黄落の様子を母にひたすらに話し、晩秋の様子を 伝えたわけです。
因みに私の日記初雪な丹沢山塊246号線が母の病院に向かう私で、帰り246号線上の車が、先ほどご紹介があった俳句もどきが何故か口に出たものです。
詠み手が言わない事が、受けての創造性(想像性)に委ねるのが、俳句の在り方なら 説明は野暮だなあと思いながら長々綴りました。
ありがとうございますhonocaさん。
honocaさんが句歴一年と知り驚きました。前述した多重化した興味が更に深耕化しているなあと思いました。
その意味なら二物衝撃ならぬ多重衝撃がhonocaさんイメージです。ではまた〜〜
ロードさん、コメントありがとうございました。
> 詠み手が言わない事が、受けての創造性(想像性)に委ねるのが、俳句の在り方なら
> 説明は野暮だなあと思いながら長々綴りました。
まあ俳句に説明は野暮ですねw
なにしろ十七音なのですから説明したい気持ちは解りますが
季語やらうんちゃらでそんなことは、読む人が解っているんです。
黄落や酸素マスクの母の顔 roadwalker
> 母は、残念ながら、窓の外は、簡易的に隔離されたカーテンがあり、
> 窓の外は見れません。結局、私の目を通じ、見た、黄落の様子を母にひたすらに話し、
> 晩秋の様子を 伝えたわけです
そうでしたか。
返します
銀河に銀杏の葉一つ聳えけり ほの香
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