”かな”止めは好きです。
俳句をはじめて三年の私がガーガー騒いでもあれなんですけど
俳句は17音と短いので
どこかで言葉を詰まらせて(切って)景物や季語をを意識させる。
例えば”や”で切る、ことによって上五と違う想像とか、新たな転換に引き込むことを意識しています。
や、かな、という”切れ字”は、江戸後期・明治・昭和初期に余りにも無造作に、俳句を整うために使われたため、昭和初期の新興俳句時代の人たちから捨てられた切れ字である
芭蕉の言うように48音皆切れ字でもあるのですが、但し・や、かな、は強烈な切れ字である
特に”かな”は一句の言葉を全て支える語尾の切れ字であるので
そして捨てられた”や" "かな”がどのように蘇ったのか、
来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり 水原秋桜子
葛咲くや妻恋村の字いくつ 石田波郷
春風や闘志いだきて丘に立つ 高浜虚子
春さむく海女にもの問う渚かな 加藤楸邨
鯛の骨たたみにひろふ夜寒かな 室生犀星
とつぷりと後暮れゐし焚火かな 松本たかし
祖母山も傾山も夕立かな 山口青邨
よろこべばしきりに落つる木の実かな 富安風生
春風の虚子のやつは河東碧梧桐らを中心とした新傾向俳句への挑戦状(挨拶句)であって、あえて古くからの”や切れ”を使っているのでしょう
”かな”は、一句の重さすべてを受け止めるアンカーであり、詠嘆、断定。
ノリで使ったら月並み俳句とか感情の危険に傾きますね
そんな”かな”止めが好きで、最近に詠んだ”かな”
駅迄を老に訪ねる日永かな ほの香
郷土史に問ひかけている皐月かな ほの香
灌漑の走る小路の田植哉 ほの香
白球の空に溶け入る子規忌かな ほの香
柿の実の転げ落ちたる傾斜かな ほの香
秋の田のSL待ちの童かな ほの香
廃駅を過ぎれば桜紅葉かな ほの香
秋晴れて車座のある漁村かな ほの香
こうしてみると、自分の句は”かな止め”が割とよく得意な気がしますね」
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