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それぞれの産業が常に改良されつつ、交通開削や人様の努力に出会い出会って、今の日本がある。という訳である( ←うるせー解ってるよw)
はぁ・どうもすいませんw
(では
御殿場線の”国府津ー沼津間”は東海道本線だった
諏訪湖畔の岡谷市は片倉組を通じ群馬の富岡製糸所と繋がっていた
富岡製糸所と横須賀ドックは当時同じ設計士が手がけた
蚕糸も野菜も収穫目的ならばF1が主流だ
とりびあw
なまこ壁も加えろよw
ここで表題の変化球であるが、、
過去日本(明治24−昭和7)に、人が押す”人車鉄道”が存在した。
この鉄道は蒸気機関に逆らうように各地に存在したが、小回りが利いたと見え小田原ー熱海間にも敷設されていた。
小田原ー熱海は明治28年開業の人車鉄道
一両編成でお客は4-6人。大人2-3人で押すw 小田原・熱海間の一日六往復。お客は熱海温泉への観光客で適当に繁盛し以後🚂化
後に東海道本線となる熱海線(小田原ー熱海)と競合することになる
豆相人車鉄道は、蒸気機関化された後の大正12年、関東大震災による崩落で廃線となった
(写真)盛況に付き何かの記念日であろう。普段は一両編成・一日六往復線である
Honocaさん、こんばんわ。
明治の産業革命遺産は各地でいくつか
世界遺産になってますが、
こういう隠れたレアな写真もなかなか。。
掘り起こすのも面白いですね。。
どこから拾ってきたのかな?
どもです(w
官営の蒸気を出し抜いて開業したこの人車鉄道はほんと笑えます
※転載は個人所有のものからです(^^;
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