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この本では、栗城氏が22歳で北米最高峰のマッキンリー単独登頂を目指し挑戦するきっかけとなった経緯から始まり、「自分の限界」という壁を打ち破るためには、単独では無謀ともいわれた北米最高峰への登頂に挑戦するしかないと決め、困難に打ち勝って登頂を果たすまでが1章の「「自分の限界」という壁をなくす」に書かれている。
第2章では、「なぜ僕は山に登るのか」として、高校2年の時にガンで亡くなった母親とのかかわりあいを通して思った「「死」と隣りあわせになることで「生」を感じ、生きていくことへの感謝の気持ちが出てくること、死を覚悟することにより、自分は何のために生きるのか、何に命を果たすのかを考えるようになる」と述べており、この死生観が同氏の冒険家&登山家としての後半生に大きな影響を与えた事を記している。
第3章以下では、世界最高峰のエベレストへの単独・無酸素登頂を目指して、ヒマラヤの8000m級の山に挑戦し、エベレスト登山に挑戦するために必要となる資金を確保するために、自分の夢に共感し援助してくれる人を増やすための取組を解説した第3章;「世界の屋根と日本の空をつなぐ」、第4章;「見えない山を登る」、第5章;「空のように青く、宇宙のような無間の心を描く」で、わらしべ登山家と呼ばれた理由、夢を志に変えることの重要性、常に頂上を目指す理由等を説明している。
第6章;「エベレスト単独・無酸素登頂へ」では、2009年の第1回目のエベレスト単独・無酸素登頂の挑戦の日々を日記風に紹介し、約8000mの地点まで登ったものの、無念の撤退を余儀なくされたまでが記されている。
栗城氏は、エベレストへの無酸素・単独登頂に加えて、登攀模様をインターネットによって生中継することにもこだわり、4kgの中継機材を担ぎながらの登攀を続けたことでも有名である。
しかし、同氏は、2018年5月、8度目のエベレスト無酸素・単独登頂に挑戦中、撤退を余儀なくされ、下山中に滑落し、36歳の若さで命を閉じた事を聞くにつけ、冒険家・登山家としての早世が惜しまれる。
ranger9-1さん、コメントありがとうございます。
栗城さんの単独登頂という件については、いろいろと異論があるようですね。シェルパやガイドを雇ったりしなければならない山があったり、シェルパに酸素ボンベを荷揚げしてもらったりしたという話もあるようですね。また、エベレストを含む8000m級以外の6大陸の最高峰は、酸素ボンベは無くても登れるという指摘もあるようです。そのような点を考慮しても、栗城さんという登山家は興味深い方だと思いました。
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