13年前の原発事故のため、放射線量が非常に高く危険だとして、富岡町観光協会HPの大倉山紹介ページでも「※大倉山への入山はご遠慮ください」と大書されている。
https://tomioka-tourism.com/mountain/
が、このページ、つい最近まで西暦2019年頃の山行記録(YAMAP)紹介リンクを合わせて載せていた。
他人に遠慮しろと言っておきながら事故後の山行記録を載せる了見に長年疑問を抱いていたのだが、テレビ各社が震災・原発事故から13年の機運を盛り上げ始めたのに乗じ、その疑問を協会にぶつけ、どちらかを削除すべきとコメントしたところ、山行記録の方が削除された。
私としては「※」の方を削除してもらった方が良かったのだが、協会としても富岡町など他の関係機関と並びをとる必要があるのだろう。
もちろん、山行記録を載せたこと自体、関係機関との足並みから十分に逸脱した行為であり、公開前に誰も指摘しなかったというのが驚きではあるが、まずは矛盾を速やかに改めたことは一定評価したい。(単に事なかれ主義でクレームの元を消しただけなのかもしれないが。)
この記事を書くにあたり大倉山のことを書いた過去の記録を見返したところ、3年前、協会HPの「※」は「※大倉山は現在入山できません」だった。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3046220.html
「入山できません」が「ご遠慮ください」になった意味は大きい。普通に考えれば、
「入山できません」ではない = 「入山できる」
となるだろう。その上での「ご遠慮ください」だ。
「ご遠慮ください」の詳細な意味が「一応やろうと思えばできるけど、よ〜っく考えてね(できればやってほしくないけど・・・)」であることは、旧来の日本人的感性を持つ人のほとんどが理解できると思う。
だが、土着の日本人がどんどん減少し、外国人及び外国由来の日本人がどんどん増えていく急激な国際化の中で、このような「察してください」的な曖昧な言葉遣いがいつまでも通用するはずもない。京都人の皮肉が外国人に全く通用しなかったというエピソードも発生しつつある。
であるならば、「遠く慮ったうえで入山しま〜す」と、このような奥ゆかしくも今後通用しなくなる言葉遣いは自ら打破して死語にしていきたいという気持ちはある。
気持ちはありつつも、やはり現地の関係者の気持ちを察して踵を返してしまうのは自分が旧来の日本人的感性の持ち主である証左であろう。齢40歳代半ばにして古い感性と新しい感性が半々。
だが、私よりも若い世代は感性がより現代的、令和的、国際的になっているはず。今後の広報は、ダメならダメ、良いなら良い、ということを、よりハッキリと示さなければ、機能しなくなっていくだろう。
ああ、いろいろ書いていたら福島にまた行きたくなってきた。
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