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さて、そんな具合で中学時代が過ぎたが、どんな意味でも「スポーツ少年」ではなかった。しかし、今考えると、特定の運動技術にマニアックに凝るということはあった。例えば、小学校-中学入学時は鉄棒の逆上がりができなかったのだが、毎朝、始業前に鉄棒の練習をして、逆上がりから連続後ろ、前回り、いつのまにかクラスで数人しかできない蹴上がりができるようになっていた、など。
ここで、林間学校のことを思い出したので書いておく。1年は野辺山。ハイキングは飯盛山という3時間位のコース。計画では赤岳となっていて、長野県なんかの学校登山並みのものだったが、飯盛山の様子を見てとても無理と先生方が判断して、どこか近隣のハイキングに変わったと思う。
2年は志賀高原。登山は焼額山と岩菅山、3年は伊豆高原で登山は万二郎・万三郎岳であり、まあ一般の大人向きのハイキングコースくらいではあったと思う。
(1)に書いたように、中学時代は登山のガイドブックだけを見て妄想を募らせるばかりであったが、一人では本格的ハイキングなど許されることはなかった。
それが、中3から高1への移行の春休み、チャンスが巡ってきた。卒業旅行というか、高校合格の報告も兼ねて、神戸の叔父一家と愛知県一宮市の祖母を順に尋ねる旅行に一人で行く事になったのだ。その間に1日くらい自分の好きなようにさせてくれる日があるだろう。その時地元の沢に行けるのではないか、と考えた。
実は旅行のために「関西周辺ベストコース」という登山ガイドを手に入れており、そこに六甲山の沢登りが2つ紹介されていた。「西山谷」と「大月地獄谷」というのがあり、いずれも3時間くらいのコースタイムなのでどちらかに行こうと思っていた。西山谷の方が簡単のようだったので、できればそちらに行こうと思っていた。
ところが、いざ、旅行が始まり、神戸の叔父の家に着いてみると、大変歓迎してくれたのだが、空いている日に六甲山にハイキングに行きたいと言うと、それではというのでドライブに行き、夜景を見ながら食事でも、という話になってしまった。あんなとこわざわざ歩くとこじゃない…という感じである。60年近くも前のことであり、特にアウトドアに関心のない家族なら無理もないだろう。もちろん、それはそれで楽しくはあったのだがすっかり当てが外れてしまった。
あとは移動日しかない…というので、愛知県の祖母の家に行く途中に半日くらいの時間を使って沢登りを決行することにした。装備は何もない。
靴は普段履きのバスケットシューズ、上は通学用のレインコート、ズボンはいわゆるトレパン(今のジャージではなく白い丈夫な綿のズボン)だったような気がする。それに普通の旅行用ボストンバッグという格好で。
朝は比較的早立ちし、阪急の御影駅で降りた。もちろん、荷物は駅で預けるつもりだったが、私鉄の駅でそういうものはない、と言われ、今のようなロッカーなどもなく、結局旅装一式の入ったボストンバッグを下げて沢登りすることになってしまった。まあ持ち手がある程度長いので、ザックのように背負えないこともないと思って。
西山谷、大月地獄谷いずれも御影駅が最寄りである。しかし西山谷の入渓地点がよくわからないかったので、大月地獄谷に入った。
今から考えれば、これで助かったのだと思う。最近の動画を見てもF1大滝さえ巻けば特に技術を要する所があるわけではない。
11/22追記
実家から持ってきた「関西周辺ベストコース」と大月地獄谷のガイド項目の写真を追加しました。
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