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前大沢は短くて、上部の涸棚連続というのが気に入った。春岳沢で涸棚登りが気に入ってたようだ。以下のように結局前大沢には行かなかったが、最近の動画を見ると行かなくて良かったと思う。下部に難しい所があるようだ。
モミソ沢遡行・流れの沢下降 1971年10月17日
前大沢の入口はついにわからなかった。仕方なく林道を歩く。一人登山者が歩いているので離されないようにとマラソンみたいな気分で歩く。そのうちに左前方に岩壁が見えた。モミソ沢である。そうだ、あれを登ろうと決めた。シンカヤ橋を渡ったところでシンカヤ沢に降り、ゴーロをとんでモミソ沢出合に着く。出合の懸垂岩では女性が二人岩登りの練習をしていた。それをみながら梨をかじり、地下足袋とワラジをつける。キャラバンシューズはどうしてもザックに入りきらない。少しみっともないがザックの後ろにぶら下げた。
いよいよ遡行開始。懸垂岩の左端でもう一つの壁が迫っている。最初から狭い沢に入ると滝が連続している。土砂が押し出していた。次々に現れる小さな滝を快適に越えていくと沢が左右に分かれていた。ここまでくるのにワラジが二、三度脱げてしまっていた。とりあえず右の棚を登り、その上でワラジを履く。左の方が水量がはるかに多い。どうも本流らしく思われたので下り気味にトラバースして左の棚に取り付いた。しかしホールドが非常に小さい上、流れのあるところを登るので苦しく途中でつまってしまった。上を見るとさらに棚が続いている様子である。これはとてもダメだ。それに右の方が深く、こちらが本流かもしれないと思いなおし、また右の棚を登るとさらに棚が続くが簡単に越えた。この上でまたワラジが脱げてしまい、頭にきて地下足袋だけで登ることにした。しかし濡れた岩に地下足袋と言うのはいかにも具合が悪く、滑りそうでハラハラする。その上の棚はスタンスが細かい。地下足袋の親指を引っ掛けた。普段のトレーニング(注:その時点まで岩登りの専門トレーニングをしたことはない。階段を段の角に足指だけを掛けて登り指の強化とバランスを取る練習はしていた。どこかで読んだのだと思う)の成果と思い安心してスッキリ立っていたら滑った。幸い右足と両手はしっかりホールドしていたので落ちなかった。やはり地下足袋だけではで心細い、と言って今更ワラジに履き替える気もしない。注意して登り切った。
しばらくあるいていくとチムニー状の滝があった。両手両足を突っ張って乗り越す。その上で沢は開けていた。登山者が二人休んで炊事をしている。「あとどのくらいですか?」と聞くと「もうすぐですよ」と一人が答え、もう一人は「いやあ、これからが長い」などと言う。右は脆く危ないと教えてくれた。礼を行きかけると「お気をつけて」と言ってくれた。その上もチムニー状の棚があった。更に2、3の棚を越す。うち一つは登りにくいので側壁を登って上に出た。すると前に大きな滝が見え、登山者が二人、左の垂直の壁に取り付き、それをもう一人が下から見上げていた。
(注:いわゆるモミソの大棚、3人パーティでロープを使っていた)
「こんちわ」と言って通りすぎ右の凹角状のところを登る。実に快適である。凹角は左の落口と右方に分かれていた。左の落口に向かって登る。
(注:通常の巻道は左。勘で登ったいわば半直登?)
その上を行くとしばらくして水が涸れ、沢にはイバラなどがあり気分が悪い。左に踏みあとがあるのでそちらに移ったがどこに通じているかわからないので結局沢身に戻る。ゆるい涸棚を二つくらい越しザレとなった沢身を登り続ける。かなり登ったなと思うころに赤土の崩れが出てきてそれを乗り越えたところに踏みあとがあった。すぐに尾根に出た。ちょうど堀山の道標がたっているところだ。道標の根本に腰を下ろし、地下足袋を脱いだりミカンを食べたりしていると2、3分おきに通る登山者がこっちを見ながら通り過ぎて行った。居心地が悪いので早々にキャラバンシューズを履き登山道を歩き出した。
やがて道が少し上りになるとすぐ右に山小屋が見える。「堀山の家」らしい。少し行き過ぎて引返し小屋の主人らしい人に流れの沢へ降る路を聞く。
言われた通りに少し戻って「火の用心」のブリキ板のある所から降る。細いがはっきりした踏みあとが何度もターンしながら下っている。こんな道を歩くのは実に気分がいい。やがて沢に降り立つ。小屋の水場とのこと、水量はかなりあるのだが茶色の泥水である。今登ってきたばかりらしい3人のパーティが右の藪の中に入っていった。上には降ってくる人も見える。僕も降りだす。
初めはガレ場であり足を出すごとに崩れる。別にどうということもないが、本で読んだように落石を出さぬように下る。両岸が迫って谷らしくなってきた。滝も現れてきた。滝を降るのには前向きに足を伸ばして降る。傾斜が急になると横向きになったり岩に顔を向けた姿勢で降る。キャラバンシューズのトリコニースパイクがよく効いて滑らない。快適にどんどん降りていった。
ところがそのうちに前が急に落ち込んでいる感じになった。大きい滝らしい。降りられそうにないと思ったが、まあ落口まで行ってみた。やはりダメだ。ほとんど垂直だし右岸は脆い岩壁になっている。少し戻ったが巻道は見つからなかった。仕方がないので右岸の藪の薄いところをガムシャラに上に登る。そして岩壁の上に出たあたりで降り出した。ところが急に藪が濃くなりイバラなどが胴に巻きついて引きちぎらなければ進めなくなってしまう。うっかりイバラを掴んだりするとトゲが刺さったり切り傷を作ったりしてしまう。またかなりな急斜面で、立ったまま強引に降ると転落するんじゃないかと思ったほどであった。両手で草や木の根を掴み滑り落ちながら降る。しばらく降ると足の下は岩盤になり藪も急に薄くなった。本流に注ぐ小さな涸沢に出たのだ。岩は粘板岩のような感じで青い岩である。極めて脆く岩角は小さい。小さな涸棚が続いているので慎重に手をついて降るが、途中、落石を起こしてしまう。かなり下まで落ちていったようで、びっくりした。それでも本流に戻ることができてホッとした。
それから先は大したところもなく、無事に水無川の河原に出ることができた。本当はこれからセドの沢に行くつもりであったが、とてもそんな気力もなく、食事をして周りを少し歩きまわり、戸川林道を大倉へと降った。途中対岸にモミソ沢を見た。懸垂岩にはヘルメットをかぶり、ザイルをつけた人達が群がっていた。モミソ沢は2つの尾根に挟まれた狭い急な沢であることがはっきりと見てとれた。(終わり)
52年後のコメント
・上で(注:)とあるのは原文にはなく今日書いたもの。
・当時はロープを使う純粋なクライミング以外、ヘルメットを被っている人はいなかったと思う。私も厚手のチロリアンハットを被っていた。
・最近の動画(高嶺山三郎氏youtube)を見ると大棚以外でも結構急で難しそうな所もあり、自分が平気で登っていたのが不思議。今はモミジ谷の涸棚でビビっているくらいなので。
・この後3年後まで沢登りは中断する。父親が勤めている会社の若い人が沢登りで大怪我をしたらしく、沢登りが危険という観念で父親の頭が一杯になり、
「心配で仕事が手につかない」とまで言われてしまった為、それを振り切って…というまでの根性はなかった。そして3年後、父親は単身赴任…笑。
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