というわけで、次の沢登りは74年、大学3年生の時になる。あれ⁉️笑。
実は2年生を2度やっているのでありました。
この2年間は沢にはいかなかったけど、私の人生にとって大きな転換期でした。私は工学部に進学したのだが最初の2年間は教養部というシステムになっていて、高校は附属だったので結構ギリギリで推薦入学となったのは良かったが元々数学の成績が悪いので大学1年で早速落ちこぼれて2年次でも単位は取れず落第、もう一回2年生ということに相成りました。
ちょうどこの頃我が大学は学生運動がらみで半年ほどの全学ストライキの次期であった。全国の大学で同じような学生運動、全学ストライキがあり、多くの人が人生・将来を考え直すことになったと思うが、私の場合、否応なく数学の再勉強を始めたのだが、時間もある事だし徹底して基礎から始めようと、集合論・論理学などから勉強をはじめた。ところがこれが実に肌に合う。やがて解析の基礎から複素関数、抽象代数などへと読み進め、数学自体に深い興味を持ち出した。そして元々技術系の会社員になるだろうくらいに将来を考えていたのを、純粋数学の大学教員を目指すというとんでもない大望を起こした。
実はこの望みは(奇跡的に)叶い、四十数年後、某大学、代数学の数理科学科専門教員として定年を迎えることになる…
それ以外の学生生活、まず、高校からの縁で、工学部体育会柔道部と言うのに入った。どこの大学でもそうかもしれないが、体育会とは言っても理工系は忙しいということで活動は毎日でなく週4回であった。
入部のきっかけについて思い出したことがある。
高校の(柔道B級の)2年先輩のキャプテンが工学部柔道部に所属しており(彼は高校時代から結構なナンパ師であった笑)、高校同期のキャプテンM君が勧誘され見学に行く予定になっていたのだが、本人は入る意思がないため、私に代わってくれと頼まれて、行って見たら結局私が入部することになってしまった笑。後で「別に入る必要なかったのに…」と謝られたが別に強制されたわけでなくむしろ自分で希望して入った。
でもこの道には向いてなかったようで、対外試合0勝、おまけに部の歴史上最初の留年者という不名誉な記録を作ってしまった😛(イメージに反して我が部は成績良い学生つまり真面目な努力家か要領良い系-私はどちらでもない-の集団だったのだ。因みに1年後輩からは普通に留年者が出ている笑)
M君は結局T心会という学内の右翼サークルに入った…
あと、高校時代からの友人I君は経済学部、N君は同じ工学部で両者共にもちろん大学は同じ、だったのだが、年2回ほど3人での旅行が続いていた。冬はスキー・夏は山という感じでその中で夏の戸隠山、志賀高原キャンプを憶えている。戸隠の時は私の強い希望で「蟻の塔渡り」コースにも行った。彼らは私のような登山志向の人ではないので怖い思いをしただけのようではあった。
そうそう、50年来の友人である彼らとは今年コロナ以来3年ぶりに会うつもりである。ただ私以外の2人は卒業後別に山歩きはしていないようだ。
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