新茅ノ沢の次は源次郎沢であるが、記録がないのでいつのことかハッキリしない。あまり時を置かずに行ったような気がする。真冬ではないと思うので75年になってからだろうが、覚えている服装や風景から3月くらいであったろうか。
新茅ノ沢がまあうまく行ったので次は同レベルの源次郎沢と考えたのだと思う。そしてこれは厳密には単独行ではない。
沢に入るまではいつも通り単独であったが、やはり単独の遡行者がもう一人いた。ほぼ同年代に見える男性で、簡単に言葉を交わしたのだが、W大の学生で沢登りは初めてだという。たしか何か山のサークルに入っていると聞いたような気もする。なんとなく同行するような感じで歩き出し、最初の方ではあまり覚えているような所はないので、直登も高巻きも特に困難はなかったような気がする。
ある程度の経験者の私が大体先行し、彼は後から同じルートをついてきたように思うが、見ているとやはり初心者で、ゴーロ歩きでもふらついたりつまづいたりしている。履物はやはり革製登山靴だったのだが、ザックにワラジをぶら下げていたので「滑らないのでワラジにした方が良いですよ」とアドバイスしてみた。すると「そっち(私)も登山靴じゃないですか?」というような答えが返ってきた。私も例の登山靴だったので「まあそうだけど…」と返したが、(ん、なんか対抗意識持ってる?)と妙に気になってしまった。
ある程度の長さがある沢なので途中で休憩したり何か口に入れたりしたのだと思うが覚えてない。
そしてほぼ最後のチョックストーンのある涸滝についた。これは今でも画像や動画を見るとハッキリ思い出すが、凹角状のチムニーの上に大きな岩が挟まっている10mほどの涸滝である。下に立ってどうしようかしばらく考えていると、後からきた彼がいきなり取り付いてしまった。開脚で両手両足を突っ張ってどんどん登っていき、上部で少し苦労していたけど、結局うまく登り切った。
こちらも対抗意識が出てきたのだろうか。
「初心者が登ったんだから…」
「こっちもうまく登って見せなければ…」
などという考えが交錯し、あまり考えなしに私も取り付いてしまった。彼のような登り方は高さがあるだけに怖く、中に入り込んで途中まで何とか登ったがチムニーがだんだん開いてきて、しかも上部は被っている。何とか姿勢を変えようとしたのだが摩擦で体を保持している状態だったので、あっという間に滑落してしまった。実際の落下距離は3-4メートルくらいだったろう。幸い下はザレの砂地で前向きに四つん這いで着地したので、ほとんど怪我はなかった。と言っても激しく突いた手のひらに岩角が食い込み、2ミリ程の欠片が10日後くらいに皮膚から自然排出された笑、くらいの傷はあった。
上からは「大丈夫ですか?」という心配そうな声が聞こえる。その時は怖さとか痛さより、悔しさと恥ずかしさで体がカッと熱くなり、とりあえず「大丈夫」と返事をして登れそうな所を探した。右の方に急傾斜で濡れた岩だが手掛かりが豊富にありそうなルートが見つかった。多分巻道だろう。念のため滑らないように靴を脱いでザックにぶら下げ、毛糸の靴下だけになった、と言っても膝下までのストッキングは下に履いている。「危ないなあ」という声を耳にしながらそこをガムシャラに登って上に出た。
待っていた彼に滝上で「巻道があったんですね、気づかなかった」と声をかけられた。「いや、お恥ずかしい」と返したが、恥ずかしさは未熟な技術もだが巻道を探さなかった軽率さにあると自覚していたのかどうか。
危険が終わった興奮状態で饒舌になり、靴下だけになった言い訳-自分の靴の悪口をひとしきり喋ったと思う(もちろん本当は靴のせいではない笑)。その時、彼は自分の靴は底の硬い岩登り用だから…と言っていたので、今考えると岩登りの基礎トレーニングくらいはしていたのかと思う。
その上もしばらく沢は続いていたが靴下だけで歩いた。もちろん足の裏は結構痛いのだが全然滑らずその点は良い具合ではあった。最近、沢登りの時靴や地下足袋の上から毛糸の靴下を履く人がいるそうで、なるほどと納得できる。
やがて花立に出た。そこでしばらく休憩して話した時、「経験者と一緒に歩けて安心でした、ありがとうございました」という意味の事をいってくれたと思うが、こちらはまた「お恥ずかしい…」しか言葉が出なかった。その後、塔ノ岳まで行くという彼と別れて大倉へ降った。
今から考えれば、最後の滝での滑落がなければ、というより、今までのように巻道を探して通っていれば上出来の山行だったのだが、当時は一挙に自信喪失してしまい、日記をつける気にもならなかっただけでなく、沢登り自体続ける気が失せてしまった。実際、次の沢登りは十数年後になる。
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