しばらくして源次郎ショック(笑)から立ち直ると、まず靴を買い直そうと思った。それ以外に岩登り技術を身につけなければと思っていた。
まだバリエーション登山をする意欲はあったようだ。この欲求はこれ以後もレベルを下げつつ笑、何度もぶり返すことになる。
靴についてはちょっと面白いことがある。今度は激安セールなどでなく、ちゃんとした物を買おうと思った。4年生、または大学院に入っていたかもしれない。家庭教師などのバイトをして多少金があった。
ICI石井スポーツの山靴売り場に行くと、そこに座っていた山男風の店員に声をかけた。まず山行のレベル・目的を聞かれる。沢とか岩とか言いたかったけど店員のいかにもという雰囲気に気圧されて言えず、まあ初心者で…夏の縦走とか沢登りとか、と答えた。
店員の選んでくれたのはマインドル社のアイガージャパンという靴であった。当時は流行だった深底・裏出皮仕様で2万数千円したと思う。ついでに岩とか氷壁用のも見せてくれたので、「そっちがいい」と言いたかったが言えず結局はその靴を買い、店員に言われた通りすぐワックスを塗り込んだ。そうすると冬山にも問題なく使えると言われたので…予定はなかったけど笑。
面白いというのは、後年、「狼は帰らず(佐瀬稔著)」という本を読んだのだが、あの店員、本の主人公、森田勝氏だったようだ。
この靴を履いて最初に山に行ったのは、池袋にあった登山用具店(名前失念)の岩登り初心者講習会である。靴を買ってから2、3年後、20代後半に入っていた。不思議でありかつ全く勿体ないことだが、この間山に行った記憶がない。
講習会は三つ峠一日講習で二千円という激安会費。それに誘われて参加した。もちろん客寄せの出血サービス価格だったろう。私もここでハーネスとヘルメットは購入したと思う。ハーネスは当時は普通だった全身タイプ、ヘルメットも穴のない工事用のような白いものである。
朝早くからの講習だったので、当時は普通だった夜行列車で山麓に着き、暗いうちに登り、小屋のテラスのような所で開始を待った。
生徒は10人くらいで見た感じ10代~20代前半、私のように20代後半の社会人年齢の人は他のにいなかった。まあ会費を考えれば当然かもしれない。
それに対して講師は4人くらいという豪華版、で、どうも店員の一人が所属している山岳会の(大)先輩方がバイトかボランティアで来た感じである。その中には山岳書の著者とか山岳カメラマンとして名を知られるようになる方々もいた。
初心者なので1ピッチ目はいわゆる一般ルートを登るわけだが、思いの外傾斜が急で中々進めず、グズグズしているとどんどんロープを引かれ、下から「引っ張り上げられてるみたい」という声が聞こえてきた。また2ピッチ目のクラックで手を入れてぶら下がったがどうしても体が上がらず、本当に引き上げられる羽目になった。ここは開脚で足のフリクションを使って登るのだが、足の自由が効きにくい靴なのでうまく行かなかった。ここまでで精神的に参ってしまい、そのあとは傾斜の緩い巻道のような所を登った。
一人の講師に靴を見せたら「ああ、それは縦走用の靴だね。底が曲がるので岩登り向きじゃない。
それなら運動靴の方がいい」
当時、困難な岩登りに運動靴(正確にはスポンジ底のジョギングシューズ)が使われ出していたが私は知らなかった。いずれにしろ、またがっかりする原因になってしまった。
その後も別ルートを登ったり、懸垂下降の練習があったりしたが、私は疲れを理由にかなりパスしたように思う。
客の年齢的にもちょうど山岳会の新人山行みたいなノリであったが、もしかしたら本当に山岳会の新人勧誘の目的もあったかもしれない。そこへ私だけ講師の年齢に近くて技術は1番下手という微妙なポジション、といって敬老という年齢でもなく、お互いに溶け込みにくい感じだった。
昼食は講師方の持参された食料でステーキ焼肉パーティなどあり、彼らが冗談混じりに言っていた通り「大赤字だ、こんな贅沢なクライミング講習会なんてない」わけであったが、上に書いたいくつかの理由で私は今ひとつ気分の盛り上がらないまま終わってしまった。
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