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実は10月の12~16日、京都に行っていた。在職時はほぼ毎年参加していた私の専門のシンポジウムである。退職してから数年間はご無沙汰していたが、興味ある講演があり久々に参加してみた、と言っても聴講するだけで、無職なので旅費はもちろん自弁である。
最近、研究は昨年度、後輩のM君との共著があるだけでむしろ遊びに忙しいのであるが笑、収入に結びつかなくても、やはり好きな道だけに時々最近の発展を知りたくなるし旧交を暖めたくもある。
因みにM君と軽く書いたが、専門分野では国際的にも著名な大先生て、国立N大学を退職し今は某私立大学の教授である。お互いに大学院生時代からの付き合いで、もう四十数年になる。
ここで既出の同級生もM君であることに気づいたので以後、同級生はM1、後輩はM2と表す…いや、博士課程で知り合った親友のM君もいたな~笑、彼はM3としよう。
この流れで以前の修士時代の続きを書く。
修士2年で専門を少し変えたことはすでに書いたが、これは全く私の好みによるものであり、
まあ最近はこういう人はあまりいないだろう。
その後も数年ごとに研究分野を変えたり、どうも私はひどく浮気性のようだ(これは学問や趣味の話だけである…と一応断っておこう笑)
ここで専門分野の名前を書くが、もともとの指導教員のSさんの専門は「解析的整数論」という分野なので学会もそちらに属していたのだが、修士2年で勉強を始めたのは「代数的整数論」という近接だが学会も人脈も別の分野である。
そして後期になると修士論文の準備を始めなければならない。研究課題も図書館に通って勝手気ままに文献を探して選んだ。こういうやり方は読書好きというより本好きな私の嗜好に合っていたのだろう。選んだテーマは「ユークリッド代数体」というものであった。これは「余りが割る数より小さい」という性質を抽象化した問題で、代数的整数論の問題なのだが解析的整数論の手法で研究される。未だ未熟ながら一応両分野の知識を持つようになった私に最適であると思ったのである。
しかし、実際研究に入ってみると最初からうまくは行かず、出来たと思ってよく考えると当たり前の事だったりして随分時間を無駄にし、苦しいことも多かった。
そもそもこのテーマ、1950年代イギリスで随分研究されていたのだがそれ以来、ほとんど研究が絶えていた。実はそこに大きなチャンスがあったのだ。私が学んだ2つの分野、その時までに20年以上が経過し当然大きく進歩している。その成果をうまく組み合わせ、ちょっとした自分のアイデアを合わせると次々に新しい結果が得られることがわかった。
結局、これで修士論文が書けて、(それから博士課程に進んでからまた別の分野に浮気するのだが笑)、博士論文ではまた戻って同じテーマで書いた。
実はさらに幸運な事があった。オランダの若手数学者L氏が同じテーマを扱っており、その一つの論文で私の手法で解ける問題を未解決問題として提出していたのだ。(このL氏、後に計算機科学で重要な「LLLアルゴリズム」の創始者Lの一人として世界的に有名になる。彼の学位論文がまさに私のテーマに直結していた。)
写真は北白川から京大へ向かう途中
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