登山を始めてから少しずつですが、距離と累積標高差を延ばしてきました。
これまでの山行では、山頂からでも海や街並みが見えていたので、高いところに来たとは思いましたが、遠くまで来た感じはしませんでした。
前回の山行で丹沢山に登った時に、登頂した達成感と充実感に浸りながら、見渡す限り山しかない景色に感動したのと同時に、山の中で初めて不安な気持ちになりました。
その時は深く考えなかったのですが、下山後に楽しかった山行の余韻に浸りながらもこの時の気持ちが気になっていたので、自分なりに何故だろうとずっと考えていました。
その時の事を思い返してみると、初めて見る雄大な景色に感動しながら、山に対する畏怖の念を抱いたように思います。そして、こんな山奥で、もしも動けなくなり、周りに誰もいなくて助けも呼べなかったらどうするだろうか、と一瞬頭をよぎったような気がします。
そして、今その時の景色を思いながら冷静に考えてみると、それは不安ではなくて恐怖だったのだとはっきりと分かります。
遭難という言葉の意味を、自分が本当に理解出来た瞬間だったのではないでしょうか。
自分では遭難の怖さを分かっていたつもりでしたが、所詮は動画や文章を見て分かった気になっていただけで、やはり他人事だったのだと実感しました。
その証拠に、今まで楽しいと思うだけだった山が急に怖くなってしまいました。なんだか、今までは周りで遊んでいただけだから許していたけどこれ以上入ってくるなら覚悟を決めろ、と山に言われたような気がします。
しかし、よく考えてみると、これは山に行く上では必ず持っていなければいけない怖さ、上手く言えませんが克服するのではなく共存すると言いますか、常に心の片隅に置いておくべき怖さだと思いました。
そして、冬山や雪山や登攀で感じる怖さは、きっと今回僕が感じたものとは比べ物にならないだろうと思います。
何年、何十年と山に行かれている方々は、多かれ少なかれそんな山の怖さを経験し、その怖さを常に感じながらも、知識や技術の修得は勿論ですが、心構えや覚悟と言った精神面を鍛えることにより、常に「万全の準備」をすることで、その怖さと共存しながら今も山に行き続けているのではないか、そんな事を考えました。
もしその考えが正しいとしたら、自分がこの先も登山を続けていけるのか自信が無くなってしまいます。
何事も始めたばかりの頃が一番楽しいと言います。言葉の通り、今までは山に関することは何をしても楽しかったのですが、今回初めて怖いと思いました。この先様々な山の怖さを経験しても、それでも山が楽しいと思えるように心・技・体共に成長していきたいと思っています。
初めまして。
「恐怖心」こそが我が身を守ってくれると思います。
私事ながら、わずか25年ほどですし、標高2000m未満の山や里山にしか入りませんが、毎回緊張感をもって入山しています。
身の丈をわきまえた謙虚さが自然界では不可欠かと。
どうぞご安全に山をお楽しみ下さい。
こんばんは。
初めまして。
>「恐怖心」こそが我が身を守ってくれる。
今回僕が感じた怖さも、この先も登山を続けていく上で、とても重要な要素なのでしょうか。
だとしたら、この怖さを何時までも忘れないようにしたいと思います。
>身の丈をわきまえた謙虚さが自然界では不可欠
仰る通りだと思います。自然の中では見栄を張る必要も、強がって見せる必要もなく、今の自分が出来る事、その範囲の中で目一杯山を楽しめたら良いなと思います。
コメント有難うございました。
私も長いこと山に行っていますが、同じ思いでいます。特に独りで行くことにいつも怖さを感じ、その自分に負けない勇気と自信を得るために知識と経験を少しずつ伸ばすよう努力しています。
人と比較することなく少し背伸びして達成した山行は、誰にも誉めてもらう必要のない自信になると私は感じています。
初めまして、こんばんは。
>怖さを感じる自分に負けない勇気と自信を得る
怖さではなく、怖さを感じる自分を克服する。この言葉で、これから僕がやらなければならないことが見えたような気がします。
自分に足りないもの、必要なものを自分自身で探しながら、少しずつ勇気と自信を持てるようにしていきたいと思います。
今までは楽しいだけでしたが、これからはBunjiroさんのように、下山後に少しでも自信になるような山行をして行きたいと思います。
コメント有難うございました。
私は産まれも育ちも海無し県の長野県民です。
見渡す限り山!山!山!に囲まれた環境で暮らしているので、2500m超の頂以外は山へ来たなぁと感じません。鹿、猿、猪、熊は野良猫同様にいつでもその辺にいますので怖いといった感覚は無いですし、むしろ肉としか思っていません。逆に水平線には怖さを感じます。私は、海の知識は全く無いのですし、カナヅチで泳げないので(^-^;
人それぞれ育った環境により経験値や体質が異なるものですよね。
自分が体感したことの無い環境には、海、山問わず魅力や怖さを感じる事は当たり前のように思います。そんな未知の環境に人間は喜びや達成感を感じるんでしょうね。
しかしながら人間っていう生き物は、経験や知識が身に付いてくると欲が出てきてしまう生き物のようで、ついついその先の世界を見て見たくなってしまうものです。
初心忘るべからず!ですよね。
私は普段、山ではバリエーションルートばかりを歩いているのですが。山から感じた怖さは常に持って山を歩いています。熊さん、ハンガーノック、滑落、道迷い、低体温症、雪崩、落石、落雷と山でのアクシデントは全て経験してきましたが。今こうして山を歩けているのは、たまたま偶然運が良かっただけだと思っています。
結果それが経験となっただけで、知識や経験だけでは回避できない事故があることも事実です。
山に長くいればそれだけ、事故につながる場面に身を置く確率も高くなります。ベテランの登山者の方が死亡事故を起こしてしまう事は必然的なことだとも思えます。
私は経験を増すと同時に加齢による体力の衰えを感じるようになりました。
私は山の師匠を持たない身の上のため、山を生涯の趣味として楽しむために、各地域のレジェンドと呼ばれる半世紀以上山を歩かれてきた先輩の皆様のレコを欠かさずに見ています。
先輩方のレコには決まって山に対しての謙虚な姿勢があります。おそらく何十回、何百回と歩かれてきた同じ山でも、常に初見で歩かれている様な気付きや感動を感ながら歩いているようです。
私もそんな山の翁になりたいと精進しています。
初めまして、こんばんは。
僕の場合は生まれも育ちも神奈川の湘南で、幼い頃から常に海で遊んでいました。
高校も道路一本を挟んで眼の前が海だったので、サーフボードを抱えて学校に来るような友人もいました。
部活では毎日裸足で砂浜を走り、体育の授業で体育教官の酒のツマミにするタコを取らされたりもしました(笑)
離岸流に流されたり、何度も溺れかけたり、クラゲに全身刺されたりしましたが、それほど怖いとは思わず次の日も普通に海で遊んでいました。
今回、山で僕が怖いと感じた景色など、きっと、よっさん さんにしてみればなにも感じない景色だと思いますが、そんなよっさん さんが海を怖いと思っているのを聞くと何だか安心してしまいました(笑)
仰るように、山の経験が全く無かったからこそ、今になってこれ程山に夢中になれたのでしょうか。
そして、山を知らないからこそ、その先を見てみたい気持ちで一杯なのでしょうか。
>知識や経験だけでは回避出来ない事故がある、ベテランの登山者でさえ死亡事故を起こしてしまう
山も海もですが、きっと自然に対して人間が自分の力だけで出来ることはほんの僅かな事しか無いのでしょうね。その道のプロと呼ばれる方々でさえ、自然が猛威をふるった時は手も足も出ず、撤退するか傍観するしか無いと聞きます。
だからこそ、自然の中に入り活動するためには、自然のことを学び、理解し、活動する為の万全の準備が必要なのでしょう。
よっさん さんは今こうして山を歩けるのは偶然運が良かっただけだと謙遜されてますが、その僅かな運を引き寄せるための努力をきっと沢山されてきたのだと思います。
そして、僕からすれば大ベテランであるよっさん さんが、山の諸先輩方を尊敬し、今なおそこから何かを学ぼうとする姿勢は、まさに僕がお手本とすべきものです。
僕も山を生涯の趣味にしたいと思っています。そう出来るかどうかはこれからの山に対する姿勢次第だと思います。
よっさん さんに負けないように精進したいと思います。
コメント有難うございました。
怖さはゼロには絶対なっちゃいけないですけど、それを埋めるための準備などをしていくと遭難の可能性はぐっと下がると思います。私はこの怖さを埋められない時は出かけないようにしています。
おはようございます。
以前、minislopeさんから頂いたコメントの中にあった「万端の準備」という言葉の重さが少し理解出来た気がします。
怖さを埋めるために、今の自分に必要なものは、心構えや覚悟のような精神的な部分が多くを占めると思っています。
今までは自分の事ばかり考えていましたが、もっと山の事を知る必要があるのだと気が付きました。
今の自分は山の事を知らなさ過ぎると思います。
己を知るだけでなく、きっと季節ごとに変わるであろう山の怖さを知り、この2つを知ることで初めて「万端の準備」ができるのではないかと思いました。
minislopeさんでさえ、怖さを埋められない時は山に行かないのですね。
minislopeさんの感じる怖さの殆どは、今の自分には感じる事さえ出来ないと思いますが、この先も登山を続けていけば感じるであろうその怖さを、その都度埋める事が出来るかは分かりませんが、埋める努力だけは常にしていきたいと思います。
コメント有難うございました。
素敵な日記ありがとうございます。
一人で登る山は通い慣れている所でもちょっと寂しいなぁと思っていたのですが、
それは寂しいのではなくて、恐れだったのだなと。
いつも、ほぼ毎回二人で登ってるので、逆に油断しているのかもと思いなおしました。
これからは少しとらえなおして、二人の時も無茶せず過ごしたいと思いました。
ステップアップ、こうやって素敵な文章にしていると、
いつか自分で読み返す時にきっと得られるものが増えそうですね
こんにちは。
素敵だなんて言われると照れてしまいます。有難うございます。
仰る通り、後から読み返す事により、当時感じていた事を思い出せれば良いな、くらいの気持ちで日記を書き始めたのですが、頂いたコメントから学ぶことの多さに驚きました。
何年も登山をされている諸先輩方から頂くアドバイスは、自分では気付かないことや、ハッとさせられる事が本当に多いです。
今の自分が山の為にしている事は、イマココアプリ使用などによる安全への配慮や意識、読図の重要性、効果的なトレーニングのやり方などを含め、殆どは頂いたアドバイスがベースになっています。
ですので、その時々で思った事や感じた事を出来るだけ素直に書くようにしています。
いつもご夫婦で山に行かれているのですね。そちらのほうが、僕の文章よりも数倍は素敵だと思います。
妻を誘ってもいつも断られるのですが、懲りずに標高が低く距離も短いルートを提案しながら、いつか一緒に山を楽しめるような素敵な夫婦になれたら良いなと思います。
コメント有難うございました。
一方で、そういう気持ちになれるから自然ともうまく付き合っていこうって思える気もします。そういう意味で怖れを感じられたのはラッキーなことだと思うんですよ。
わたしは山に入る時はソロが多いので、毎回遭難をシミュレートしてます。備えあれば憂いなし。そのための工夫は沢山教えてもらえると思います!頑張って前に進んで下さいね!
こんにちは。
人間も遥か昔は動物と同じように、自然と共に生きながら、自然から恵みを与えられると同時に、その厳しさにより淘汰されてきたのですものね。
そんな事を考えると、自然を素晴しいと感じながらも恐れるのは当然の事なのでしょうか。
仰る通り、登山を始めてから早い段階で自然の怖さを体感できたのは幸運だったのかなと思えるようになりました。
本当の怖さとは、自然の怖さから目を背けたり、慣れや慢心によって忘れてしまう事ではないかと思います。
備えあれば憂いなし、ですね。ゆっくりですが前に進みたいと思います。
コメント有難うございました。
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