まず初めに、この日記はかなり個人的な目的で書いた物ですので興味のない方はスルーして下さい。
先日、とある山行記録を目にしました。
詳細は伏せますが、子を持つ親としてとても心配になってしまう内容でした。
何かコメントを残したいとは思ったのですが、その山行記録が半年前の日付けであったのと、登山経験がまだ浅く、安全に対しても未熟な僕が言葉をかける事に抵抗を覚えてしまい、その時にコメント出来なかった事が今も心の何処かに引っ掛かっています。
口下手で、相手の気分を害する事無く自分の思っている事を上手く伝える自信が無いのもコメントを躊躇した理由です。
今となってはどういった経緯で半年前のその山行記録に辿り着いたのかも忘れましたし、その方の名前も覚えていません。
そこで、何か上手い方法がないものか考えた結果、手紙を書くことにしました。
「何いってんだコイツ?」と思われるかも知れませんが、勿論、本当に相手に届けるのではなく、この場で書くだけと言う事になります。
直接声を掛ける勇気の無かったヘタレな僕の苦肉の策であることをご理解下さい。
日記も書かれていた方なので、この手紙を読んでくれる可能性は高いと思っています。
山行記録拝見しました。とても可愛らしい娘さんですね。うちの娘達が小さかった頃を思い出します。あの頃は仕事から帰宅するとパパー!と駆け寄り抱き着いて来たものです。今では見向きもされませんが。
登山歴が半年にも満たない私は、山での安全確保に関してはまだまだ未熟ですが、未熟なりに勉強しながらも登山を楽しんでいます。
そんな半人前の私に言われることで気分を害されるかもしれませんが、半人前である今だからこそ共感して貰えたり届く言葉もあると思いますし、そんな事は言われなくても分かってると思われるかもしれませんが、他ならぬ可愛い娘さんを思っての事ですのでご容赦下さい。
山に行くために我々のような経験の浅い者が一番しなくてはならない事は、装備を揃えたりフィジカルを鍛える事や技術の修得は勿論大切ですが、それ以上に大切なのは、「目の前にある危険に気付く事が出来ない」という事実を自分自身が認識する事ではないかと思ってます。
熟練者であれば無意識レベルで避けている数々の危険を、我々はまだ察知することさえ出来ないと思います。
そう言われてもピンと来ないかもしれませんが、自分の事ではなく娘さんやご家族の事を含めて考えると、不思議と素直に受け止める事が出来ると思います。
想像してみて下さい。
もしも日没後の山の中で娘さんが転んで頭を強打して意識を失ってしまい、一刻も早い治療が必要な時あなたはどうしますか?
あなたはきっと娘さんを抱いて下山しようとするでしょう。
しかし、例えヘッドライトを装着していてるにせよ、娘さんを抱えたまま急いで真暗な登山道を降りるのはかなりの危険を伴うと思います。
救助要請をするにしても、下界での救急車のようにすぐには来ませんし、場所や天候によっては救助隊は翌朝まで動けない可能性もあります。
山の中であなたがもし動けなくなり、周りに誰もおらず救助も呼べないとしたらどうしますか?
あなたはきっと、自分は我慢してでも娘さんに水や食料を与え、自分の服を着せてあげると思います。
しかし、娘さんを優先することであなたが先に息絶えたとしたら、まだ人の死を理解出来ないであろう娘さんは、動かないあなたのそばを離れずに泣きながら力尽きるまで「パパ早く起きて、お腹すいたよ」と呼び続けることでしょう。
想像するだけで胸が張り裂けてしまいそうです。
逆に娘さんが先に亡くなってしまったら、残されたあなたはどうしますか?
眼の前で最愛の我が子が力尽きるのを、ただ見ているだけで何も出来ない。悪いのは他の誰でもないあなた自身です。
想像するだけで気が狂いそうになりませんか?
実際に数年前、6歳の男の子とその父親が遭難し、父親の上に男の子が覆い被さるようにして亡くなっていた遭難事故がありました。
どちらが先に息を引き取ったかまでは知りませんが、この事故の事を思う度に胸が締め付けられてしまいます。
もしも娘さんが亡くなってしまい、あなただけ生き残ったとしたらどうでしょう。
きっとあなたは心の底から後悔しご自身を責めるでしょう。そして奥様やご両親、義両親も口には出さないにしてもあなたを責める気持ちは持つと思います。
そして、あなたを止めなかった自分自身の事も同じ様に責めるでしょう。
あなただけでなく、恐らくあなたの周りの人も一生重い十字架を背負って生きていく事になると思います。
これは決して大袈裟な話ではなく、山の中では何時でも何処でも、そして誰にでも簡単に起こり得る事だと思っています。
そんな事になるはずがない、自分は大丈夫だ、と思われるかも知れません。少し前の私もそうでした。
しかし、その考え方が初心者たる所以であり、山では最も危険であると今では思っています。
これは半分は私の推測になってしまいますが、熟練者の方が山行計画を立てる時まず最初に行うのは、最悪の事態を想定し、自分に起こり得るであろう危険の芽をくまなく探す事ではないでしょうか。
そして、その危険の芽を一つずつ潰していき、全部無くなった時に初めて計画が完成するのだと思います。
もし一つでも潰すことが出来きずに残ってしまえば、きっと計画を変更したり、山には行かない決断をするのではないでしょうか。
それぞれの経験値により探し出せる危険の量は違うと思いますが、これは、自己責任と言う言葉を本当に理解している人にとっては当たり前の行動だと思います。
そして、同じルートを同じ時間で歩いたとしても、我々初心者と熟練者の間には、計画を立てる時から下山するまでに行っていることの質や量にとても大きな差があることを忘れてはいけないと思います。
・我々にはまだ危険の芽を見つけることさえ出来ない事を自覚する。
・常に自分が考え得る最悪の事態を想定した選択をする。
・自己責任と言う言葉の重さを理解する。
この3つの事を常に念頭に置く事が出来れば、自ずと自分が取るべき行動が見えてくるのではないでしょうか。
可愛い娘さんと一緒に山を楽しみたい気持ちはとても理解出来ます。
しかし、それは今ではなく、せめて娘さんが自分でザックを背負い、自分の脚で最後まで歩けるようになってからでも遅くはないと思います。
私もいつか娘達と一緒に山に行くことを夢見ています。疲れる事が大嫌いな娘達なので難しいとは思っていますが、、、
それまでは、安全に配慮しながら山の経験を重ね、いつか「お父さん、山に連れて行って」とお願いされた時に、自分と子供の安全を確実に確保出来るだけの実力を身に着ける事を目標に、お互いこの先も登山を楽しんで行けたら良いですね。
最後に、私の勝手な思い込みによる言葉も多々ありますし、それにより不快な思いをさせてしまうことを承知で書いたことをお詫びします。
申し訳ありませんでした。