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2014年3月25日初版。ナチズムの時代を生きたユダヤ人女性哲学者の評伝である。読後しばらく頭を離れず、翌日、船形の山麓を歩きながら、アーレントの言葉を思い出していた。
ハイデッガー、ヤスパース、ベンヤミン、ブレヒト、エリック・ホッファー、少なくともこうした名前を知っている人なら、哲学書は苦手でもかなり楽しんで読める。いや楽しい本ではないのだが、発見が多いと思う。これは優れた伝記であり、20世紀のドイツ、ヨーロッパ哲学史の流れを部外者にも分かりやすく教えてくれる本でもある。特にハイデッガーとの若き日の出会いと恋、ヤスパースが亡くなるまで続く師弟関係は、哲学の授業や書籍では決して分かり得ないもの。いい本に巡り合った。
しかしこの本でやはり一番印象に残るのは、ナチ台頭後のドイツ及びヨーロッパの情勢とユダヤ人への迫害の真実である。アーレントは1933年にすでにフランスに逃亡していたが、40年にフランス政府により収容所に入れられる。一瞬の空隔をつき脱出しアメリカに渡る。友人ベンヤミンはその脱出行で、ピレネー山脈を越える途中で絶望のため自決する。
ナチの「絶滅収容所」がポーランドに作られたのは1942年からだ。その噂は43年にはアメリカにも届いていた。
「本当の意味で衝撃でした。それはまさに、あたかも奈落の底が開いたような経験でした。・・・これは決して起こってはならないことだったのです。」(「何が残った?母語が残った」)
アウシュビッツの衝撃は、「人類に対する犯罪」であった。
古くからあるユダヤ憎悪が、反ユダヤ主義というイデオロギーへと変わり、ナチ支配の全体主義体制の中で、人間としての一切の権利を失っていく過程。読んでいて辛い。
20世紀でも、同じようなことがいくらでもあった。スターリンの粛清は数千万ともいわれているし、毛沢東の文化大革命でもそうだ。だが、ナチのホロコーストが耐えられないのは、機械のように、工場のように死体が作られていくその「無意味さ」である。
アーレントは論争の人でもある。「イエルサレムのアイヒマン」を刊行後、国家イスラエルと世界中のユダヤ人から猛反発を食らう。
アイヒマンはゲシュタポトップの一人で、ユダヤ人絶滅計画を指揮した人物。戦後密にブラジルに逃れていたが、1960年逮捕、同年イスラエルに移送され裁判処刑された。アーレント自身もこの裁判を傍聴し、「イエルサレムのアイヒマン」を執筆する。だがこれ以降彼女は多くの友人を失うことになる。
以下、矢野さんの文章を引用しよう。
「イスラエル首相ベン・グリオンが検事長ハウスナーをとおして展開しようと意図していたのは、「反ユダヤ主義の歴史」であり、「ユダヤ人の苦難の巨大なパノラマ」という「見世物」であったと指摘した。さらにはイスラエルでユダヤ人と非ユダヤ人の結婚を禁止する法律があることを批判した。また、ナチ官僚とユダヤ人組織の協力関係に言及した。アーレントの言葉は、ユダヤ人にナチの犯罪の共同責任を負わせ、イスラエル国家を批判するものと受け止められたのである。・・・さらにアイヒマンを怪物的な悪の権化ではなく思考の欠如した凡庸な男と叙述した・・・」
当時彼女がいたアメリカでは、マッカーシズムが吹き荒れており、「全体主義」への危惧が彼女の中にあった。ことユダヤ人の悲劇だけでなく、少数者の排除に対する恐れと、全体主義への戦いがその孤高の精神に貫かれていると思えた。
哲学が苦手な方にも(私自身がそう)問題なく読める。そして読まれるべき本だと思う。
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