エクアドルの憲法の目玉は、「自然」自体の「権利」を保障している条項だとか。
母なる大地を意味する「パチャママ」は「その存在と維持そして再生を尊重される権利を有する」と書いてあって、恣意的な乱獲を拒めるのだそうな。どこかでお目にかかった、あれれ300年時代が戻っちゃったよというアレと比べると、もしかしたらエクアドルの樹木はわたしたちの権利よりもずいぶん尊重されてる。
高橋源一郎「ぼくらの民主主義なんだぜ」(朝日新書)2015/5/30第一刷 は、朝日に連載した論壇時評をまとめたもので、朝日新聞の読者はよくご存知の内容かもしれない。3.11以降の時事的な評論で、どの部分も全く古びていない。作者が語るというより、その時論壇で(ネットで)読むに値すると判断した書籍、言説を紹介し、それを作者の言葉でうまく「位置づけ」していく手際は見事。極めて刺激的で、一章4pという新聞掲載制限が却って、根気のない自分にも読みやすい本。
以下、幾つかの断片を写してみる。★はとりあえずの感想。
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映画(宮崎駿「風立ちぬ」)の後半、結核で亡くなる妻は、夫である二郎に「あなた、生きて」という。それは、戦争で亡くなったすべての人間が生き残った人びとに贈ったメッセージなのかもしれない、と僕は思った。・・・・
いま、この国では、相手を攻撃することばが飛び交っている。宮崎駿は、過去に遡って告発することばを抑えこみ、肯定的なことばを発することを選んだ。p145
★戦争の悲劇は個人にしか降りかからない。他の言葉を飲み込んで「あなた、生きて」という妻の一言に涙。せめて、戦場に行くのは若い人だから、戦争するかどうかは、若い人が決めたらいい。
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(ハンナ)アーレントは、アイヒマン裁判を傍聴し、彼の罪は「考えない」ことにあると結論づけた。彼は虐殺を知りながら、それが自分の仕事であるからと、それ以上のことを考えようとはしなかった。そこでは、「考えない」ことこそが罪なのである。
わたしたちは、原子力発電の意味について、あるいは、高齢化や人口減少について考えていただろうか。そこになにか問題があることに薄々気づきながら、日々の暮らしに目を奪われ、それがどんな未来に繋がるのかを「考えない」でいたのではないだろうか。p167
★ずっと言われてて、すぐに忘れられていく。ずっとそうだった。原発はおいといて、少子高齢化、老人国家、選挙に行くのは老人だから、政策は老人向きになるに決まってる。いっそ老人は選挙権を返上したらとさえ思う。そうしたら、政策は少し若い人に向きあうように作られるかな。せめて待機児童解消の為に少しの予算を割けるようになるかな。このままだと老人優遇国家→国家破綻は目に見えているよう。我ながら暴論ではありますが。
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誤解を恐れずにいうなら、わたしには、この国の政治が、パートナーに暴力をふるう、いわゆるDV(ドメスティック・バイオレンス)の加害者に酷似しつつあるように思える。彼らは、パートナーを「力」で支配し、経済的な自立を邪魔し、それにもかかわらず自らを「愛する」ように命令するのである。p171
★そのうち愛し方が足りないと、どなりつける政治家がでてくるだろう。学校で国歌斉唱の声が小さいってどなる教育者が昔からいたように。
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フィンランドの、原発からの廃棄物処理施設を描き、大きな話題をよんだ映画「100000年後の安全」に忘れられないシーンがある。その地下施設の中心部で、急進的な反原発派でもある監督が、インタビューアーとして、施設の責任者たちに直接、質問をぶつける。厳しい質問に、時に、彼らは絶句し、苦悩し、それでも逃げることなく答え続けようとしていた。この映画が可能になったのは、「すべて」を見せることを、フィンランド政府がためらわなかったからだろう。
わたしが、原発に反対するフィンランド国民であったとしても、「あなたたちの考え方には反対だけれど、情報の公開をためらわず、誠実に対応してくれてありがとう」といっただろう。そこに存在していたものが民主主義だとするなら、わたしたちの国には、まだ民主主義は存在していないのである。p196
★フィンランドは立派な国だ。でも勿論隠ぺい体質って日本だけじゃない。権力を持つ側の宿痾。どんな小さな組織にもある。年金情報漏洩のドタバタ…特定秘密になったりして。
ところで、一番面白く一番衝撃的だったのは、「従軍慰安婦」に関する論考。ここでは引用しないが、ある意味、そこだけでも読む価値がある。興味があれば一読を。
こんな本を読むと、精神が活性化する。目が覚める。のんびりネットやSNSをやってる場合じゃない。でも週末に山を歩き、週明けに仕事を始めると、またゆっくりと忘却の向こうへ…。愚かなり、我。
読み始めてすぐ、さすがcheezeさんお薦めの本だと思いました。読み易くて、きれぎれの時間に読むことができました。内容は、自分が普通と思っていたことをひっくり返すものであったり、魂から感動を呼び起こす言葉が綴られていたり・・
書評でもあり、この一冊から読みたい本・雑誌等がいろいろ広がって、結局読み切れないままの本がまた増えそうです
高橋源一郎氏のことは、NHKのラジオ金曜朝の「源ちゃんの現代国語」で知ってはいましたが、言葉をいっぱい知ってる面白い小説家という程度でした。この本がベストセラーになりつつあることに(三省堂神保町本店、10日調べ第一位)、大げさですが希望を見出す思いです。
私の場合はここ数年来、「日本はなぜ戦争をしたのか」「なぜ敗戦濃厚となってもやめられなかったのか」といったことやそれに付随したことが知りたいテーマで、ポツポツ読んでいます。もちろん、自分が生きているうちに読める本はたかが知れていますし、
(そこにはつねに、それ以上のことがある。目に見えるそれ、とりあえずの知識で知っているそれ。それ以上のことが、そこにはある。そのことを覚えておきたい。)
・・わけですが。だからこそ、死ぬまで勉強ですね。
(なぜ、「歴史」を学ばねばならないのか。ぼくたちが不完全な、「善きものと悪しきもの」が混じり合った人間だからだ。そして、そのことを、ぼくたちがしょっちゅう忘れてしまうからだ。)
まったく同感です。
ところが、(古市憲寿は、日本人の戦争に関する記憶をたどり、ついに「戦争を知らなくていい」という結論にたどり着く。)
ええっ、と思いましたが、
(「戦後」という時代は、「戦争の体験」を持つ人たちが作り出した。だとするなら、その後に来るのは、受け売りの「戦争の体験」ではなく、自分の、かけがえのない「平和の体験」を持つ人たちが作る時代であるべきだ、という考え方に、ぼくは共感する。)
う~ん、そうなのでしょうけど。
感動したのは、アメリカ人作家スーザン・ソンダクのこと。同時多発テロ後の意見、
(テロの実行者たちを「臆病者」と批判するが、そのことばは彼らにではなく、報復のおそれのない距離・高度から殺戮を行ってきた者(我らの軍隊)の方がふさわしい。欺瞞や妄語はなにも解決しない。現実を隠蔽する物言いは、成熟した民主国家の名を汚すものだ、と。)
(ソンダクのような人間こそが、最高の愛国者ではないかと思う。)
(正しくなければ愛せないのだろうか。ソンダクにとって、祖国アメリカは、「正しさ」と「不正」の入り混じった存在だった。その、矛盾する、等身大のアメリカをこそ彼女は愛した。自称「愛国者」たちは「愛国」がわかっていないのではない。「愛」が何なのかわかっていないのだと、おれは思う。)
「愛」がわかる愛国者が日本でも海外でも増えてほしいと願います。醜い事実も客観的にしっかりと見て。
(民主主義とは、どんなに嫌がっても、主権者から降りられないシステムなのです。)
・・のようですね。これから人生初のデモに参加してきます
kamadamさん、読まれましたか。これはいい本ですねぇ。まだ半年ですが、多分今年読んだ(読む)本のベストの一冊になると確信しています。
3.11以降の日本のこと、いくら言ってもどうしようもないですが、ただただ悔悟の気持です。高橋さんが震災以降にこれを書き始めた訳がよくわかります。心から共感します。
どの論考も素晴らしいですが、私はやはり「従軍慰安婦」のところかな。話題的には古いのでしょうが。
虫けらのように餓死していくわが皇軍と、虫けらのように扱われる従軍慰安婦たち。個々の悲劇が十分に救済されないうちに、一つ一つの死と屈辱が、他人によって政治利用されている。これが現実なのでしょう。
高橋源一郎さん、しばらく耳を傾けたい方ですね。
★人生初のデモ、後日譚にちょっぴり期待
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