去る10月20日に和名倉山(白石山)に行ってきてことは山行記録にアップした。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-236472.html
山頂付近の二瀬分岐という地点に「遭難したら尾根に上がれ。沢には絶対おりるな。」との掲示があった。
普段なら全く気にも留めない掲示であるが、この日は和名倉山で遭難した方が帯同していた甲斐犬が前日に発見されたとのことで捜索隊が入山しており、小生も捜索隊と暫く同一歩調で歩いたこともあり、この掲示が非常に気に掛った。
確かに遭難者が沢沿いで発見されることは多い。そのたびにマスコミは遭難者の知識不足を非難する。
しかし遭難者の多くが知識不足の故に沢沿いで発見されるのであろうか?和名倉山のように距離も長く、渋い山に素人同然の登山者が入山するとは考えにくい。
幸い、小生はこれまで遭難の経験は無いので、遭難がどういう状況で発生し、どのような肉体的精神的状況に陥るのかは判らないが、いくつか考えてみたい。
きつい山行で疲労が溜ってくると何でもない処でもつまづくことがある。たいていの場合は持ちこたえるが、疲労がピークに達するとズッコケてしまうこともあるようだ。小生はそこまでいったことは無いが、このまま荷を背負ったまま歩き続けるのは危険と思われる人のザックを担いで下りたことは何度かある。
つまずいてズッコケたはずみで沢沿いまで転がり落ちることはあるかも知れない。少なくとはずみで尾根に転がり上がることはあり得ない。
又、「道を間違えたかなと思ったら、確実な処まで戻れ。」これも鉄則だ。
登りの途中の間違えは体力的に余裕も有るし、戻り道は下りなので抵抗も少ないが、下山中の道迷いは体力的にも余裕が少なく、登り返すのには心理的な抵抗が大きいようだ。
小生は、単独行か倅を相方とすることが殆どなので、道選びで議論になることは少ないが、迷い込みやすい処は誰にも同じらしく、見ず知らずの御仁と議論になることもある。下山中だと「これは戻った方が良い」と行っても、たいていの返事は「もう少し行ってみる」になる。このような際は独りで戻り、道が見つかった旨を大声で怒鳴ると、大抵戻ってくる。
これなどは疲労がまともな判断力を奪う好例かも知れない。
最後に、水を求めて沢沿いに降りざるを得なくなることがあるのではないだろうか。食糧が不足しても2日3日で動けなくなることはないが、水の場合はそうはいかない。しかしながら、沢が水場として指定されているようなところ以外は、水が見えるところまでは行かれても、水に触れることができる処までは行かれないことが多い。最後に水を口にしてから1日以上経過している。10m下には沢が流れているのがハッキリ見える。このような時に、判っていても沢まで下りてしまう。これが一番の原因ではないだろうか。
疲労を防ぐためには明らかに軽装備の方が優れているが、万一の場合には充分な装備の方が心理的な余裕が違う。この二者は哲学の違いかも知れない。
体力に負担をかけない軽装備と万一に備えての重装備は永遠のテーマであろうが、小生の重装備は当分続きそうだ。
はじめまして
>小生の重装備は当分続きそうだ。
今のところ、私もootonocyanさんに1票です
そうですね。
原則は、尾根に上がる事ですね(一部例外もあります)
その前に、一呼吸をして周りを見渡して冷静に行動する事ですね。
尾根では、携帯も通話可能の場合もありますので。
これからの季節、遭難時の高所登山では「低体温症」や「凍傷」等にならない様に気を付ける事も忘れないでね。
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