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その頃はもう山行記録もつけなくなっていたんで正確な期日は全くわからないが、夏の鹿島槍だったか、マチガ沢東南稜だったか、いずれにせよ随分と時間は経過している。
最盛期は年間50回以上の山行を重ね、それこそ週末に自分のベッドで起きたことは無かった。
金曜日の夜、夜行列車で登山口に向かい、日曜日夜に帰宅。月曜日に会社に行って、火曜日に使った山の道具を出して、水曜日に片付け、木曜日には再びパッキングをし、金曜日にはまた山へ向かうのが一週間のルーチンワークだった。
それこそ夏休みも、正月も山に向かった。あいつの作った雑煮を何回テントで食っただろうか。
沢登りシーズン前は日和田山でロープワーク訓練。
春は清掃登山とゴールデンウィークの春合宿。
夏はアルプス縦走や沢登り。
冬山シーズン前は富士山の雪上訓練。
これが一年のルーチン。
それほどまでに情熱をかけて山と向かい合った。
だのになぜ山を降りたんだろうか。
いまだに未練ではないが、当時の装備は捨てられずに大切にとってある。
そう危険感覚が麻痺してきたからだ。
あのまま、リスキーな登山を続けていたら間違いなく事故を起こしていただろう。
登山は登って無事に帰宅するまでが、その行為となる。所詮、「遊び」の世界である。でも、その「遊び」に、それこそ命をかけて遊んできた。
また、登山という行為は経験が大きなファクターを占める。経験値が上がって行くに従って自分の中に危険感覚が生まれる。
それと同時に危険感覚が麻痺してきた。
「まだ行ける」、「俺らのパーティなら大丈夫」
そんな何も確証のない判断基準があった。
でも山仲間と過ごした時間は本当に貴重なものだった。
もう戻っては来ない。
はじめまして。
私は逆です。
2006年7月、沢で友人を亡くしてからクライミングや厳冬期のアルプスを始めました。
50を目の前にしてからです。
友を「死」に追いやる自分の無知さに腹が立ってのことでした。
自分を危険な場所に置くことで、自然にザイルワークも覚えられました。
これが緩い山をやっていたら、いつまでたっても身に付くことはなかったと思います。
今は人にもザイルワークのセオリーを教えられる様になりました。
まだまだ未熟ですが、死なない山を楽しんでいます。
marcyさん、こんばんは。
1度きりの人生ですから、私も仕事も遊びも全力を尽くしたいと思いながら生活しています。
私は海の趣味の方も死のリスクがありますが、楽しむことと身を守ることに全力を尽くして遊んでいます。
marcyさんは濃密で充実した時間を過ごして、それがかけがえのない思い出になっている。
素晴らしいことだと思います。
citrusさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
色々な価値観と判断基準があるのは至極あたりまえのことです。
ただ、自分は「もう潮時だな」って思ったにすぎません。
ひとつ残念なことは、citrusさんのおっしゃる通り、自分の技術、経験を伝えきれなかったことが心残りです。
これからも気を付けて登ってください。
Araさん、こんにちわ。コメントありがとうございます。
経験値があがれば、それだけ自分の身を守る術も身に付いてくると思います。
ただ、絶対に無理はしないように。無理をすると想定外のリスクが大きくなる可能性があります。
頑張ってください。
marcyさん
marcyさんの技術、経験は受け継いだつもりですよ。
と、いっても自分ももう何年も山から遠ざかっていますが・・・
現役当時、「行ける」「行けない」のせめぎあい、葛藤は常にあったけど、けして確証がないことではなく、わずかでも積み重ねた経験から来る、肌感覚は確かにあったと思います。
今は行けるチャンスはなく、体力の衰えも実感していますが、どうしたら現役に復帰できるかという事もわかっているつもりです。
かつて程のことは出来ないまでも、いつの日かmarcyさんと共に、セミ現役復帰?したいなぁ・・・と思います。
今日はじめて登録したもので・・・カメレスですみません。
イナケン
kenichisさん、あなたはサイコーのザイルパートナーでしたよ。(今は素晴らしいザイルパートナーを得ていますが)
あなたのリードを確保していてこーるがなくても手に取るように分かりました・・・
オイラはあの事故で山を降りる決心をしました・・・
後悔はありませんが、一抹のさみしさはあります。
でも、もう一度あなたとはザイルは結びたいものです・・・
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