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昔みたTVの紹介番組で見ただけなのですが、明治のはじめに日本人で初めて、まだ鎖国をしていたチベットに1人でヒマラヤを越えて入り、梵語の原典となる仏教経典を日本に持ち帰ったという宗教家・探検家の人です。
なにが気にいったと言えば、大阪堺の出身ということもあり、大阪の平野に住む慧海の少年期の話の解説で
「遠く東に見える山並みの向こうになにがあるのか、西に広がる海(空)の向こうになにがあるのか」
と考える人だったと紹介されていたと思うのですが・・
昔のわたしも堺の近くに住んでいたので、とても共感しました。
今の山好きに通じる風土の話でした。
写真は、南海本線の七道駅前の像です。
河口慧海が潜入したのはチベットですね。
ネパールでチベット語を学び、徒歩で単独ヒマラヤ越えを敢行し、ラサのセラ寺で修行しました。
民間医療の心得があった彼は、民衆の支持を受けたそうです。
私も2010年にセラ寺を訪ねましたが、素晴らしい所です。
堺市の出身です、育ったのは阪和線の堺市駅の近くなんですが、叔母が七道駅の近くに住んでいましたので、七道は何回も行っています。調べたら、慧海の銅像が制作されたのは1983年。まだ大阪にいましたが七道に行くこともなくなってしまいました。懐かしい地名です。日記ありがとうございました。
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