新田次郎著 槍ヶ岳開山を読んだ。合わせて富士山頂を読んだ。
これらの小説のレビューはヤマレコに連ねる方々には今更感もあるであろうし、とっくに読んでいる、少なくとも知っているものかと思うものの、自分が感じた感慨を記すことで興味を持つ方が少しでもいれば幸いだと思う。
ヤマレコに連ねる御仁には恥ずかしい限りだが、私は近年まで歴史小説 武田信玄の原作者としてしか知らなかった。
しかし、道の駅 ふじよしだの富士山レーダーや、御殿場の富士樹空の森にできた富士山関連の展示を見るにつけ、新田次郎というペンネームの藤原寛人氏に強く惹かれた。彼の展示は双方にあるからだ。
藤原寛人氏は、かつてプロジェクトXでも特集があったようだが、富士山剣が峰での測候員を勤めたこともあれば、富士山レーダー設置の気象庁側の実質的責任者でもあった。これらを行っただけでも山の先達として尊敬すべき偉人であると思う。
彼はそれだけには留まらず、文筆家として富士山に関わる書物を記録書という体ではなくあくまで小説という体で、道を作った野中夫妻対する「芙蓉の人」、富士の脅威を綴る「怒る富士」、当事者であった富士山レーダー建設に関わる「富士山頂」を執筆している。
自分は富士に3度目に登るに際して思ったことは、江戸期は乗り物などなく、全てを歩いて登った。明治の人は東海道線開通とともに御殿場駅から登った。これとて標高450mほどからの山行であり、今とは比べ物にならないほど困難なものと思う。
ならば富士山麓に住まうものとして、宝永噴火以前は隆盛を誇った富士山麓からの登山をやってこそ達成感が得られる稀有の頂なのではないか?
現在の吉田、富士宮口のあまりに高すぎる登山口の存在は富士を矮小化させてしまったのではないか?ということ。
御殿場より更に低い富士山麓から富士に登ることで得られた柄も言われる達成感は太古から富士に挑んだ先人たちの足跡を追体験できるものとなったと自負している。
そして、そういった富士への向き合い方を行うに至り、笠・槍・富士・剱へ登った先人たちを描いた筆者の小説の中身、山に挑む際の描写への共感、これを書ける筆者への敬意が禁じえないのである。「槍ヶ岳開山」については脚色の強さによる主人公の矮小化など関係者には受け入れがたいものもあるとも聞くが、そこはおいて置いて、一個人としては、自分が文中の主人公たちに身を置き換えた際に何を成し得るか?どんな判断を下すのか?そのようにして読む限りにおいて、登山者として非常に参考になる書物であると感じる。
未読の方には、是非一読願いたいと思う。
即 予約します
最寄の本屋に槍ヶ岳開山と富士山頂がおいてあり、速攻で買いました。
槍ヶ岳開山の執筆時期を見ると驚かされます。富士山レーダー建設の任に着く直前に上祥されたとものだからです。
もし執筆活動に専念された後の作品であればもっと凄い作品になったのかもしれませんし、富士山レーダーの任務に就かずともとっくに凄い著作を書けていたということの証でもあるからです。
富士山頂においては、文筆家としての自分と気象庁技官としての自分との葛藤として描かれており、新田次郎という人を知る上では深みがある著作だといえます。
一読すると富士山頂 剣が峰に行ったとき、レーダー自体は下ろされてもなお気象観測などの拠点として活躍する現場をみて感慨が変わるかとは思います。
それにしても楽隠居しても一向に構わない状況下、気象庁技官としての集大成があの富士山レーダーだというのだからどこまでも恐れ入ります。
装丁が大昔でビックリしました(笑)
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