(はじめに)
さて、12−1章から12−4章までは、九州地方全体の地形、地質概要を説明しました。
この12−5章以降では、九州地方の各地域ごと、もしくは山地ごとの山々の地質を説明します。
この12−5章ではまず、福岡県内、および福岡県と他県との県境付近にある山々で、かつ登山対象となっているような山々の地質を説明します。
12−3章で独自に定義した九州全域の「地質区」区分では、福岡県はほとんど「北部九州地質区・東部ゾーン」に属し、中国地方に類似して、古生代、中生代の地質体が多い場所になります。
この章で出てくる山々は、全国的な知名度は高くなく、また標高も1000m内外の低めの山が多いのですが、福岡市などの都市部から気軽に登れる山として人気のある山々です(文献4)。
(※ 福岡県は地質学的に非常に多岐にわたっていること、
それに加え、筆者にとって馴染み深い山々が多いため、
本章はかなり長い説明になっています。ご了承ください)
この12−5章以降では、九州地方の各地域ごと、もしくは山地ごとの山々の地質を説明します。
この12−5章ではまず、福岡県内、および福岡県と他県との県境付近にある山々で、かつ登山対象となっているような山々の地質を説明します。
12−3章で独自に定義した九州全域の「地質区」区分では、福岡県はほとんど「北部九州地質区・東部ゾーン」に属し、中国地方に類似して、古生代、中生代の地質体が多い場所になります。
この章で出てくる山々は、全国的な知名度は高くなく、また標高も1000m内外の低めの山が多いのですが、福岡市などの都市部から気軽に登れる山として人気のある山々です(文献4)。
(※ 福岡県は地質学的に非常に多岐にわたっていること、
それに加え、筆者にとって馴染み深い山々が多いため、
本章はかなり長い説明になっています。ご了承ください)
1)福智山地とその周辺の地質
福智(ふくち)山地は、北九州市から筑豊地方にかけ、30kmほどの長さで南北に延びている地塁状の小型の山地です。この山地の最高点は福智山(901m)です(文献2−a)。北端の皿倉山から南端の福智山まで縦走路もあります(文献3)。
この山地は小ぶりながら、地質的にはかなり多様です。
この山域の地質概要については、図1もご参照ください。
まず北端には、北九州市(八幡東区)の市街地に隣接した、皿倉山(さらくらやま;622m)があります。この山は観光地化され、ロープウェーや自動車道でも登れる山です。
この一帯の地質を産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、皿倉山の大部分は、白亜紀の堆積岩(砂岩、泥岩、礫岩など)で構成されています。
これは「関門層群(かんもんそうぐん)」と呼ばれる前期白亜紀の前半(145〜125Ma)に形成された淡水性の堆積岩で、その名前のとおり関門海峡の両岸にあたる福岡県北東部と、山口県西部に広く分布している堆積岩系の地質体です。
前期白亜紀には、この一帯は大きな湖だったと推定されています。また、この「関門層群」からは貝類、淡水魚類の化石が多く見つかっており、さらには恐竜化石もわずかですが見つかっています(文献1−a)
福智山地では、稜線を南に進んだ尺岳(しゃくだけ:608m)辺りまで、この「関門層群」の分布域です。
福智山地の北半分では関門層群以外に、皿倉山の山頂部や北九州の市街地部分などあちこちに、前期白亜紀の後半(125〜100Ma)に活動した火山由来の火山岩、貫入岩(安山岩質)や、マグマ溜り由来の深成岩(花崗岩類、閃緑岩)が分布しています。
前期白亜紀の、この一帯の地質学的歴史(地史)としては、穏やかな湖だった時代が続いたのち、火山活動が激しい時代へと変化したようです(文献1−a)。
福智山地の南半分、福智山を含む一帯は一転して、ペルム紀の付加体型の地質体が分布しています。地帯構造区分上は「秋吉帯(あきよしたい)」になります(文献1−b)。
具体的な地質としては、主には泥岩ですが、福智山など一部のピークには、(付加体型の)玄武岩が分布しています。
また、福智山地最南端の香春岳(かわらだけ;509m)付近や、福智山地の東に隣接する「平尾台(ひらおだい)」(カルスト台地)は、ペルム紀に付加した石灰岩が分布しており、香春岳付近では石灰岩が採掘されています。これらの石灰岩体も、「秋吉帯」に含まれる地質体です。
なお(文献2−a)によると、この石灰岩体は白亜紀前期の火成活動の影響で熱変成を受けて、粗粒な結晶質(方解石化)となっている、とのことです。
また福智山地は、地形的には、東西の両側を断層によって区切られた地塁状山地です。
東側の断層は「小倉―田川構造線」と呼ばれていますが、現世では活発な活動はないようです(文献2−a)。
山地西側も断層で区切られており、(文献4)では「福智山断層帯」と呼ばれています。こちらは活動的な断層帯で、主な活動センスが左横ずれである「活断層」とされています(文献4)。
この山地は小ぶりながら、地質的にはかなり多様です。
この山域の地質概要については、図1もご参照ください。
まず北端には、北九州市(八幡東区)の市街地に隣接した、皿倉山(さらくらやま;622m)があります。この山は観光地化され、ロープウェーや自動車道でも登れる山です。
この一帯の地質を産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、皿倉山の大部分は、白亜紀の堆積岩(砂岩、泥岩、礫岩など)で構成されています。
これは「関門層群(かんもんそうぐん)」と呼ばれる前期白亜紀の前半(145〜125Ma)に形成された淡水性の堆積岩で、その名前のとおり関門海峡の両岸にあたる福岡県北東部と、山口県西部に広く分布している堆積岩系の地質体です。
前期白亜紀には、この一帯は大きな湖だったと推定されています。また、この「関門層群」からは貝類、淡水魚類の化石が多く見つかっており、さらには恐竜化石もわずかですが見つかっています(文献1−a)
福智山地では、稜線を南に進んだ尺岳(しゃくだけ:608m)辺りまで、この「関門層群」の分布域です。
福智山地の北半分では関門層群以外に、皿倉山の山頂部や北九州の市街地部分などあちこちに、前期白亜紀の後半(125〜100Ma)に活動した火山由来の火山岩、貫入岩(安山岩質)や、マグマ溜り由来の深成岩(花崗岩類、閃緑岩)が分布しています。
前期白亜紀の、この一帯の地質学的歴史(地史)としては、穏やかな湖だった時代が続いたのち、火山活動が激しい時代へと変化したようです(文献1−a)。
福智山地の南半分、福智山を含む一帯は一転して、ペルム紀の付加体型の地質体が分布しています。地帯構造区分上は「秋吉帯(あきよしたい)」になります(文献1−b)。
具体的な地質としては、主には泥岩ですが、福智山など一部のピークには、(付加体型の)玄武岩が分布しています。
また、福智山地最南端の香春岳(かわらだけ;509m)付近や、福智山地の東に隣接する「平尾台(ひらおだい)」(カルスト台地)は、ペルム紀に付加した石灰岩が分布しており、香春岳付近では石灰岩が採掘されています。これらの石灰岩体も、「秋吉帯」に含まれる地質体です。
なお(文献2−a)によると、この石灰岩体は白亜紀前期の火成活動の影響で熱変成を受けて、粗粒な結晶質(方解石化)となっている、とのことです。
また福智山地は、地形的には、東西の両側を断層によって区切られた地塁状山地です。
東側の断層は「小倉―田川構造線」と呼ばれていますが、現世では活発な活動はないようです(文献2−a)。
山地西側も断層で区切られており、(文献4)では「福智山断層帯」と呼ばれています。こちらは活動的な断層帯で、主な活動センスが左横ずれである「活断層」とされています(文献4)。
2)三郡山地とその周辺の地質
福岡平野の東側、筑豊地方との境をなしているのが、三郡(さんぐん)山地です。
最高峰は三郡山(さんぐんさん;936m)です。また太宰府のすぐ裏手にそびえる宝満山(ほうまんざん:829m)はアクセスが容易なことや、古くから霊山として自然林が多く残っていることもあり、この山地の中では特に人気のある山で、四方八方から登山道が伸びています(文献3)。
その他、この山地の北部にある若杉山(わかすぎやま:681m)も、古い信仰の対象の山で、かつ良く登られる山です(文献3)。
なお地形的には、一般的に「三郡山地」と呼ばれる、「“狭義の“三郡山地」(若杉山〜宝満山)の北側の延長部として、「犬鳴(いぬなき)連峰」や「西山山地」とも呼ばれる(文献3)、500―600mの山地が北北西−南南西方向に伸びています。
また南側(南東側)の延長としては、筑後地方と筑豊地方を分ける800―900m台の山々が連なる「古処(こしょ)山地」((文献3)では、「古処馬見山地(こしょうまみさんち)」と表記)があります。
文献2−a)でもそれらの山々をまとめて「三郡山地」として取り扱っているので、この節では、これらの延長部も「“広義の“三郡山地」として、地質を説明します。また以下では「“広義の”三郡山地」を単に「三郡山地」と記載します。
三郡山地の地質概要については、図2もご参照ください。
さて三郡山地の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、中央部の三郡山や宝満山は、白亜紀の花崗岩で形成されています。実際、宝満山の山頂部付近は、花崗岩の巨岩や岩場があり、古くから信仰の山、修験道の山でもありました(文献3)。
一方、若杉山とその北側の山腹部分(笹栗町:ささぐりまち)付近、及び広義の三郡山地の北部になる犬鳴山(いぬなきやま;587m)、や西山(645m)付近には、古生代(デボン〜ペルム紀;約3.8〜2.7億年前)の高圧型変成岩(結晶片岩類)が、わりとまとまって分布しています。また福岡市東区にあり、福岡市民に馴染み深い、立花山(たちばなやま;367m)付近も同じ地質で形成されています。この地質体は、「三郡―蓮華帯」注1)に属する古い変成岩です(文献1−c)。
この領域ではしばしば蛇紋岩が含まれています。
また地質図をよく見ると、更に古い オルドビス紀〜シルル紀(約4.9〜4.2億年まえ)のハンレイ岩が、断片的に分布しており、三郡―蓮華変成岩類と関連がありそうです。
さて、九州北部や中国地方に分布する高圧型変成岩(結晶片岩類)は、以前はまとめて「三郡帯(さんぐんたい)」、や「三郡変成岩(類)」、と呼ばれていましたが(注1)、その名前の由来が、この若杉山、笹栗町一帯に分布している結晶片岩類です。(文献1−c)
この変成岩は西南日本でもかなり古い部類に属する地質体で、岩質から考えて恐らく付加体由来だと思われますが、詳しいことは解っていません(この段落は私見を含みます)。
狭義の三郡山地の南東延長部(例えば大根地山;おおねちやま、652m)も、白亜紀の花崗岩類が広く分布していますが、その先の古処山(こしょさん;859m)を含む一帯の地質は、一転して、トリアス紀の高圧型変成岩(結晶片岩類)が分布しています。
これらの変成岩は、以前は「三郡帯」として一括されていた変成岩体ですが、現在では「周防帯」に属する変成岩とされています(文献1−c)、(注1)。
変成岩の種類として、主には泥質片岩ですが、古処山、塀山(へいやま;927m)辺りは、石灰岩質の結晶片岩が分布しています。
最高峰は三郡山(さんぐんさん;936m)です。また太宰府のすぐ裏手にそびえる宝満山(ほうまんざん:829m)はアクセスが容易なことや、古くから霊山として自然林が多く残っていることもあり、この山地の中では特に人気のある山で、四方八方から登山道が伸びています(文献3)。
その他、この山地の北部にある若杉山(わかすぎやま:681m)も、古い信仰の対象の山で、かつ良く登られる山です(文献3)。
なお地形的には、一般的に「三郡山地」と呼ばれる、「“狭義の“三郡山地」(若杉山〜宝満山)の北側の延長部として、「犬鳴(いぬなき)連峰」や「西山山地」とも呼ばれる(文献3)、500―600mの山地が北北西−南南西方向に伸びています。
また南側(南東側)の延長としては、筑後地方と筑豊地方を分ける800―900m台の山々が連なる「古処(こしょ)山地」((文献3)では、「古処馬見山地(こしょうまみさんち)」と表記)があります。
文献2−a)でもそれらの山々をまとめて「三郡山地」として取り扱っているので、この節では、これらの延長部も「“広義の“三郡山地」として、地質を説明します。また以下では「“広義の”三郡山地」を単に「三郡山地」と記載します。
三郡山地の地質概要については、図2もご参照ください。
さて三郡山地の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、中央部の三郡山や宝満山は、白亜紀の花崗岩で形成されています。実際、宝満山の山頂部付近は、花崗岩の巨岩や岩場があり、古くから信仰の山、修験道の山でもありました(文献3)。
一方、若杉山とその北側の山腹部分(笹栗町:ささぐりまち)付近、及び広義の三郡山地の北部になる犬鳴山(いぬなきやま;587m)、や西山(645m)付近には、古生代(デボン〜ペルム紀;約3.8〜2.7億年前)の高圧型変成岩(結晶片岩類)が、わりとまとまって分布しています。また福岡市東区にあり、福岡市民に馴染み深い、立花山(たちばなやま;367m)付近も同じ地質で形成されています。この地質体は、「三郡―蓮華帯」注1)に属する古い変成岩です(文献1−c)。
この領域ではしばしば蛇紋岩が含まれています。
また地質図をよく見ると、更に古い オルドビス紀〜シルル紀(約4.9〜4.2億年まえ)のハンレイ岩が、断片的に分布しており、三郡―蓮華変成岩類と関連がありそうです。
さて、九州北部や中国地方に分布する高圧型変成岩(結晶片岩類)は、以前はまとめて「三郡帯(さんぐんたい)」、や「三郡変成岩(類)」、と呼ばれていましたが(注1)、その名前の由来が、この若杉山、笹栗町一帯に分布している結晶片岩類です。(文献1−c)
この変成岩は西南日本でもかなり古い部類に属する地質体で、岩質から考えて恐らく付加体由来だと思われますが、詳しいことは解っていません(この段落は私見を含みます)。
狭義の三郡山地の南東延長部(例えば大根地山;おおねちやま、652m)も、白亜紀の花崗岩類が広く分布していますが、その先の古処山(こしょさん;859m)を含む一帯の地質は、一転して、トリアス紀の高圧型変成岩(結晶片岩類)が分布しています。
これらの変成岩は、以前は「三郡帯」として一括されていた変成岩体ですが、現在では「周防帯」に属する変成岩とされています(文献1−c)、(注1)。
変成岩の種類として、主には泥質片岩ですが、古処山、塀山(へいやま;927m)辺りは、石灰岩質の結晶片岩が分布しています。
注1) (旧)「三郡帯」について、及び「三郡―蓮華帯」の名称について
かなり以前から、九州北部から中国地方にかけて分布する高圧型変成岩(結晶片岩類)はまとめて、「三郡帯」(さんぐんたい)と呼ばれてきました(文献1−c)。
(※ この「三郡(さんぐん)」という名称は、三郡山地やその主峰、三郡山に由来します。)
が、1990年代に、「三郡帯」として一括されていた北部九州・中国地方各地の変成岩について、高精度の変成年代測定が行われ、その結果、3億年前後の変成年代を示すものを「三郡―蓮華帯(さんぐんーれんげたい)」と呼ぶこととなり、2億年前後の変成年代を示すものを「周防帯(すおうたい)」と呼ぶことになり、2区分されました(文献1−c)
なお、ここで「三郡―蓮華帯」と呼ぶ高圧型変成岩が分布する地帯は、文献、図書によっては、「蓮華帯(れんげたい)」や、「飛騨外縁帯(ひだがいえんたい)」とも呼ばれ、呼び方が統一されていないようです。
この連載では、「三郡―蓮華帯」に表記を統一しています。
(※ この「三郡(さんぐん)」という名称は、三郡山地やその主峰、三郡山に由来します。)
が、1990年代に、「三郡帯」として一括されていた北部九州・中国地方各地の変成岩について、高精度の変成年代測定が行われ、その結果、3億年前後の変成年代を示すものを「三郡―蓮華帯(さんぐんーれんげたい)」と呼ぶこととなり、2億年前後の変成年代を示すものを「周防帯(すおうたい)」と呼ぶことになり、2区分されました(文献1−c)
なお、ここで「三郡―蓮華帯」と呼ぶ高圧型変成岩が分布する地帯は、文献、図書によっては、「蓮華帯(れんげたい)」や、「飛騨外縁帯(ひだがいえんたい)」とも呼ばれ、呼び方が統一されていないようです。
この連載では、「三郡―蓮華帯」に表記を統一しています。
3)背振山地(県境稜線部)、及び福岡平野周辺の地質
背振山地は、福岡県と佐賀県の県境にあり、ひし形状の形状をした、500−1000m前後の標高の山地です。最高点は脊振山(せふりさん;1055m)です。玄界灘側と有明海側との分水嶺はかなり北辺に偏っており、その分水嶺は福岡/佐賀県の県境ともなっています。
この県境稜線部には、福岡市に近いこともあって登山対象となっている山々が多くあります(文献3)。稜線部の山々の多くからは北側に福岡平野、糸島平野、玄界灘が眺められ、展望が優れているのも、登山対象の山が多い要素だと思います。
なお、東隣りの三郡山地との間は、「福岡―二日市断層(系)」という断層が走っていて(文献2−a)、それによって両山地は分かれてしまっていますが、地質的にはかなり類似しています。
背振山地主要部の地質概要は、図3もご参照ください。
さて産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、背振山地のうち、佐賀県側の大部分、および県境稜線部のかなりの部分は、隣の三郡山地に見られたのと同じ、白亜紀(約145−66Ma)の花崗岩類でできています(細かく言うと、前期白亜紀の「花崗閃緑岩」と、後期白亜紀の「(狭義の)花崗岩」の2種が分布していますが、見た目での区別はつきにくいです)
例えば背振山、九千部山(くせんぶやま;848m)、羽金山(はがねやま:900m)、県境稜線部西端の、浮嶽(うきだけ:805m)や十防山(とんぼやま;535m)などが、山頂部まで花崗岩類でできた山です。
稜線部にはあちこちに花崗岩の岩が露出しています。例えば十防山の山頂には「坊主岩」という花崗岩の巨石があります(文献3)。
一方、県境稜線部の一部、雷山(らいざん:955m)の山頂部付近や、その東隣りの井原山(いはらやま;982m)の北側山腹にかけては、高圧型変成岩である結晶片岩類(主には苦鉄質片岩で、一部に石灰質片岩、泥質片岩)と、多少の蛇紋岩が分布しています。また金山(かなやま:967m)も、山体のほとんどが花崗岩ですが、山頂部のごく狭い範囲には、ルーフペンダント状に結晶片岩が分布しています((文献2−a)にも同様の記載あり)。
(図3もご参照ください)
分布形状から見て、元々は構造的上位にこの結晶片岩類があって、構造的下部に花崗岩類があると推測できます。それがこの背振山地の隆起によって上部にある結晶片岩は徐々に浸食、剥離を受け、わずかな残りが、雷山周辺に残存していると考えられます(この段落は私見です)。
この背振山地の変成岩は、白亜紀に形成された花崗岩の元となったマグマの熱によって熱変成を受けており、正確な高圧型変成年代は不明確のようですが(文献1−c)、産総研「シームレス地質図v2」では変成年代を「後期デボン紀〜前期ペルム紀」としており、この地域の結晶片岩類も「三郡―蓮華帯」の変成岩と推定されます。また(文献5―a)でも同様の見解です。
つまり、東隣の三郡山地に分布している「三郡―蓮華帯」の変成岩の西方延長部と考えられます。
なお、背振山地から福岡平野へと突き出して、福岡市民にはおなじみの油山(あぶらやま;597m)は、背振山地主要部と同じく、前期白亜紀の花崗岩でできています。
また福岡平野と前原平野との境をなしている低い山稜を構成している山々、例えば叶岳(かのうだけ:341m)、高祖山(たかすやま:419m)なども、同じく花崗岩でできている山々です。
この県境稜線部には、福岡市に近いこともあって登山対象となっている山々が多くあります(文献3)。稜線部の山々の多くからは北側に福岡平野、糸島平野、玄界灘が眺められ、展望が優れているのも、登山対象の山が多い要素だと思います。
なお、東隣りの三郡山地との間は、「福岡―二日市断層(系)」という断層が走っていて(文献2−a)、それによって両山地は分かれてしまっていますが、地質的にはかなり類似しています。
背振山地主要部の地質概要は、図3もご参照ください。
さて産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、背振山地のうち、佐賀県側の大部分、および県境稜線部のかなりの部分は、隣の三郡山地に見られたのと同じ、白亜紀(約145−66Ma)の花崗岩類でできています(細かく言うと、前期白亜紀の「花崗閃緑岩」と、後期白亜紀の「(狭義の)花崗岩」の2種が分布していますが、見た目での区別はつきにくいです)
例えば背振山、九千部山(くせんぶやま;848m)、羽金山(はがねやま:900m)、県境稜線部西端の、浮嶽(うきだけ:805m)や十防山(とんぼやま;535m)などが、山頂部まで花崗岩類でできた山です。
稜線部にはあちこちに花崗岩の岩が露出しています。例えば十防山の山頂には「坊主岩」という花崗岩の巨石があります(文献3)。
一方、県境稜線部の一部、雷山(らいざん:955m)の山頂部付近や、その東隣りの井原山(いはらやま;982m)の北側山腹にかけては、高圧型変成岩である結晶片岩類(主には苦鉄質片岩で、一部に石灰質片岩、泥質片岩)と、多少の蛇紋岩が分布しています。また金山(かなやま:967m)も、山体のほとんどが花崗岩ですが、山頂部のごく狭い範囲には、ルーフペンダント状に結晶片岩が分布しています((文献2−a)にも同様の記載あり)。
(図3もご参照ください)
分布形状から見て、元々は構造的上位にこの結晶片岩類があって、構造的下部に花崗岩類があると推測できます。それがこの背振山地の隆起によって上部にある結晶片岩は徐々に浸食、剥離を受け、わずかな残りが、雷山周辺に残存していると考えられます(この段落は私見です)。
この背振山地の変成岩は、白亜紀に形成された花崗岩の元となったマグマの熱によって熱変成を受けており、正確な高圧型変成年代は不明確のようですが(文献1−c)、産総研「シームレス地質図v2」では変成年代を「後期デボン紀〜前期ペルム紀」としており、この地域の結晶片岩類も「三郡―蓮華帯」の変成岩と推定されます。また(文献5―a)でも同様の見解です。
つまり、東隣の三郡山地に分布している「三郡―蓮華帯」の変成岩の西方延長部と考えられます。
なお、背振山地から福岡平野へと突き出して、福岡市民にはおなじみの油山(あぶらやま;597m)は、背振山地主要部と同じく、前期白亜紀の花崗岩でできています。
また福岡平野と前原平野との境をなしている低い山稜を構成している山々、例えば叶岳(かのうだけ:341m)、高祖山(たかすやま:419m)なども、同じく花崗岩でできている山々です。
4)筑後地方の山々(耳納山地、筑肥山地、津江山地)の地質
福岡県筑後地方の東部は、大分県との県境付近まで、500−1200m程度の山々がまとまった分布をしており、全体は(広義の)「筑肥(ちくひ)山地」と呼ばれます。
(広義の)筑肥山地を細かく分ける場合は、「耳納(みのう)山地、(狭義の)「筑肥山地」、「津江(つえ)山地」と呼びます。以下、細分化した山地ごとに、その地質と地形について説明します。
なお(狭義の)「筑肥山地」と「津江山地」の地質概要については、図4もご参照ください。
(広義の)筑肥山地を細かく分ける場合は、「耳納(みのう)山地、(狭義の)「筑肥山地」、「津江(つえ)山地」と呼びます。以下、細分化した山地ごとに、その地質と地形について説明します。
なお(狭義の)「筑肥山地」と「津江山地」の地質概要については、図4もご参照ください。
4−1)耳納山地 (水縄山地)
広義の筑肥山地のうち、久留米市の東部から東へと東西に長い稜線が続いており、耳納山地(注2)と呼ばれます。(文献2−b)。
この山地は、筑紫平野の北部(例えば筑紫野市)から望むと、壁のように見えます。また西側(例えば佐賀市)から望むと、山稜の北側が急斜面となって筑後平野へと向かっているのが良く解ります。
(文献2−b)及び(文献4−b)によると、この山地は、山稜の北辺に、東西に延びる断層(系)によって形成された傾動山地です。その断層は「水縄断層(帯」」注2)と呼ばれる活断層で、活動センスは北側落ちの正断層型です。北側の筑紫平野では、基盤岩が地下500mまで落ち込んでおり、トータルの垂直変位量は1500mに達します。この活断層(帯)は西暦679年に起きた「筑紫地震」(※文献によっては「筑紫の国地震」と表記)の震源断層だと推定されています(注3)。
「水縄断層(帯)」は、東西走向であることと、正断層であることから見て、地形上の「中部九州地域」(12−1章)に多数分布する、「別府―島原地溝帯」内の東西走向の正断層と同じく、九州を南北に広げるように働いている広域応力場によって形成された断層だと思われます(この段落は私見です)
さて耳納山地とその南側辺りの地質は、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、ほぼ全てトリアス紀の高圧型変成岩(主に泥質片岩)で形成されています。
筑紫平野を間に挟んだ古処山地にも「周防帯」に属する高圧型変成岩が分布しているところから見ると、この間の筑紫平野の地下にもこの高圧型変成岩が広がっているように思われます(この段落は私見です)。
注2)「みのうさんち」の漢字表記には、「耳納山地」と「水縄山地」との2つがあり、一般的な地図でも両者が併記されていることが多いです。この章では「耳納山地」という表記で統一します。
一方、この山地の北辺断層の漢字表記は、「水縄断層」で統一されているようですので、それに従いました。
注3)この西暦679年の地震は、文献2−b)によると、「日本書紀」に書かれているそうです。
この山地は、筑紫平野の北部(例えば筑紫野市)から望むと、壁のように見えます。また西側(例えば佐賀市)から望むと、山稜の北側が急斜面となって筑後平野へと向かっているのが良く解ります。
(文献2−b)及び(文献4−b)によると、この山地は、山稜の北辺に、東西に延びる断層(系)によって形成された傾動山地です。その断層は「水縄断層(帯」」注2)と呼ばれる活断層で、活動センスは北側落ちの正断層型です。北側の筑紫平野では、基盤岩が地下500mまで落ち込んでおり、トータルの垂直変位量は1500mに達します。この活断層(帯)は西暦679年に起きた「筑紫地震」(※文献によっては「筑紫の国地震」と表記)の震源断層だと推定されています(注3)。
「水縄断層(帯)」は、東西走向であることと、正断層であることから見て、地形上の「中部九州地域」(12−1章)に多数分布する、「別府―島原地溝帯」内の東西走向の正断層と同じく、九州を南北に広げるように働いている広域応力場によって形成された断層だと思われます(この段落は私見です)
さて耳納山地とその南側辺りの地質は、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、ほぼ全てトリアス紀の高圧型変成岩(主に泥質片岩)で形成されています。
筑紫平野を間に挟んだ古処山地にも「周防帯」に属する高圧型変成岩が分布しているところから見ると、この間の筑紫平野の地下にもこの高圧型変成岩が広がっているように思われます(この段落は私見です)。
注2)「みのうさんち」の漢字表記には、「耳納山地」と「水縄山地」との2つがあり、一般的な地図でも両者が併記されていることが多いです。この章では「耳納山地」という表記で統一します。
一方、この山地の北辺断層の漢字表記は、「水縄断層」で統一されているようですので、それに従いました。
注3)この西暦679年の地震は、文献2−b)によると、「日本書紀」に書かれているそうです。
4−2)筑肥山地(狭義)と津江山地の地質
福岡県筑後地方のうち、八女(やめ)市、大牟田市の東側、さらに熊本県との県境部まで広がるやや標高の低めな山地は、(狭義の)「筑肥山地(ちくひさんち)」と呼ばれます。
その更に東部は標高が徐々に高くなり、大分県との県境付近には、釈迦岳(しゃかだけ;1231m)、御前岳(ごぜんだけ:1209m)などがあります。(なお釈迦岳は福岡県の最高峰)。
このやや標高の高い部分は、大分県側の地名を取って「津江(つえ)山地」とも呼ばれます。
登山対象となっている主な山は、津江山地の釈迦岳、御前岳あたりが主です。西側の低山領域はあまり登山対象となっている山はないようです(文献3)。
この節では、狭義の筑肥山地と津江山地の地質について説明します。
この山域の地質概要については、図3もご参照ください。
(狭義の)筑肥山地の地質は、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、前節で述べた「周防帯」に属する、トリアス紀の高圧型変成岩(主に泥質片岩)が分布しています。
一方、標高の高めな東部の津江山地には、主に新第三紀の鮮新世(約7.2〜2.6Ma)の安山岩質の火山岩が分布しています。
地形図と地質図とを詳細に見ると、津江山地の部分には、「周防帯」の変成岩が構造的下位に分布しており、その構造的上位に、新第三紀に噴出した火山岩が乗っかっているようです(この段落は私見です)。
また、筑肥山地のうち、福岡/熊本県との県境付近から熊本県山鹿(やまが)市付近には、産総研「シームレス地質図v2」でによると、古生代(オルドビス紀〜シルル紀;約4.9−4.2億年前)という形成年代(変成年代?)とされているハンレイ岩(深成岩の一種)が分布しています。
周辺部の「周防帯」の高圧型変成岩とは、断層で区切られているようです。いずれにしろ、日本列島では相当に古い部類の地質体です。
またハンレイ岩という深成岩は、火山岩である玄武岩に対応する深成岩であるとともに、海洋地殻の下部を構成している岩石ですが、日本列島での分布は比較的少ない岩石です。
この岩体について、(文献1)では特に触れられていませんが、(文献5−b)では、この岩体を「山鹿(やまが)変斑れい岩」という固有名称で呼んでいます。ハンレイ岩が高圧型変成作用を受けて変ハンレイ岩(変成ハンレイ岩)となっており、変成年代として、約300−480Maというデータが得られています。
そこで(文献ー5−b)では、「三郡−蓮華帯の変成岩、もしくは周防帯の変成岩と対比可能な岩体と考えられる」、との記載があります。
以下、あくまで私見ですが、このハンレイ岩体は、その変成年代から考えると、「周防帯」ではなく、「三郡―蓮華帯」との関連が深いと思われます。
また本章の第2)節でも触れたように、三郡山地北部の「三郡―蓮華帯」の変成岩分布域の中にも断片的に、同時代のハンレイ岩体が分布していることも、「山鹿変斑れい岩体」が「三郡―蓮華帯」と関連する地質体であるという推定を補強します。
但し、この「山鹿変斑れい岩」分布域は、三郡山地北部の「三郡―蓮華帯」分布域からは約60kmも南に離れて孤立しており、謎が多い岩体です。
時代は不詳ですがある時代に、いわゆる「ナップ」として、この岩体が南方へ移動し、「周防帯」変成岩の構造的上位に位置した、という可能性も考えられると思います。
その更に東部は標高が徐々に高くなり、大分県との県境付近には、釈迦岳(しゃかだけ;1231m)、御前岳(ごぜんだけ:1209m)などがあります。(なお釈迦岳は福岡県の最高峰)。
このやや標高の高い部分は、大分県側の地名を取って「津江(つえ)山地」とも呼ばれます。
登山対象となっている主な山は、津江山地の釈迦岳、御前岳あたりが主です。西側の低山領域はあまり登山対象となっている山はないようです(文献3)。
この節では、狭義の筑肥山地と津江山地の地質について説明します。
この山域の地質概要については、図3もご参照ください。
(狭義の)筑肥山地の地質は、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、前節で述べた「周防帯」に属する、トリアス紀の高圧型変成岩(主に泥質片岩)が分布しています。
一方、標高の高めな東部の津江山地には、主に新第三紀の鮮新世(約7.2〜2.6Ma)の安山岩質の火山岩が分布しています。
地形図と地質図とを詳細に見ると、津江山地の部分には、「周防帯」の変成岩が構造的下位に分布しており、その構造的上位に、新第三紀に噴出した火山岩が乗っかっているようです(この段落は私見です)。
また、筑肥山地のうち、福岡/熊本県との県境付近から熊本県山鹿(やまが)市付近には、産総研「シームレス地質図v2」でによると、古生代(オルドビス紀〜シルル紀;約4.9−4.2億年前)という形成年代(変成年代?)とされているハンレイ岩(深成岩の一種)が分布しています。
周辺部の「周防帯」の高圧型変成岩とは、断層で区切られているようです。いずれにしろ、日本列島では相当に古い部類の地質体です。
またハンレイ岩という深成岩は、火山岩である玄武岩に対応する深成岩であるとともに、海洋地殻の下部を構成している岩石ですが、日本列島での分布は比較的少ない岩石です。
この岩体について、(文献1)では特に触れられていませんが、(文献5−b)では、この岩体を「山鹿(やまが)変斑れい岩」という固有名称で呼んでいます。ハンレイ岩が高圧型変成作用を受けて変ハンレイ岩(変成ハンレイ岩)となっており、変成年代として、約300−480Maというデータが得られています。
そこで(文献ー5−b)では、「三郡−蓮華帯の変成岩、もしくは周防帯の変成岩と対比可能な岩体と考えられる」、との記載があります。
以下、あくまで私見ですが、このハンレイ岩体は、その変成年代から考えると、「周防帯」ではなく、「三郡―蓮華帯」との関連が深いと思われます。
また本章の第2)節でも触れたように、三郡山地北部の「三郡―蓮華帯」の変成岩分布域の中にも断片的に、同時代のハンレイ岩体が分布していることも、「山鹿変斑れい岩体」が「三郡―蓮華帯」と関連する地質体であるという推定を補強します。
但し、この「山鹿変斑れい岩」分布域は、三郡山地北部の「三郡―蓮華帯」分布域からは約60kmも南に離れて孤立しており、謎が多い岩体です。
時代は不詳ですがある時代に、いわゆる「ナップ」として、この岩体が南方へ移動し、「周防帯」変成岩の構造的上位に位置した、という可能性も考えられると思います。
5)英彦山とその周辺の山々
福岡県の筑豊地方の南東部、大分県の北西部との県境付近に、修験道の山として古くから知られる英彦山(ひこさん:1200m)があります(文献3)。
英彦山の山頂部、中腹部や、その近くの岩峰群である鷹ノ巣山(たかのすやま;3つの岩峰群からなる)あたりには、岩峰や岩壁があちこちにあります。そのために修験道の山となったと思われます。
(図5 英彦山付近の地形図もご参照ください)
さらに県境を東へたどると、犬ヶ岳(1131m)や、求菩提山(くぼてさん;782m)といった山々がありますが、この付近も岩っぽい山容です。特に求菩提山は「突兀(とっこつ)とした」という表現にぴったりな岩峰状の山です。求菩提山もまた修験道の山です(文献4)。
この英彦山付近の地質は、産総研「シームレス地質図v2」では、大分県側の耶馬渓(やばけい)地域を含め、全て新第三紀 中新世末〜鮮新世(約7.2―2.6Ma)の安山岩質の火山岩で占められていると、割とざっくりと表示されています。
一方(文献1−d)には、もう少し詳しい記載があり、英彦山付近の火山岩は、新第三紀 鮮新世の、約4.9−3.9Maに活動した火山の噴出物とされています。
また(文献2―c)でも、もう少し詳しい記載があり、英彦山付近では3回の火山活動があり、そのうち英彦山、犬が岳などの山頂部を含む部分は、約4−3Maの溶岩ドームや溶岩流で形成されている、と記載されています。
つまり英彦山とその周辺の火山性の山々は、第四紀よりひとつ前の時代である新第三紀 漸新世(5.3−2.6Ma)に活動した火山群であり、それらの火山噴出物の浸食が進んで、現在のような岩っぽい山容になったと考えられます。
なお英彦山地域より南東部、大分県の耶馬渓(やばけい)地域に分布する火山岩は、(文献2−d)によると、現在のくじゅう連山の近くにあった猪牟田(いむた)カルデラ火山からの火砕流堆積物(溶結凝灰岩)で形成されている、と説明されています。
猪牟田カルデラ火山の最新活動は約100万年前(=1Ma)と推定されており、そうすると英彦山地域とは火山岩の供給源も時代も違うことになります。
※ “Ma”は、百万年前を意味する単位
英彦山の山頂部、中腹部や、その近くの岩峰群である鷹ノ巣山(たかのすやま;3つの岩峰群からなる)あたりには、岩峰や岩壁があちこちにあります。そのために修験道の山となったと思われます。
(図5 英彦山付近の地形図もご参照ください)
さらに県境を東へたどると、犬ヶ岳(1131m)や、求菩提山(くぼてさん;782m)といった山々がありますが、この付近も岩っぽい山容です。特に求菩提山は「突兀(とっこつ)とした」という表現にぴったりな岩峰状の山です。求菩提山もまた修験道の山です(文献4)。
この英彦山付近の地質は、産総研「シームレス地質図v2」では、大分県側の耶馬渓(やばけい)地域を含め、全て新第三紀 中新世末〜鮮新世(約7.2―2.6Ma)の安山岩質の火山岩で占められていると、割とざっくりと表示されています。
一方(文献1−d)には、もう少し詳しい記載があり、英彦山付近の火山岩は、新第三紀 鮮新世の、約4.9−3.9Maに活動した火山の噴出物とされています。
また(文献2―c)でも、もう少し詳しい記載があり、英彦山付近では3回の火山活動があり、そのうち英彦山、犬が岳などの山頂部を含む部分は、約4−3Maの溶岩ドームや溶岩流で形成されている、と記載されています。
つまり英彦山とその周辺の火山性の山々は、第四紀よりひとつ前の時代である新第三紀 漸新世(5.3−2.6Ma)に活動した火山群であり、それらの火山噴出物の浸食が進んで、現在のような岩っぽい山容になったと考えられます。
なお英彦山地域より南東部、大分県の耶馬渓(やばけい)地域に分布する火山岩は、(文献2−d)によると、現在のくじゅう連山の近くにあった猪牟田(いむた)カルデラ火山からの火砕流堆積物(溶結凝灰岩)で形成されている、と説明されています。
猪牟田カルデラ火山の最新活動は約100万年前(=1Ma)と推定されており、そうすると英彦山地域とは火山岩の供給源も時代も違うことになります。
※ “Ma”は、百万年前を意味する単位
(参考文献)
文献1) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第8巻 九州・沖縄地方」朝倉書店 刊 (2010)
文献1―a) 文献1)のうち、
第4部「(九州地方の)中・古生界」の、
4−3−1節 「関門層群」の項、
図4.3.1「九州北部における関門層群の分布概略図」及び、
図4.3.5「(関門層群)脇野亜層群の堆積モデル」
文献1−b) 文献1)のうち、
第4部「(九州地方の)中・古生界」の、
4−2−1節 「秋吉帯ペルム紀付加体」の項、及び
図4.2.1「北部九州における秋吉帯古生界の分布概略」
文献1−c) 文献1)のうち、
第7部「(九州地方の)変成岩」の、
7−2−1節 「三郡変成岩」及び、
図7−2−1「北部九州における いわゆる“三郡変成岩”の分布図」
図7−2−2「西南日本内帯における いわゆる“三郡変成帯”の分布図と
年代測定値」
文献1−d) 文献1)のうち、
第3−6章「(九州地方の)後期新生代の火山岩類」の、
3−6−3項「中部九州、別府―島原地溝に関わる火山岩類」の項
文献2) 町田、太田、河名、森脇、長岡 編
「日本の地形 第7巻 九州・南西諸島」 東京大学出版会 刊 (2001)
文献2−a) 文献2のうち、
第2−4章「北部九州の海岸地形と筑紫山地」の、
2−4−(5)節 「筑紫山地」の項
文献2−b) 文献2)のうち、
第2−9章「水縄(みのう)・筑肥山地と水縄断層」の項
文献2−c) 文献2)のうち、
2−3−(1)項 「英彦山」の項
文献2−d) 文献2)のうち、
2−2章「別府―島原地溝帯中心部の火山群」の、
2−2−(1)―1)項「耶馬渓火砕流堆積物と猪牟田(いむた)カルデラ」の項、
及び、図2.2.2「耶馬渓・今市火砕流堆積物の分布」
文献3)五十嵐、日野、内田、林田 共著
「分県登山ガイド 39巻 福岡県の山」山と渓谷社 刊 (2016)
文献4)インターネットサイト
(政府)「地震対策推進本部・地震本部」 編
「都道府県ごとの地震活動」>「九州・沖縄地方の地震活動の特徴」の項(マップ)
2022年4月 閲覧
文献4−a) 文献4)のうち
「福智山断層帯」の項
https://www.jishin.go.jp/regional_seismicity/rs_katsudanso/reg_kyushu_02_fukuchiyama/
文献4−b) 文献4)のうち
「水縄断層」の項
https://www.jishin.go.jp/regional_seismicity/rs_katsudanso/f094_minou/
文献5) 星住、尾崎、宮崎、ほか
「20万分の1地質図版「熊本」」(解説)
産総研 地質調査総合センター 刊(2004)
文献5−a) 文献5)のうち
3−4項 「変成岩類」の項
文献5−b) 文献5)のうち、
3−3項 「山鹿変斑れい岩」の項
https://www.gsj.jp/data/200KGM/PDF/GSJ_MAP_G200_NI5211_2004_D.pdf
「日本地方地質誌 第8巻 九州・沖縄地方」朝倉書店 刊 (2010)
文献1―a) 文献1)のうち、
第4部「(九州地方の)中・古生界」の、
4−3−1節 「関門層群」の項、
図4.3.1「九州北部における関門層群の分布概略図」及び、
図4.3.5「(関門層群)脇野亜層群の堆積モデル」
文献1−b) 文献1)のうち、
第4部「(九州地方の)中・古生界」の、
4−2−1節 「秋吉帯ペルム紀付加体」の項、及び
図4.2.1「北部九州における秋吉帯古生界の分布概略」
文献1−c) 文献1)のうち、
第7部「(九州地方の)変成岩」の、
7−2−1節 「三郡変成岩」及び、
図7−2−1「北部九州における いわゆる“三郡変成岩”の分布図」
図7−2−2「西南日本内帯における いわゆる“三郡変成帯”の分布図と
年代測定値」
文献1−d) 文献1)のうち、
第3−6章「(九州地方の)後期新生代の火山岩類」の、
3−6−3項「中部九州、別府―島原地溝に関わる火山岩類」の項
文献2) 町田、太田、河名、森脇、長岡 編
「日本の地形 第7巻 九州・南西諸島」 東京大学出版会 刊 (2001)
文献2−a) 文献2のうち、
第2−4章「北部九州の海岸地形と筑紫山地」の、
2−4−(5)節 「筑紫山地」の項
文献2−b) 文献2)のうち、
第2−9章「水縄(みのう)・筑肥山地と水縄断層」の項
文献2−c) 文献2)のうち、
2−3−(1)項 「英彦山」の項
文献2−d) 文献2)のうち、
2−2章「別府―島原地溝帯中心部の火山群」の、
2−2−(1)―1)項「耶馬渓火砕流堆積物と猪牟田(いむた)カルデラ」の項、
及び、図2.2.2「耶馬渓・今市火砕流堆積物の分布」
文献3)五十嵐、日野、内田、林田 共著
「分県登山ガイド 39巻 福岡県の山」山と渓谷社 刊 (2016)
文献4)インターネットサイト
(政府)「地震対策推進本部・地震本部」 編
「都道府県ごとの地震活動」>「九州・沖縄地方の地震活動の特徴」の項(マップ)
2022年4月 閲覧
文献4−a) 文献4)のうち
「福智山断層帯」の項
https://www.jishin.go.jp/regional_seismicity/rs_katsudanso/reg_kyushu_02_fukuchiyama/
文献4−b) 文献4)のうち
「水縄断層」の項
https://www.jishin.go.jp/regional_seismicity/rs_katsudanso/f094_minou/
文献5) 星住、尾崎、宮崎、ほか
「20万分の1地質図版「熊本」」(解説)
産総研 地質調査総合センター 刊(2004)
文献5−a) 文献5)のうち
3−4項 「変成岩類」の項
文献5−b) 文献5)のうち、
3−3項 「山鹿変斑れい岩」の項
https://www.gsj.jp/data/200KGM/PDF/GSJ_MAP_G200_NI5211_2004_D.pdf
このリンク先の、12−1章の文末には、第12部「九州地方の山々の地質」の各章へのリンク、及び、「序章―1」へのリンク(序章―1には、本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第12部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
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【書記事項】
初版リリース;2022年4月16日
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