横尾尾根 (一のガリー?から稜線まで往復)
- GPS
- 14:16
- 距離
- 23.3km
- 登り
- 2,177m
- 下り
- 2,240m
コースタイム
天候 | 二日間ともに快晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2017年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
雪不足の去年とは打って変わって大量の雪がありました。 上高地ー明神 ハイキングコースは雪なし。湿地の木道は雪に埋もれていて危険。 明神ー徳澤 雪あり、朝はアイスバーン化にややお気をつけください。 徳澤ー横尾 雪あり、雪崩あとなど、ほんのちょっと滑落が怖い箇所がありました。新村橋を渡って、治山および横尾山荘関係者用の車道を歩くと雪はありません。ただこれが認められているかどうかは微妙なところです。 横尾ー本谷橋 横尾大橋からすぐに雪がかなり積もってました。融雪が進んでいて踏み抜きで結構体力を消耗するので、わかんを用意すると楽です。 本谷橋は4月23日の段階では、橋の資材も完全に雪の中です。このままだと連休には架橋されない可能性もあります。23日の雪の状態でしたらでしたら、川沿いにさらに歩いて、本谷出合から川の上に積もった雪の上を歩いて(もちろん落ちれば大変です)涸沢へ登るルートが楽ではないかと感じました。なお、例年ですとこれは橋が架からないかなと思っても涸沢ヒュッテ、涸沢小屋の開業に合わせて架橋されているようです。ただ本谷橋ー本谷出合で川がまったく見えなかったのはここ4年のGWの中では初の経験でした。 下山者に伺うと、奥穂方面も日中は雪が融けかけていて歩きづらく、また危険も感じたとのことでした。奥穂登頂組の多くは夜明け前にアタックを開始して、朝の雪が締まっている時間帯に涸沢まで下山してしまったようです。。 横尾尾根も、雪が多いのと、雪が積もって日が経っているのでラッセルの必要もなく、アプローチにはかなりいい条件だと思います。筆者は(たぶん)一のガリーから 上がったのですが、二のガリー、三のガリーも上部までしっかり雪が積もっているようです。さらにその先も、昨年筆者が撤退した本谷橋あたりまで使えそうな気配でした。難点は日が高くなると雪が融けて滑ることと、最悪雪崩の危険もあるということです。 稜線はガリーに比べると雪も少なめで締まっており、比較的楽に歩けました。 |
その他周辺情報 | 明神、徳澤、横尾の山小屋は準備中でした。トイレは明神は閉鎖中、徳澤では冬季用トイレのみ、横尾はトイレが使用可能でした。22日には横尾の水場が雪に埋もれていましたが、23日には水場が掘り出されていたので、連休中には水の供給も始まるかもしれません。 |
写真
装備
備考 | 日やけどめ、サングラスは必須です。 圧雪の切り出しに、スコップよりもスノーソーが便利です。かさばらないのでスコップと併用すると風よけや雪洞、イグルー作りがはかどります。 |
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感想
2016年に始めて横尾尾根に挑んだときは悔いのある撤退だった。
撤退自身はいつだってあることだが、時間も、体力も、可能性も残っていたのにやめてしまったことが悔やまれるのだ。今回は時間が許す限り可能性を模索し、気象的、体力的に一瞬でも稜線に立てる可能性がある限りはあちこち取り付いてやろうという気持ちだった。
昨年は研究不足でもあった。稜線の見た目の急峻さから、2、3のガリーの取り付きを見送り、本谷橋辺りから取り付こうとした。岩が出ていて登りやすそうだという誤った判断もあった。実際には2016年のように雪の少ない年には本谷橋辺りからの取り付きは逆に難しいらしい。稜線のアップダウンはきつそうでも、とにかく2、3のガリーあたりで潅木が少なめで、雪が稜線まで残っていそうなところを見つけてのところがあればそこから取り付こう。
今年も雪のない春になるかと思った。正月に奥鬼怒に出かけたときは、4駆でないときついといわれたエリアの雪がまるでなかったのだ。雪の中の立ち往生を嫌って公共交通機関を使ったのであるが、マイカーにすればよかったなどと後悔していた。しかし、正月過ぎてからずいぶんと雪が降り、結果的に今年は上高地エリアとしても雪の非常に多い春を迎えた。
2016年は横尾の先まで夏道状態であったが、今年は明神を過ぎた辺りから残雪が現れた。徳沢はまだ雪原だった。昨年ここにツエルト泊した時には、雪などまるでなかったことがうそのようだ。
徳沢を過ぎると、つぼ足では少々難しい凍った雪道になり、中途から夏道をあきらめて梓川沿いの治山道路に下りた。後からわかったことだが、新村橋を渡り、治山道路沿いに横尾までかわら沿いの道をあるのが歩きやすいルートのようだ。
徳沢から横尾までの道すがら、屏風岩越しに徐々に目に入る横尾尾根の姿に血が逆流してくる。今年は何とか、末端でもいいからあの稜線に立ちたい。(そしていつか機会があれば、横尾尾根の向こうにある赤沢山の頂を踏みたい)という思いを新たにして、中間地点横尾山荘へと急いだ。
横尾山荘には無料の水場があるが、完全に雪に埋没していた。トイレも一棟は雪の中だったが、もう一棟がオープンしていて、救われた。ここから先、トイレはない。水をくめないのが少々痛いが、これだけ良質の残雪があれば水を作れるだろう。昨年は横尾尾根への取り付きを断念してから、ここのテント場でツエルト泊をしたが、そのテント場も完全な雪原だ。それどころか横尾の吊橋への道さえ人一人分だけ除雪してある有様である。昨年は雪の少ない年で、今年は特別雪の多い年だ。落差は大きい。
横尾から先、登山らしくなる。やや大げさだが、ヘルメット、ハーネス(尾根上の懸垂下降を想定)を装着し、ピッケルとアイゼンを取り出すことで、気持ちを引き締めた。
吊橋(木橋)はアイゼンをつけられないため、橋を渡ったところでアイゼンを装着した。景色は冬だというのに、チョウが飛んできてザックにとまった(後述するが、このチョウには下山時も祝福を受けた)。
残雪期の涸沢方面へは過去3回ほど来たことがあるが、横尾からこれほどの雪があるのは初めてだ。そのままスノーシューハイクができそうな積雪量だ。しかも歩いていると結構踏み抜く。アイゼンよりもわかんをつけたほうが正解だったかもしれないと後悔しつつも、もっぱらの関心事はどこから取り付くかである。昨年は尾根の先のほうまで行って失敗他の登山者の記録も参考に、まず尾根に乗ってしまうことを主目標とし、薮の切れた箇所があれば取り付くことと決めていた。たぶん最初に取り付ける雪渓が2のガリーであろうと考えたのだ(結果的には1のガリーだった)。踏み抜きに多少煩わされながらも岩小屋後を過ぎ、やがて取り付けそうな雪渓に出たので。ここでアイゼンからわかんに履き換えて。雪渓の登りに挑んだ。
雪渓の傾斜はたちまち急になり、わかんではずり落ちて前に進めなくなったので、いくらも行かないうちに杉の木の根元へよけて、わかんからアイゼンへ履き替えることとなった。さらにここから辛い登りが続いた。わかんをアイゼンに換えたからといって、足許が著しくしっかりするわけでもなく、4月下旬の午後の雪は容易に崩れた。踏み込んだ足が元の位置まで戻り、半ば蟻地獄のような有様だ。3年前の同時期にザイテングラードを登ったときの苦戦が思い出された。斜度があるため、ピッケルをハンドホールドにするのだが、用意してきたピッケルは1本なので、片手は手袋をはめた素手を雪の中に打ち込んでホールドとした。時にはグー、時にはパー、さらに、足許がしっかり決まらないときには、膝まで付いて、半ば這いつくばるようにして高度を稼いだ。毎度のことだが、もう登山はやめようと泣きべそをかきながら、這い上がっていった。
雪の中にそして尾根の末端部でありながら、登っても登っても続く斜面を泣きながらよじること、約5時間、本日の行動時間があらかた終わろうとしていた午後4時ごろにようやく木立の向こうに青空が見えた。稜線が視野に入ったのだ。そこからも腐れ雪との格闘がしばし続いたものの、ゴールのめどが立つと意欲がわく。ところどころ小動物の足跡などを見ながら、なだらかな稜線に着き、やったーと歓声を上げた。
横尾尾根の縦走はここから始まるのだが、日が傾いてきている。またいくつかの難しめな、時にはザイルの必要な登下降がこの先にある。また今回の山行のもうひとつのテーマである雪洞泊を準備しなければならない。、今年の横尾尾根はここまでとし、楽に歩けるところまでということで最初の急な下降の手前、実はこれが2のガリーのゴールなのだが、その下降点の手前でやむなく引き返した。
眺望は良くない。辛うじて慰めてくれたのが格好いい常念岳と、その遥か向こうにそびえる大天井岳であった。眺望を楽しむのは来年の課題にしようということで、やや傾斜している稜線に雪のブロックを積み上げた。
今年の横尾尾根の課題は、第一に稜線に立つこと、第二に雪洞泊することであった。その雪洞を作るために、スコップに加えてスノーソーを用意した。この工具が実によく働いてくれた。稜線の積雪は凍りかけていたが、スノーソーの歯を入れると、まるで豆腐でも切るように用意に切り出せた。基点となる穴を掘ってから、そこを広げるような形で雪のブロックを切り出していった。当初は、洞穴を掘るつもりであったが、途中で土が露出したため作戦変更した。イグルースタイルも少し考えたが、中途半端なものを作って崩れるのもいやだったので、体が隠れる程度の雪の壁を作り、その中でツエルトをかぶってビバークすることにした。天井のない雪洞であっても効果は絶大で、壁に囲まれている限りは、暖かいとは言わないまでも、刻々と寒気に体温を奪われるというような危機は感じなかった。
寝る前に身支度を整えた。ダウンパンツ、ダウンジャケットを身につけ、上から雨具、目だし帽、そして目だし帽の上にヘルメットをかぶりなおした。ビバーク用のウールミトンとオーバーグローブをはめ、登はんに使った手袋は凍らないように、そして多少なりとも乾くようにダウンの下、懐に入れた。日が暮れてからでは取り出せなくなるので、ヘッドランプを雨具のポケットへ入れて準備完了。ツエルトにくるまってとりあえず寝てみたが、寝床が傾斜していて寝心地が悪い。そうだ、下は雪なのだから、平らになるよう削れば良いのだ。スコップで水平に削ると、快適な雪のベッドができた。シュラフカバーもマットも使わずに眠ってしまった。ヘルメットをかぶっていると、枕なしで寝られる。
一眠りすると、今度は眠れない夜を過ごす、ビバークの時にはいつものことだ。近場がよく見えなくなった老眼で腕時計の時刻を確かめ、まだ10時か。朝は明るくなり始めたらすぐに動き出したいなと思うのはこのころだ。朝よ早く来い。背中が冷たい。雪の上に寝ているのだから当然だ。むしろこの程度しか冷たくないということにびっくりした。心配した足も調子いい。靴紐を緩めた厳冬期ブーツから時々足を出して指を動かす余裕があるほどだった。
星空がすばらしかった、のだと思う。空は樹林帯越しにしか見えない。それでもたくさんの星が見えた。こんな晩に涸沢辺りにテント泊していたら、どんなすばらしい星空が見えただろうか。なんてもったいないところで寝てるんだろうと思いなが朝を待った。
真夜中、おなかの調子が悪くなりトイレに出た。周りは凍りついた雪の稜線である。アイゼンをつけ、ピッケルを持たなければならないから準備に時間がかかり、冷や汗が出たが間に合った。雪の中、ピッケルにつかまってしゃがむのはなんとも不思議な、しかしすがすがしいひと時だった。翌朝見事に凍結していたものを埋め戻すのは難儀したが。
トイレで安心したのか、真夜中から明け方にかけては熟睡し、再び目を覚ましたのはすでに4時半を過ぎていた。天候はよさげなのだけれども、星空が見えないのと同様、朝の空もよくは見えない。まだ体が温まっていないので、ビバークの服装のままで下山することにした。靴紐が凍り付いていてきちんと締められない。アイゼンバンドも同様だ。こういうときにワンタッチはありがたい。もっとも靴やアイゼンについた雪をたわしで落としていたからで靴のコバに団子ができていたらワンタッチアイゼンをつけるのにも難儀していたに違いない。
そのうちに樹林越しに屏風岩、北穂方面が赤く染まってきた。モルゲンロートをじかに見ることができたらどんなにすばらしかっただろうと思いながら、下山を開始した。昨日は5時20分スタートでビバーク地到着が午後4時半。今はだいたい5時30。上高地のバスの発車時刻は午後4時15分だから、間に合いはするだろうが油断はできない。
泣きべそをかきながら登ってきた雪の斜面が屏風岩のモルゲンロートからの反射で赤く光っていた。南向きの斜面は夜明けには朝日は直接は差さないのだ。
雪質は硬くしまっていて、アイゼンがよく利いた。斜度があるのでクライムダウンになるのだが、実に快適に降りることができた。登っても登っても滑り降りた雪の跡、ホールド代わりに突っ込んだ筆者の手形などを記念撮影しながら高度を落としていった。
さらに斜度が緩むと、今度は自分がつけたトレースがいいステップになっており、楽々と降りることができた。登りに5時間もかけたにもかかわらず、下りには2時間もかかからず、涸沢への登山道へ降りてしまった。これで一安心だ。この下山のスピードのおかげで時間に余裕ができたから、来年へ向けて、取り付き点を本谷橋まで偵察することにした。
汗ばんできたので、ダウン上下を脱ぎ、食べ残しの凍りついたおにぎりをほおばり、アイゼンをわかんに換えて出発した。このわかん装着は正解で、横尾までの雪原で足を取られることはほとんどなかった。
正面に横尾本谷の雪壁を眺め、左手には屏風岩の雄姿、右手には横尾尾根の樹林帯を見ながら、他に取り付けそうな場所があるかを確認した。樹林帯がまばらになっているところ、奥に氷瀑が見えるところ(氷瀑に見えるところが実は3のガリー)ありと、来年度以降の課題を確認し、本谷橋に着いた。
本谷橋は、昨年はスノーブリッジが露出していて上を歩くのが怖いほどだったが。今日は急流が舌を走っていることなど気がつかないほどの見事な積雪だ。たぶん側の上をどんどん詰める方が、夏道を歩くよりも早くて楽に涸沢に着くであろう。
横尾尾根側を見ると、自分が昨年敗退したルートが見える。ただし見えるのは下部だけで、苦戦し、敗退した核心部分は本谷橋からは見えない。見事な雪渓が上部まで続いており、今年挑戦したらどうなっていた課などと思いを馳せた。
それにしても完璧な青空。特に横尾谷、北穂方面の岩壁のバックの青空がすごい。いつまでも見ていたい。ここで一日北穂方面(実は北穂自体は見えない)と屏風岩を眺めてピクニックしたい気分だ。とはいえ、今日は帰らなければならない。またザック担ぎがしんどくなってきた。また来年ということで、上高地を目指した。
まず、横尾尾根の雪渓を何度も、何箇所も眺めながら横尾尾根までのスノーハイクだ。くどいが、今年は本当にわかんに救われた。わかんをはいていても、横尾大橋までたどり着くころにはかなりくたびれていたので、もしも腐れた雪の中をずっとアイゼンかつぼ足で歩いていたら、相当疲れていたことだろう。
横尾大橋手前で、ザックをおろし、わかんをはずすとともに行動食のチョコレートをいただいた。雪山にはチョコレートがよく合う。無事の下山を祝福するかのように往路と同じ(種類の)蝶がやってきてザックに止まった。チョウは名残惜しそうに橋まで見送ってくれた。ありがたい。
横尾から明神までは、雪の前穂、明神を眺め、まるでヨーロッパアルプスのような姿を何度も写真に収めつつ歩いた。今年はバスに乗り遅れて仕事を休んだ罪悪感も無く、当初の目的も果たして、気持ちいい復路となった。
しかし、明神館を過ぎて終盤の林道に差し掛かっていささかばててきた。ザックが重い。ビバークしたとはいっても、もしもに備えてテント泊道具は一式入っているので、自分にとっては一番重い部類に入る。しかも近頃重量ザックを担ぐハイキングをやっていないから、体が荷に慣れていない。上高地よ早くやってきてくれと思いながらの歩きとなった。ようやく岳沢登山口まで到着したときにはほっとした。前穂ダイレクトルンゼを日帰りしてきた若い登山者の方と言葉を交わした。しかしここから木道を経由することを試みて失敗した。残雪が多すぎて歩きづらいのだ。うっかり湿原に下りてしまうのではないかと心配しながらの、最後のひと歩きであった。
それでも何とか、白樺荘横、梓川沿いにある吊尾根鑑賞スポットまで帰ってきた。穂高の神様どうもありがとうございました。暫く手を合わせた後、再び会った前穂帰りの方と再度言葉を交わし、またどこかで会いましょうといいつつ別れた。
バスを待つ間にターミナルの売店で買ったビールがうまかった。
憧れの横尾尾根、下部の樹林帯の稜線に立っただけで終わった今回の山行きだが、日程的に撤退は計画内なので自分としては充実した山行きだった。
いつか、森林限界の先へ。
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