日本百名山99座目!赤石岳&紅葉ピークの千枚尾根から荒川岳


- GPS
- 56:00
- 距離
- 27.9km
- 登り
- 3,096m
- 下り
- 3,094m
コースタイム
- 山行
- 8:21
- 休憩
- 0:19
- 合計
- 8:40
- 山行
- 8:29
- 休憩
- 1:15
- 合計
- 9:44
- 山行
- 6:40
- 休憩
- 0:54
- 合計
- 7:34
このルートは、登山口までにかなりの時間を要することもあり、長時間の行程の確保が難しいなどの理由により過去の報告においても、山頂に立ったらガスの中だったというような状況が多く見受けられた。
しかし、深南部の三千メートル峰を歩くならば、是非とも青空の展望の元でチャレンジしたいとずっと思っていたので、結局百名山の最後の方に訪ねることとなった。
まずは、8月の盆前に荒川岳から光岳まで縦走しようと静岡まで行ったが、台風5号の土砂崩れによる通行止め静鉄バスが運休となり敢えなく撤退。次に、盆に光岳に行き、9月には荒川岳から聖岳まで3座を縦走しようと行ったが今度は台風18号接近により聖岳ピストンに変更、そして、今回の荒川岳・赤石岳周遊となったのだった。
小屋閉めのスケジュールもあるので、それらを睨みながらの南アルプス登山を終え、赤石岳で百名山99座を達成することができた。
天候 | 千枚小屋まで雨、その後快晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2017年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
そこから東海フォレストのバスで椹島まで |
コース状況/ 危険箇所等 |
千枚尾根は、はじめのうち岩がある急登と鉄塔から岩稜歩きがあるが、その後はなだらかな稜線を延々と登る。千枚岳から先は、アップダウンを繰り返し、下りの急勾配は注意を要する。最近、最も危険な崖の下りにはしごが取り付けられ、心配が一つ減った(アルミのハシゴ1本で200万円かかったそうだ) |
その他周辺情報 | 9月下旬で人が少なかったためか、雨のせいか、椹島の朝食が6時からだった。そのため、おのずと出発も遅くなり、朝一のバスで来た人とあまり違いがなくなった。 畑薙第一ダム下の白樺荘で帰りは温泉に入れる。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
グローブ
雨具
日よけ帽子
着替え
靴
予備靴ひも
ザック
ザックカバー
サブザック
昼ご飯
行動食
非常食
ハイドレーション
コンパス
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ツェルト
ストック
カメラ
ポール
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感想
9月26日(火)
地図を松山→中部国際空港行きの飛行機で紛失。きっとうとうとしたとき、前の座席ポケットに入れたのだろう。このことがずっと尾を引いた。後で(その日も後日も)ANA中部国際空港へ問い合わせたが、「地図の忘れ物の届けはない」とのことだった。きっと、ゴミとして捨てられたのに違いない。2017年版の登山地図だったのに。
9月27日(水)
翌日、中部国際空港のTSUTAYA、浜松SAの案内・コンビニ、川根温泉道の駅、千頭観光案内所(道の駅であるかもしれない、と教えられた)に寄って山と高原地図を捜すが、どこも置いてないと言われた。登山をするのに地図がないなんて考えられない。
畑薙第一ダム手前の白樺荘に立ち寄ると、多少地図のようなパンフレットがあって、それをもらっていく。
その後、畑薙第一ダム臨時駐車場の東海フォレストバス乗り場(この時期、1日3便)のガラス窓に、山の所要時間地図があったので、そのルートにあたる部分を必死になってメモした。他の登山者は、「何の貴重な情報があるんだろう?」と見えるのか集まってきた。
もう、ここに至っては開き直って、途中で出会った登山者に地図を見せてもらうしかない、と考えバスに乗り込んだ。
バスに乗ったら、すぐに3千円の料金徴収が始まる。この領収書は宿泊料として3千円分使えることになっていて、椹島で使った。この特殊な交通システムが理解できないと、深南部に行くのに弊害となる。
そんな地図についての不安をかかえたままバスは畑薙湖畔から赤石ダムを経て約1時間で椹島へ到着。
椹島ロッジの受付の際に、そこで「地図は売っていないか」と聞くと、「渡せるものはないが売店で販売している」とのこと。なんと、「ここにあったんだ」と一安心して売店へ急いで行ってみた。ところが、「売り切れ」と言われて万事休す。つかの間の喜びが、失望に変わりやっぱり地図なしで登るのかあ、と不安に襲われる中、「返してくれるんだったら、貸せる地図がありますよ」と思ってもみない声を売店の男性から掛けられ、奥から2011年番の地図を出してきてくれた。
それは自分にとって天の救いのようなものであり、不安が消え去り一気に山登りの展望が開けたような瞬間だった。これまでの心配は一体何だったんだろうか?お陰で夜はゆっくり眠ることが出来た。
この日は名古屋から椹島まで来ることしかできず。夕方5時半から夕食を食べて、翌日は午前6時から朝食となる。
9月28日(木)3日目
天気予報よりも遅れて、前夜の午後9時頃から雨が降り続いている。
午前6時朝食。
山登りにしてはちょっと遅い時間。朝一番の畑薙第一ダム行きのバスに乗る人は、朝食抜きで出発していた。
27日には雨が降るなら早く降って、上がってくれと願っていたのだが、千枚小屋までの登りは雨の中の出発となった。朝のうちだけと思っていた雨は、結局午後3時頃まで本格的に降り続く。ほとんど、行動している時間降り続いたことになる。それも、少々という程度ではなく本格的な雨だった。今年の登山は、毎回雨がからむ。
椹島から歩き始めて、赤石川の右岸を上流へ歩き、吊り橋を越えたところから標高差1500mの急登が始まる。初めの岩がゴロゴロする急登は、雨が降っているのでカッパにストックを使って登った。岩屑の急斜面を登ると鉄塔横にでた。そこで休憩。その後しばらく岩尾根歩きがあって、登ったり降りたりを繰り返す。
しかし、それを過ぎると長い緩やかな登りが始まり、南アルプスの森歩きらしくなってきて快適な登山道となったので、そこらから傘を差してカッパを着ずに歩けた。
この千枚尾根のルートは、平行して林道が通っているが一般登山者はその恩恵を受けることはできないようだ。韓国人のツアーはここを車で上ってくるとか、皇太子が登るときには林道を利用した、などということを話している人がいたがどれ程利用されているのかはわからなかった。
しかし、管理用道路として車が頻繁に走っており、それなのに登山者は長時間に渡り千枚尾根を歩かされるというのはちょっと不満も感じる。しかも、雨の中。「何とかこの林道が利用できれば良いのに」と激しく思った。
もし、車で千枚小屋近くまで行くことが出来るのならば、悪沢岳や赤石岳はぐっと身近なものになるだろう。そこらも、入山者を制限するという意味においては、それだけ遠い存在にしておいた方が自然が守られるという考え方も一理あるのかもしれない。
そう言えば、北海道の幌尻岳へ行ったとき、糠平川コースで山頂を目指したのだが、バスの終点から取水ゲートまで一部ツアーの人だけは車に乗せてもらって取水ゲートまで運んでもらう、ようなことを目の当たりにしたが、公平性からもそのようなことは一部の人に対してのみするというのは良くないと思った。
千枚小屋は到着時からとても感じの良い小屋で、暖かく迎え入れてもらった。ずぶ濡れになった登山者にとても気を使ってくれて、「寒いでしょうから早く濡れたものを乾かしてください」と乾燥コーナーを案内してもらい、特に雨に対して気を使ってくれているのがうれしかった。
この日は、混合5人組と3人パーティーが2つ、それに、自分も含めて2人の単独で合計13名の宿泊だった。小屋はきれいで3階建ての居室となっており、ストーブのお陰で濡れたものをどこに干していてもよく乾いたのだった。
夕食の時に、山形県寒河江市から来た単独のSさんと一緒になる。
9月29日(金) 4日目
昨日の雨は嘘のように、朝から快晴。
富士山が雲海にくっきり浮かんで、絶好の登山日和となった。千枚小屋からの富士山の眺めは素晴らしい。目の前には二百名山の笊が岳、小屋も朝焼けに染まる。
午前6時前頃、千枚小屋を出発。
五人組は荒川小屋泊の予定だそうで、のんびりと出発の準備をしていた。混合3人組は足にも自信があるらしく、とっとと出発していった。男性3人パーティーと山形から来たというSさん、それに私がほぼ一緒に出発となった。Sさんは千枚岳直下で追い越していったが、3人パーティーとは赤石岳まで見える範囲くらいの間隔で歩くことになった。
実は、この日の宿泊について最後の最後まで迷いがあって、無理せずに荒川小屋に泊まろうという計画をしていたが、お昼頃に小屋に着いて何もしないというのはどうだろうか、と考えて悩んだ。
小屋の前には、赤石岳避難小屋まで行くことができるかを知る大まかな目安のグラフがあって、千枚小屋を出た時間と荒川小屋に着いた時間によって、荒川小屋に宿泊するべきリミットを知ることが出来た。それによると、2,30分程リミットを越えていて、荒川小屋に泊まるべきとなったのだが、昼食の千枚小屋で作ってもらったおにぎりを食べているうちに、先行する3人パーティーと話をしたら彼らは赤石避難小屋まで行くというので、自分も行こうと決断した。
大聖寺平から小赤石だけまでの斜面はとても急で、登っても登っても山の上に到着しない。道がないような岩屑の急斜面をジグザグに登っていく。やっと頂上まで登ったかと思いきや、そこから尾根歩きをしばらくして小赤石岳の山頂となった。
日本百名山99座目の赤石岳3121m制覇まではもう一息、と自分に言い聞かせて一歩一歩赤石岳の山頂を目指す。先行する3人パーティが赤石岳の最後の急登を登っているのがわかる。およそ15分くらいの差があるかもしれないが、赤石岳の山頂に彼らが立つのがシルエットとなって見えた。その後を追って、自分も最後の急登へ。
これは一入の思いがある。やっぱり赤石岳が自分にとって最難関のやまだったなあ、という実感。99番目ではあるが実質的には最後のベテランコースの山なので、仕上げのようなものだった。
赤石岳の山頂を踏む頃、大倉尾根から登ってきた単独の男性と一緒になったので、お互い写真を撮り会った。お陰でいい記念になる写真がたくさん撮れた。しかも、お互い持っているカメラがキャノンの同じ機種!奇遇だったが、なんか暖かくなった。
宿泊は赤石岳避難小屋なので、もう山頂のすぐ横という感じ。なんでこんなところに避難小屋があるのか、と不思議になってくる。水もないし、かなり風や雪など、厳しい環境なのだろうと推察する。聖岳からはじめてこの小屋を遠望したのだが、それからあまり時間が経たないうちにここへやって来ることができるとは、感慨無量!
赤石岳避難小屋は小屋閉めが9月30日と間近に迫っていた。
夕食や朝食は出してもらえるのだろうか、と心配しながら小屋の扉を開ける。そこには数人がテーブルを囲んでおり、奥から小屋の管理人さんが出てくる。9月にNHKBSのトレッキング100に出た方で、なんか大きな懐に飛び込んでこい!という雰囲気を感じる人だった。
小屋の入口にいた人も、先行した3人組とSさん、それに椹島ロッジで一緒だった写真が目的の二人組に、常連さんが1,2名といった感じでとてもフレンドリーな感じ。やっぱり、小屋閉め前なので常連さんが集まるみたい。
夜は、レトルトカレーと言われたが、かなり手が加えられたものでお替わりもできた。缶ビールは大が800円だったが2本目からは半額だったので、余計に飲む羽目に。しかも、いろいろつまみも提供されて、最後にはステーキまでも出してもらった。管理人さんとの話も深南部の活性化についてなどいろいろ聞けて、また、奥さんはハーモニカの演奏を披露してくれて貴重な時間を過ごすことが出来た。
9月30日(土) 5日目
この日は2千メートル以上、赤石岳の山頂から下って、午後2時椹島発畑薙第一ダム臨時駐車場行きのバスに乗らなければならない。
朝食は午前5時からで、メニューは中華丼。途中に赤石小屋があるので、そこで何か食べることも出来る、という安心感があるので、朝は中華丼を腹に掻き込んで、午前6時前に出発。
しかし、丁度日の出の時刻だったので赤石岳山頂でご来光の写真を撮っていたりして、かなりもたもたして本格的に下山を始めた。大倉尾根までに急な下りが続く。ラクダの背まではザレた急登を1時間くらい下って、やっと砲台休息所で一休み。その手前で水場もあり、今でも十分な流れがあった。
砲台休息所から先は、ラクダの背まで登ったりトラバースしたりで、結構仮設材を使って登山道を補強してあり、この維持管理なども大変だろうなあと思った。ラクダの背を下って大倉尾根になると、富士見平に出て展望が開けた。ここで、登りの方と一緒になって写真を撮り会う。しばらくここでも休憩して、眼下にある赤石小屋まで一くだり。
赤石小屋ではうどんをいただいたり、トイレ休憩などでゆっくりしたので午前9時になり、後から下ってきた3人組の男性とも一緒になる。うどんが千円、チーズケーキセットが800円だったが、うどんを選んでしまった。いい腹の足しになった。
そこから延々歩くこと4時間。
大倉尾根は展望がなく、森林の中をこれでもかというくらい下って下って、ずーと下る。もういい加減にして欲しい、というころジグザグの急斜面につけられた道となり、檜の人工林が見られるようになると、やっと林道が見えてきた。最後に、鉄階段を降りてやっと椹島へ到着。レストランで昼食を、と思ったが何故かこの時間、営業は終了していた。
売店で借りていた地図を返却して、お礼を言った。貸してくれた男性の方はいなかったが、感謝の気持ちは伝えたいと思っていたところ、バスが出発するとき見送ってくれていたので、窓越しにではあるが会釈をして感謝の意を伝えた。
畑薙第一ダムで車に乗り換え、白樺荘で赤石温泉に入って疲れをとり、中部国際空港の東横INNで宿泊。翌日1番の飛行機で愛媛へ帰った。
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