【過去レコ】穂高岳 稜線から涸沢カールを滑る!


- GPS
- 32:00
- 距離
- 33.7km
- 登り
- 1,602m
- 下り
- 1,593m
天候 | 17日 晴れ、朝0度 18日 晴れのち曇りのち雨 |
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過去天気図(気象庁) | 2005年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
予約できる山小屋 |
横尾山荘
|
写真
感想
上高地から8時間かけて涸沢まで登り(板と兼用靴を担ぐと20KG近い重さ)、涸沢ヒュッテにて1泊。翌朝午前7時に涸沢ヒュッテを出発し午前10時頃白出しのコル(奥穂高山荘のあるところ、2983M)まで登り滑降を開始。涸沢ヒュッテ横をいっきに通過し、 本谷橋手前の標高1900M付近までスキーで滑降。そこからはスキーを担いで上高地まで下る。3000Mの稜線から標高1900M付近の本谷橋手前 まで1時間もかからずに着く。やはりスキーでの下りは早い。
今年はゴールデンウイークを過ぎてから低温が続き、異常と思えるほど雪の日(涸沢より上部)が多く、これを作成している5月24日も穂高や槍ヶ岳の稜線では3日間雪が降り続けています。入山(5月17日)の2日前も風雪で稜線では数十センチの積雪があり、標高2000M付近まで新雪が積もったようです。涸沢カールのいたるところに雪崩のデブリがあり、少々驚きました。雪崩は17日の昼頃にかけて多発したとのことでした。
この山行の6年ほど前に左膝をに変形性膝関節症と診断されたんです!その当時は寝返りをうっただけで痛くて目を覚ましました。それで10年近く山スキーのブランクあったりしたんです。それと今回も18日に涸沢から上に登らず、下山しようかと思ったのも、もしここで膝への過度な負担から左膝が痛み出したら上高地まで自力で下山できなくなると思ったからです。
10キロの減量と脚の筋力アップトレーニングを通年続け、この山行の1年前にやっと登り3時間程度の山なら登れると判断し、また下りにスキーを使えば膝への負担も少なくてすむと思い山スキーを再開したんです。変形性膝関節症になる前の富士山スキー登山の時は体重78Kで現在は68Kです。
この山行の15年ほど前、スキーがうまくなりたくて毎週ゲレンデに通っていた頃、左膝内側靭帯を痛め、放置したまま数年間毎週ゲレンデ通い(夏のグラススキーや11月の狭山スキー場など入れたら年間50日以上滑った年もありました)を続けていたら変形性膝関節症になってしまったんです。
大学病院で変形性膝関節症と診断された時、「直りますか?」と医者に聞きました。医者は即座に「一生直りません」と答えました。その時私は、登山は言うまでも無くスキーさえ一生できなくなるのかと思い大変なショックでした。その後私は登山はむりでもスキーができるくらいまで絶対に改善させるぞ、と強く心に決めました。
変形性膝関節症について学び、強い一念で症状の改善に努めました。グルコミサンとコンドロイチンの摂取とトレーニングを始めてから2年ほどしたら、日常生活では正常に歩けるよになり(階段の上り下りを含め)、ハードな滑りをしなければスキーが再開できるのではと思えるようになりました。
とにかくここはアプローチが長い!上高地から涸沢まで17KM程をスキーを担いで登らなければならないので、気軽に春山スキーを楽しむ向きには安易に薦められません。中央アルプスの宝剣、乗鞍、白馬乗鞍、立山みたいにバスやロープウェイを降りたら一面の銀世界で雪道を登り、スキー滑降が終わったら歩かないですむ所とはわけが違います。
巨大な涸沢カールの底から見上げた穂高連山の美しさはアプローチの長さを忘れさせてくれることでしょう。とにかく好天の日を選んで入山してください。私もできれば日程がとれれば2泊したかった、1泊ではもったいないです。
膝を痛める前の俺のコブを滑る動画(30代の時)。妻に撮ってもらいました。コブの途中でリズムが合わなくなり、コブの頭で板が開き失敗!横にエスケープ。後ろからスタートしてるのが俺です。
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