武尊山 高手新道コース


- GPS
- 32:00
- 距離
- 20.4km
- 登り
- 1,767m
- 下り
- 1,742m
コースタイム
2日目:避難小屋6:20-中ノ岳巻き-9:20武尊山山頂-剣ヶ峰山巻き-11:20ゲレンデ-12:50駐車場
天候 | 2日間とも雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
The 2nd peak of the route "Kengamine". It was easy to pass on the 1st day.But it was hard to pass it around on returning route.
If I got absent minded, possibly felt in the right cliff. Keeping left was important.
結果として、私の力ではパラダイスに出来なかった。
"This dirty barn can be a paradice with your cleaning" but I couldn't done.
感想
雪の武尊山。3年ほど前の12月に、当時の後輩と挑んだ事がある。その時期で既に、西峰前から雪深く、剣ヶ峰前で腰までズボッと埋まる積雪量だった。想像以上の冬山ぶりに退散した前歴がある。省みれば私も後輩も当時、装備経験共にどれだけ無謀かも知らずに挑んでいた。(当時同行した後輩は、後に夏山の武尊を踏破している。)
今年のゴールデンウィークは、動きのトロい低気圧の独壇場。どのメディアを見ても2日、3日の二日間とも雨だった。だが今回は単独行。悪天だからと言って予定を変更する気はサラサラ無かった。だからどんな雨風にも、「こんな事は織り込み済みだ」という意識で対峙する事にした。今回の山行には太陽も、眺望も期待してはいなかった。
一抹の不安と言えば、膝のちょっとした手術の抜糸が出発前日だったが、歩くのに支障は無かった。
5月2日、3時に起床し4時前に出発。折からの雨。関越道は空いていた。いつだって単独行の朝は心細い。TBSラジオでは、生島ヒロシ氏の「おはよう定食」なる番組が始まっていた。素晴らしい題名だと思った。殆ど全てのニュースや関心事を、「ははー」「なるほど」「いや〜」といった句でかわし切る氏のトークは、まさに「定食」さながらだった。
川場スキー場の一歩手前にある武尊高原キャンプ場駐車場には一台の車も無かった。下山時に知った事だが、スキー場も既に閉鎖されていた。
6:00着、シトシト雨だったが、寒くは無かった。おもむろに登山靴に履き替え、スパッツを付けた。
人っ子一人いないのを見計らい、私はちょっと藪に入り久々に出発前のセコをふかした。その思いの外の快腸に、密かに、今回の勝利を確信した。
6:25歩行開始。まずはキャンプ場までの道を登り。久々の心拍数の上がり方に、独りテンションも上がる。しばらく行くと、登山道入り口が現れる。登山届けのポストに、先人のものは無かった。まあそうだろう。分かりきった雨の日、それもゴールデンウィークに、武尊を目指す酔狂もそうはいないと思っていた。武尊山を指す道標には、ご丁寧に消費カロリーまで書いてある。大丈夫、私は車中でポテトチップスを食べていた。
しばらく、緩やかな樹林帯を歩く。地面は、雪解けと雨とでグズついていた。だが上からの水滴は、小雨なのか、止んでいるのか、木々からの滴り程度で案外気にならなかった。
ハミングバードのゴアテックス雨具は、いつもながら素晴らしい味方だった。3年も前に衝動買いした自分を褒めてやりたい。見事な営業トークで私を捕らえた店員のおじさんと共に。
前回同様、最初のポイントである筈の高手山は、どこだか分からないうちに通過していた。
途中、雪と泥道とが混在し出したので、ちょうど脇に腰掛けられるような場所を見つけ、アイゼンを装着し、ピッケルもザックから取って手に持った。
10:00西峰着。気分は余裕だった。西峰にはしっかりとしたベンチとテーブルが置いてあり、ちょうどその時、雨風も弱まっていたので、荷を降ろし、行動食に忍ばせておいたキットカットを一本かじった。
3年前の記憶では、ここから剣ヶ峰の間の痩せた尾根でズボっと腰まで埋まり、撤退を決めた。その印象から、剣ヶ峰までが一つの関門と考えていた。
11:00ちょっと過ぎ、案外すぐに剣ヶ峰山頂着。今回の計画では、雪を見越してかなり剰余のコースタイムを設定しておいたが、それを1時間弱しのぐペースだった。
本来眺望の良い筈のこの一帯の尾根道は、ただ、ガスに包まれていた。そして、ヤセ尾根に東の谷から吹き上げる猛烈な雨風は、努めてこちらの不安を煽ろうとしていた。しかし、フード越しに風が叫ぼうが、それに雨の礫音がビシビシと加わろうが、体ごと西方向へ揺らされようが、全て織り込み済みの事だった。分かって私はここに来ているのだ。どうって事ない。
剣ヶ峰を通過し、いよいよその先は武尊山への取り付き。私にとっては未踏のコース。
武尊に取り付く一寸前に、東西に広がる平地があった。そこまで、どれ程前のものか分からないトレースがうっすらとあったが、そこで途絶えた。雨風は依然として強いので、往生していると体力を奪われる。
私はポケットから1/25000地形図を引っ張り出して、方位磁針と見比べた。この日、本気で地形図を睨んだのはここが初めてだった。目の前を真っ直ぐ北方に直登すれば、武尊山の筈だが、急登な上に、雪面から飛び出た笹やハイマツの藪となっており、正直キツい。目標とする尾根は、東方向に延びる。つまり、北の直登でなく、北東方向へトラバース気味に登っていけば、間違いない筈である。したがって私は、結構急な斜面をトラバースして進んだ。右手からの吹きっ曝しはもとより、何より雪がザレており、雪崩の怖さにドキドキしていた。それでもとにかくピッケルとアイゼンを整然正確に繰り出し、目標の稜線上に出た。すると待ち合わせしたかのようにトレースが現れた。
とりあえず、これで登山道に復帰した訳だ。
13:00 稜線を東へ進むと、程なくガレ場に入り、剣を備えた日本武尊像が突如現れた。そこそこの大きさと、その迫力ある姿勢、表情に一瞬ギョッとする。南方を真っ直ぐ見つめる像に正対し、手を合わせて爽やかに挨拶を口にした。これで救われるか?いや、依然として雨と風のままだった。当たり前の事だが。武尊像は私なんかよりもずっと遠い山下一帯を見据えていた。
どうやら、武尊山頂は、先程のトラバースで通らずに来てしまったようだ。確かに稜線に取り付いた時、西方向からトレースが来ていたのと、そちらが小高くなっていたのでひょっとするととは思っていたが、敢えて足が向かなかった。私には明日もここを通るチャンスがある。
かくして、とりあえずの目標点を過ぎた後は、ひたすら東方へ進み、避難小屋を目指すのみ。銅像の後は中ノ岳がそびえ、それを過ぎてなだらかに下れば避難小屋。のはずだった。谷からの風は猛烈さを増し、もうだいぶ前から、レインコートごとぐちゃぐちゃに濡れていた。視界は、見通すものは何も無かった。よって、中ノ岳という山も尾根も見渡す事は出来ないうちに、その麓に取り付いていたのだろう。私はひたすらトラバースを繰り返した。どこも、結構な斜面で、雨と気温とでかなり腐りかけた雪。所々、バリッと地割れしたような雪の裂け目を見るにつけ、この類のトラバースは危険である事を認識せざるを得なかった。おまけに立て続けのトラバースで、いい加減股関節が痛くなっていた。
その先、トレースに誘われるがままに、行き止まりに入ったり、藪をこいだりして、挙句に迷った。完全な雪の樹林帯にポツンとなると、さすがに不安がよぎる。まだ時間は十分過ぎるくらいあるのだが、「このまま遭難したら」と考えると妙に焦るものだ。私は地形図を手に持ち歩く事にした。地形図の示すのはつまり、とにかく稜線上を外れるな、という事だった。それを悟ってからは、目の前がどう広がろうとも、常に自らを稜線上におく様に心がけた。すると、広い目印も無い樹林帯なのに、軌道修正も含め先人のトレースと一致する事が多く、私は姿見ぬ先人に妙な親近感を覚えた。トレースはでかいワカン型のがうっすらとあったがそれは古びていた。それよりも比較的くっきりとしたアイゼン痕が目立ち、それは形の整ったまま、果たして避難小屋にまで続いていた。
15:00前、ともあれ避難小屋に到着した。計画よりはずっと先行したものの、特に武尊山―中ノ岳―避難小屋の間は精神的にも肉体的にもかなり消耗した。
避難小屋は、噂どおりの荒廃ぶりで、戸が完全に閉まらないようだった。さて、先人はいるのか?恐る恐るノックをして中を覗くと、空だった。まずは気を遣わなくてよい安心感と、一方でやっぱりこんな日に仲間はいないのか、という一抹の寂しさも実際にはあった。中は荒廃していたものの、板間は綺麗にされていた。何と暖炉が設置されており、薪までいくらかストックされている。これには踊り上がった。夜長はこれで暖が採れる!
私は、自分が使うであろう薪の代わりとして、今は相当濡れているが、手頃な枝を外でかき集め、玄関脇に敷いてあるブルーシートに置いた。これで、気兼ねなく薪が燃やせる。
私は滴るザックカバー、手袋、スパッツ、靴下を吊り紐にかけてから、早速火起こしに取り掛かった。まずは、ローソクで種火を起こそうと試みたが、全く着火する気配なし。どうやら、元から炉に入れられている薪ですら、相当湿っているようだ。その時点で、若干の不安がよぎる。私は食事用のガスコンロを横にして、業火を薪に浴びせ続けた。ちょっとだけ燃えた木もあったが、コンロを停めるとすぐに鎮火した。それを寒い小屋の中で1時間弱続けていたと思う。室内に転がっていたゴミやペットボトルを炉に入れて燃やしたが、期待外れな燃え方しかしなかった。(ペットボトルはもっと轟々と燃えてよい筈と思ったのだが、劣化するとああなるのか?)違う。室内は低温かつ高湿度。燃焼に向かない雰囲気であるのと、何よりそれによって全てが湿っていた。早い話が、時間と労力とガスの無駄と言う事。もうやめた。
私は板間にビニールシートを敷き、シュラフマットを敷き、その上にシュラフとシュラフカバーを広げて半身入った。頼りにしていたダウンシュラフが以前より快適でなくなった気がする。また湿った衣類の蒸発熱で、しばらくは凍えそうな時間が続いた。まだ17:00前後であったが、夕飯に取り掛かった。家から携えた、残飯チャーハンの残りだ。
家の冷蔵庫に放って置かれた食材と、既に時間の経った白米それらをごちゃ混ぜにして出発前日の昼に食べた、更にその残飯である。塩辛風味。山の良い所は、下界よりも食事が倍近く旨く感じられる事。残飯チャーハンも例外ではなかった。
念のためのカロリー補充という事で、カロリーメイトも2本かじった。
ラジオでは、荒川強啓氏のデイ・キャッチ。おはよう定食よりも幾分ジャーナリズムの入った論調だな、とぼんやり思った。途中で桑田佳祐氏の曲が流れ始めた辺りで、NHKに切り替えた。北島康介氏のライバル急死のニュースに声を上げて驚いたが、詳しい事は語られなかった。そして、天気予報。どこの予報でも、今日明日の荒天だけがアナウンスされた。トロい低気圧。山間部では時々強く降る事も予想されるとの事。ああ、明日も地獄か。まあ分かっていた。但し、今日以上に雪崩には気を付けないといけない。
縫った膝こぞうの為に持参した消毒液のヨードチンキが、ザックの天蓋の中で全て飛散していた。お陰でその辺りの消毒はバッチリだったが、肝心の縫った傷跡の消毒は出来なかった。もっとも下半身の装備は、毛類の股引の上からゴア雨具。それらを捲り上げて膝を見る気力すらなかった。火が起きないと、隙間だらけの避難小屋はそう楽観的な環境ではなかった。それでも雨風をしのげてありがたい事に違いないが。
その後、前回の山行で余ったまま入っていた泡盛を飲んだ。ローソクでスキットルごと暖めて飲むとよりうまかった。文明人よろしくアイポッドを耳にあてて、タイマーにして眠りに就こうとしたが、結局19:00過ぎまで寒さと姿勢の悪さ、そしてまるで誰かが入ってくるかのような戸のガタ付き音でろくに寝付けず、寒さ対策でツェルトをシュラフカバーの上からかけた。ましになったものの、滴る結露が気持ち悪かった。枕を、予備の衣類から2Lのペットボトルに交換した辺りでやっと安定し、浅い眠りに入った。
5月3日
目覚ましの効果なく、5:00起床。幾分体が乾いたせいか、思いの外寒くなかった。私はすぐに、朝飯の準備に取り掛かった。100円おやつラーメンを2玉煮込むだけ。食事と言うよりはカロリー補給だった。これで、ガスを使う予定は非常時を除いて無くなった。私は懲りずにその朝も炉内の木々に火を当ててみたが、返事は無かった。
雨音はしっかり聞こえる。今日も、タフな一日になるだろう。私はカートリッジ型のハチミツも一本絞り干した。
6:15独り占めとはいえ散らかしてしまった。私は手早く荷物を撤収し、出発準備を整えた。芯まで濡れきった登山靴を再び履くのが第一の関門だが、案外不快ではなかった。アイゼンを履き、いざ出陣。当然の雨。
昨日来た稜線を今度は登っていく。これがしんどかった。朝一とは言え、登りになると一気にペースダウンした。この先中ノ岳、武尊山と上り続けるには相当な時間がかかるだろうと思わざるを得なかった。
中ノ岳までの樹林帯から時々、吹きっ曝しのコル。精神的に、昨日より不安になっていた。時間は余りあるが、果たして体はもつか?荷物だってそれ程重い筈でもないのに、やけに消耗が早い気がした。ただ自分を支えたのは、このカメみたいな一歩一歩が、確実に自分をゴールへ向かわせているという事実だった。途中で、先日の中華料理屋での食事が頭をよぎり、あれがうまかっただのこれが喰いたいだのと始まった。それはまさに煩悩だった。いかん、先は長いのに。頭にキテるな・・・。
雨風は昨日より凶暴さを増していた。しかし昨日はガスが晴れる瞬間は一時も無かったのだが、この日は周囲の山々が見渡せるタイミングがいくらかあった。
目の前には中ノ岳がそびえていた。
昨日はそこを抜けて来たにもかかわらず、手強そうだった。頂上を通過する気は全く無く、いかにこの邪魔な山を巻いて通過するかという事を、コルの手前から色々考えた。きっと慣れている人にはそんな事もないのだろうが、私には良いルートが見えなかった。左手は、踏み抜き、雪崩のリスクと吹きっ曝し。だが、あのルートなら?と、正面の雪面にひとまず取り付く。しかし、遠目で見るよりも雪の斜面は急である。私は3点支持で急な雪面を登った。こんな危険な行為は間違っている、と思いながら。登ったら登ったで先は無かった。危険を冒して登った斜面を私はシリセードで下り、滑落停止でとまった。この辺りで、朝のラーメンが消化されてきたんだと思う。段々体が動くようになって来た。
さて、中ノ岳を攻略するのは至難の業だった。やはり、左手の雪崩の起こりそうな溶けかけの斜面を、昨日と逆にトラバースする他無さそうである。
私は中ノ岳が右手に高く聳える斜面を切っていった。すると、その先に尾根が見えた。あれだ。あれに取り付けば中ノ岳を巻いた事になる!と必死にトラバースを続けた。果たして、稜線に取り付いて藪の影で風を避けて一息ついた。
そこで方位磁針を見ると、この稜線を行くと、真南へと向かう事になる。ん?と思った。だがこの道は昨日通った気がするし…。私は困惑した。本来向かうべき武尊山は真西方向。しかしその時はちょうどガスが出ており周りの山容はとても見渡せなかった。高度計を見ると、2200m超とこの一帯の標高を凌駕しており役に立たなかった。朝に小屋で調整しておくべきだった。
私は、浮いた雪から土の道につながるその道に見覚えがあった気がしたが、根拠はそれだけだった。やはり、この稜線はおかしい。これを行くと、中ノ岳南方の「前武尊」に行く筈だ。そう思い直し稜線を北方向へ戻ると、道標が。やはり正しかった。あのまま行っていたら、前武尊へ向かい、遭難しないまでも駐車場とはかけ離れた場所へ下山する羽目になる。もっともその前に気付いただろうが。
私は道標のお陰で、完全に位置感覚を取り戻した。かくして武尊山への稜線に戻り、程なく銅像と再会した。銅像の威厳は、この悪天だからむしろピリピリとこちらに伝わってくる気がした。私は先を急いだ。
銅像の先、昨日私が一気にトラバースして登って来た斜面が左手に広がる。こんな所をよく登ってきたものだ。私は稜線を真っ直ぐ進み続けた。武尊山を目指して。
9:20 遂に3年越しの武尊山頂に到着した。眺望なんてどうでも良い。とにかく私の復讐は成就した。いや、遠足は家に帰るまでが遠足。
目標を達成し、後は下るのみ。昨日地形図を睨んだ平地まで一気に下った。そこで一瞬ガスが消え、帰路には剣ヶ峰が見えた。あれが、剣ヶ峰(昨日普通に通過してきたのだが)。その名に相応しい尖塔の様な山だ。出来れば、巻きたい。
中ノ岳を巻いた地獄からしたらと、少し甘く見ていた。剣ヶ峰と対峙し、左手は例により激しい吹き曝しと崩れそうな斜面。私は右手からの巻き道を試みた。先程の中ノ岳の教訓がある。それは、剣ヶ峰から西方即ち右手方向には、獅子ヶ鼻山という山へ繋がる尾根が出ている。右手から巻くという事は、その尾根を越えなければならない。
しかし誤算は付き物で、右手は風も無く穏やかなのと引き換えに、雪も無かった。一面、笹とハイマツ他の木々で覆われていた。私は、木々を蹂躙する事に罪悪感を覚えつつも、ひたすら藪を泳いだ。左手を見上げれば剣ヶ峰が聳え、ガスで見渡せない為に果てしなく高く感じた。藪を抜けると、やっと雪面の綺麗な稜線が現れた。方角を確認すると、どうやらそれが即ち帰路の稜線のようだった。
これで、本山行の山場は最後となった。兼ねてから、剣ヶ峰以南の下山に関しては、左手に並行するゲレンデを下ると決めていた。
私は西峰へ向かうはずの稜線を左手に下り、人工物へと歩み寄った。リフトだ。この山奥によくこれだけの建造物を建てたものだ。ただ、気持ちよく滑走したいという人間の欲望の為に。その実行力と併せて脱帽である。
山とゲレンデの境目は思いの他危険が潜んでいた。地面奥底に、轟々と雪解け水が流れていた。雪と笹に隠れてはいたが、そこを踏み抜けば確実にはまる。2メートル以上はある自然の落とし穴だった。私はゲレンデとの境目に高低差が無くなるまで、少し登り返さざるを得なかった。今思えばそれが最後の、登り。そして最後は、ゲレンデへジャンプ。
いざゲレンデに出れば、無人の、溶けかけの雪の斜面をひたすら下るのみ。こうして溶けかけのゲレンデを歩くと、ゴミが多い事に気付く。不意に落とされた物もあるだろうが、明らかなポイ捨ても多く見られた。ゲレンデに限らず、空き地、道路、どこもかしこも。ポイ捨ては人間の本能だとでも言うのか?雨の降り続く中、そんな連中を思い浮かべては悪態をついていた。だが道中、50円玉を偶然拾ってからは、私は物欲しそうに地面を見つめながら歩くようになった。
11:40 私は、スキー場中腹に立てられた中継施設の玄関口で雨宿りした。そこで、アイゼン、ピッケル、スパッツ等、役を終えた装備を収納し、身支度を整えた。この施設は、大分前に仲間とスキーをした際に食事をした記憶がある。シーズンオフで中に人気は無さそうだったが、入り口は開いていた。さすがに足を踏み入れたら不法侵入になるだろう。それよりもゴールは近い。あと一時間も歩けば車が待っている。
程なく、壮大なスキー場の本部施設を尻目に、舗装路に入った。そして12:50、車に到着した。
車で、グチャグチャの装備を全て脱ぎ、雨の山中パンツ一丁になった。くっつこうとしていた膝の切開痕は、2日間の地獄を過ごした後で、見事に開いていた。せっかく縫い繕ってもらったのに、医者に申し訳ない気持ちだ。また、濡れたせいか靴擦れが激しく、両方のかかとにはそれぞれ500円玉台の皮膚が剥がれていて自分でも痛々しかった。まあよくある事ではあるが。ジャージを着て車中にこもり、下山報告を入れた。
これで晴れて、登山前の私の勝利確信は、現実となった訳だ。
3年前の敗退時に行った、地元密着型の温泉施設が近くにある。私はそこに向かい、癒しを求めた。
玄関を開けると、何と5月6日をもって営業停止との事。なんとも寂しい話である。じっくりと湯に浸かり、帰り際、カウンター脇の物販コーナーで刺身こんにゃくとりんごジュース一瓶を買って、後にした。さようなら、いこいの湯。
レジャーとしての要素は皆無だった。どちらかというと、苦行と言うべき山行だったが、結果としては満足している。
教訓は、ややその場の勢いでトラバースや危険な直登をしてしまった事。無事だったから良かったものの、最悪の事態も起こり得た局面がたくさんあった。特に、中ノ岳周辺が私にとっては鬼門だった。また、全般的に踏み抜きも多かった。笹や木々の上に積もった雪が、私が踏み込んだ瞬間にドサッと抜け落ち、胸まで落ちた事もあった。
季節柄と天候により、泥シロップがかかったカキ氷みたいな山だった。今回の私の様に完全に目線を低く、登頂以外何も期待しない登山と割り切る。もしくは、よほど汚れるのが好きでなければ、やはり夏までもう少し待つのが良いのでは?と思った。
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