酉谷山三又(酉谷ルート)から山頂へ。ゴンパ尾根下山 s
- GPS
- --:--
- 距離
- 20.5km
- 登り
- 1,899m
- 下り
- 1,912m
天候 | 薄曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2005年04月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
酉谷山は、雲取山から北東に4キロほどの位置にある、標高1718メートルの山です。 雲取山から埼玉県との県境を東に伸びる稜線は、「長沢背稜」と呼ばれており、延長は10キロほど。この稜線上には、芋ノ木ドッケ、長沢山、酉谷山、七跳山、三ツドッケなど、深い森に囲まれた山々が連なっています。 この稜線上の山々の中で、まだ登っていなかった酉谷山に、春浅い時期に登りました。カミさんと2人パーティー。 選んだルートは、多摩川の大支流、日原川のそのまた支流にあたり、酉谷山の山懐深く、分け入っていく小川谷、酉谷のルートです。 多摩の西部地域にあるわが家から、奥多摩は近い。車で30分で、奥多摩駅前を通過。日原を経て、小川谷の林道の登りにかかりました。 小川谷林道は、20年ほど前の3月、多摩地域の街に15センチの「大雪」が降ったとき、「これで奥多摩でもスキーができる」と、山スキーを履いて、入り込んだことがありました。あのときは、林道は積雪が50センチ前後で、場所によっては吹き溜まりさえあって、暖かい日差しで雪が腐って、行きも帰りも、苦労しました。 暖冬が明けた今年の春、林道はもちろん、山の沢筋にも雪はまったく見られず、山肌をうめる木々は淡い黄緑色や朱色の若芽に彩られ始めています。早いキブシはもう盛り。山桜、フサザクラも咲き始めていました。 春の眺めに気を引かれ、小川谷の左岸をそろそろと車を走らせながら、奥多摩駅から40分ほどで犬麦谷の橋を渡り、林道の車止めの駐車スペース、「犬麦谷林道分岐点」に着きました。 ここは、小川谷の上流、「酉谷コース」を使ってストレートに避難小屋と山頂をめざす登山道の起点です。標高1040メートル。テニスコートほどの大きさの広場になっています。 その「酉谷コース」は、小川谷の本流沿いに、北の方向、さらに奥へと向かう林道(作業道?)を進みます。しかし、その入口は、わずか十数メートル行ったところで、崖からの土砂崩壊で、車は通行止めになっています。林道は、以前あったのかも知れませんが、いまはようやく踏み跡が残っている状態です。 一方、この広場から右手(北東)方向へは、よく整備された犬麦谷の林道が奥へと伸びています。こちらは入り口に車止めがあり、一般車は通行止めです。予定通り、ゴンパ尾根を下りに使うと、私たちは帰りはこの林道から降りてくることになります。 8時48分、「林道分岐点」出発し、酉谷コースに向かいました。 小川谷に沿って左岸(上流から見て)の踏み跡を進みます。コースタイムでは、山頂下の酉谷避難小屋まで、3時間です。 まず、入り口の土砂崩れ地帯を抜けなければなりません。 越えて、ひと安心と思ったら、その先も、右の山側から左下の谷底へ、30度かそれ以上ある斜度で、急な崖状の地形が続いていました。作業道(登山道)は、この斜面を水平にトラバースして、伸びています。 傾斜が急なだけでなく、足場も悪い。山側から崩れ落ちてきた土砂が道を埋め、安定した足場は土砂の下に隠れています。路肩が谷へと落ち込んでいる場所もあります。落ち葉が同じように傾斜をつけて道を埋めているところもあります。気が抜けません。私たちもとことどころ緊張しながら、すすみました。 ルートのこの危険区間は500メートル前後と思います。降雪後や春の残雪期は滑落しやすく、ハイキングの装備では通過がむずかしい。とくに下山に使う場合は、林道目前まできてこの難所があるので、引き返しもままなりません。雪の状態と装備しだいでは、下山ルートをゴンパ尾根に変更するなどの注意が必要なところです。 足場はともかくも、周囲の環境は、とてもよいところです。奥多摩の稜線直下の水源林は、自然林が主体の美しさが特徴です。小川谷の上流部のこの一帯も、桂やブナなどの立派な樹木は見ごたえがあり、登高ルートとしてはとても美しい場所が展開しています。谷を見下ろすと、苔むした沢床を穏やかに沢水が流れくだって、川底の岩に差し込む光がやわらかい。「こういう沢筋をのんびり遡行するのも、いいだろうなあ」と思わされます。道の両脇には、フデリンドウ、ヒナスミレ、エイザンスミレ、ヤマエンゴサク、ヤマハタザオなどの花も次々と現われ、立ち止まってなんども撮影しました。 20分ほど行って、崖に設置されたやや長い木の橋を渡り、さらに10分ほど進むと、登山道は谷底へ次第に降りていきました。谷は広がりがある地形に変り、沢は2本の支流に分かれました。 ここが「三又」です(標高1030メートル)。9時22分。 左手から入る沢が滝沢。右手から入る沢が酉谷で、すぐ上で「第3」の沢を1本、さらに右手から合流させています。 酉谷を、長さ6メートルほどのしっかりした木の橋で渡ります。 三又の沢床は、休み場には好適なところ。 橋を渡って向こう岸に続く踏みあとは、酉谷の沢の右岸を延びていきます。 「おっと、あの真っ白な動物は、なんだろう?」 倒木が目立つこの区間で、前方20メートルほどの岩の脇に、小さな動物を見つけました。まだ冬毛のオコジョです。1頭でした。 オコジョは、すぐ身を隠すかな、と思っていたら、私たちをじっとみつめながら、また近寄るという具合で、近づいてきます。オコジョがいつもやる、岩の間や倒木の下をくぐったり、回り込んだり、そのたびに姿が見えなくなったり、ちょっこと現われては、みつめあったり、という具合です。 ついに5メートル余りのところにある、倒木の上にやってきました。 体をのせて、またもや「みつめあい」になりました。 カメラは50ミリのマクロレンズを取り替える暇もないため、そのまま撮影。小さな顔に大きな二つの瞳。可愛いい生き物です。しかもまだ冬毛とは・・・。早い春の展開に、身づくろいがついていけなかったのでしょうか。いつもなら、奥多摩はまだ残雪の時期ですから。 三又から、2度ほど小さな枝沢や沢型が入り込んでくるのを通り抜けて、水量比1対1のはっきりした合流点に出ました。 ここが二又です。標高1208メートル。10時10分通過。 左手から流れてくる支流(水流幅2メートル弱)を、ここもしっかりした木の橋で渡ります。二又の中央にある尾根末端を、折り返しながらわずかに登ったあと、右の酉谷川本流沿いにすすみ、その右岸を登っていきます。 昨夕から今朝方にかけて、けっこう強い雨と強い風が、日本列島を駆け抜けていきました。今日の登高ルートが沢沿いコースであることから、ちょっと心配していたのです。しかし、歩いて見ると、地面はふかふか、雨水はすっかり吸収されているし、沢は増水の気配さえなく、淵もすばらしい透明度です。そこそこの雨量ならば、この自然の林の保水力は十分に対応してくれるということでしょう。 でも、一方で、このあたりまで分け入ってくると、林床の植生が草も笹も幼木も、ほとんど何もない異様さに気づかされます。増えすぎたといわれる鹿の食害です。 とくに笹(スズタケなど)は、伸びかけた葉まで繰り返し食べられ、ついには枝先も食われて、茎そのものが立ち枯れしたり、笹がごっそり朽ち果てて裸地化しているところが、周囲に展開しています。いまの時期、落ち葉が地表を覆っているため、まだ光景は緩和されていますが、豪雨の時期にはあちこち裸の地面や崩壊場所も現われてくるのではないでしょうか。 沢はやさしい渓相のまま傾斜を増し、水流はすっかりか細くなってきました。一方で、道は踏み跡が不明瞭なところが多くなり、カミさんは何度も立ち止まって、前方の目印や周囲の地形から読み取って、ルートをたどっていくようになりました。 傾斜がまた少しきつくなった頃、前方に見え隠れしていた稜線の下に、新しく出来た酉谷山避難小屋が見えました。まだ2キロほどの距離がありそう。ここから1時間半はかかるかもしれません。 葉が茂る時期だと、この見通しは得られないでしょう。 枝沢となった水流がいっそうかぼそくなったところに、朽ちかけた「旧避難小屋」がありました。 10時21分。標高1260メートル。 小屋は1・5坪ほどの建坪です。四方の板壁は半分ほどしか残っていません。屋根はまだ雨をしのぐだけの役目はしてくれます。それに沢の源頭の細い水流の脇に建っているので、水場は目の前です。この時期でも水は流れていました。ただし、森の樹木が頭上を覆っているため、眺めはありません。 ここで、登山口いらい最初の小休止を6分ほど。 休んで、また登りだします。 ここから稜線下の小屋までは、1時間。標高差で350メートルを一気にツメ登る、この「酉谷ルート」の山場です。 小屋跡から、わずかな登りで、枝沢の水はついに涸れ、地形が扇形にひらけた明るい場所にでました。(10時39分) どっちへ進むのか、踏み跡を見失いかけますが、注意して観察すると、人が歩いた石は、色や落ち着き具合でそれとわかります。こんなとき、もし道の両側に笹があれば、ルートは明瞭なはず。でも、林床の植生がほとんど消えてしまった一帯では、踏み跡はほんとに判別しにくい。登山者が少ない山だけに、なおのことです。まあ、こういう道探しが、酉谷山のような山の、楽しみの一つなのでしょう。 ここには、これまでの経由ポイントと同じで、小屋方向を示すしっかりした道標があります。でも、おおよその方角が示されても、たどる踏み跡をきちんと確認しないと、すぐ先でまごつくことになります。私たちも慎重に確認をすすめました。 (実際、帰ってからハンディGPSの軌跡を地図に落としてみると、この区間ではもともとの登山道を大きくそれて、実際の踏み跡が直線的に伸びていました。以前の条件とは違ってきて、ルートが変わってしまった様子です。) そんななかで、石ころがそこだけ上部へ向かって堆積し、わずかに丸い窪みが続くラインがありました。大雨のときに流水が流れ下る道です。その脇にあるかすかな踏み跡を手がかりに、私たちは沢型をたどってまっすぐに登っていきました。 そろそろ小屋が近い。踏み跡は次第に明瞭になり、周囲にわずかの笹が回復してくると、避難小屋と稜線が近い印です。登山道が現われ、2回、電光形に折り返して、私たちは酉谷山避難小屋に着きました。 11時23分。標高1600メートル。 小屋は建てられて、まだ数年でしょう。新しいし、清潔に管理されていました。 稜線の下の急斜面に、石積みの基礎を築いて、建てられています。奥行きはとれても、横幅を広げられず、細長く斜面に張り付くような造りですが、それだけにガラス窓からの眺めがすばらしい。雲取山は樹林の陰ですが、七ツ石山、鷹ノ巣山から氷川へとつづく石尾根、その背後に御前山と大岳山、そして東に川苔山方面を望むことができました。 小屋の脇に流れ落ちているという水は、涸れていました。冬期は残雪頼みということでしょう。 デパートの「金沢の物産展」で入手した「柿の葉寿司」や「きんつば」などの昼食を食べているうちに、それぞれ単独行の2人の登山者が通過していきました。 11時48分、さあ、酉谷山へむけて、出発です。 20メートルほど登ったところが、長沢背稜の縦走路(11時51分通過)。 この分岐点から山頂への標識に導かれて、稜線に上がります。酉谷峠(1626メートル)です。今度は稜線を西に進みます。 山頂は、ここから距離で600メートルほどのところでした。 前回の挑戦は、6年前のGW。残雪が日陰で1メートルほどもあった雲取山の、天場で幕営し、翌朝、長沢背稜の縦走にかかりました。家族4人のパーティー。でも、このときは2日目の行動食のすべて(重盛の人形焼1箱ほか)を登山口に忘れて、途中で腹がへりすぎて、天祖山経由で、日原林道へ下山してしまいました。 今度は、もう大丈夫。山頂は、緩やかな登りをあとほんのわずかで、すぐとどくところにあります。 12時10分、酉谷山の山頂(1718メートル)に着きました。 この季節ということもあるでしょうが、予想したよりずっと開放的な山頂でした。埼玉県側は背丈がある樹木にさえぎられていますが、南から東の方角は、見晴らしのために樹木が伐採されて、石尾根の背後の三頭山から笹尾根の方面も、見渡せます。私の居住地からはすぐ近くに見える大岳山が、ずっとはるか東方に、特徴のあるにょっきり頭をもたげています。 長沢背稜の連なる先に、七跳山と三ツドッケも望めました。 雲取山は、やはり樹木の向こうに透かし見える状態です。 山頂では、この日、3人目の単独行の登山者に出会いました。日曜日の晴天のこの日でも、出会った登山者は、この3人限りでした。 12時22分、山頂出発。下山です。 まずは、長沢背稜を、七跳山まで一気に移動します。 小屋までの下降では、登りのときに痛ましく眺めてきた、鹿の食害の跡を確認して歩きました。赤松などの針葉樹も、そして様々な広葉樹も、歯でそぎ落とせる高さの範囲で、ぐるりと樹皮がはぎとられ、その下部の柔らかい組織が食べつくされています。カンナか皮むきで削ったように、鮮やかな色合いの木部がむき出しになっています。 水分と養分が行き来する「血管」にあたる導管の部分が断ち切られれば、木は死ぬしかありません。 前年、あるいは数年前に樹皮をはぎとられた樹木は、立ち枯れし、倒れこんで、この区間だけで数本が登山道をふさいでいました。 試しに、立ち止まって360度、周囲40メートルほどの見える範囲で樹皮をむかれた木の本数を数えると、真新しい食害の跡だけで、10本前後をすぐに数えることができました。 木がまばらになれば、健康な木も風でなぎ倒されます。下生えが食べつくされ、森も消失にすすめば、山はいまの姿ではいられません。 森と山とが、丸ごと危機に直面しているのを実感しました。 稜線の道は、小屋の上で縦走コースに合流したあと、長沢背稜を東にたどります。この縦走路は、ピークと鞍部とを登り下りする尾根のてっぺんを避けて、稜線のすぐ下を、ほとんど水平にトラバースしていきます。平坦な道がしばらく続きます。水源林の作業道だからです。経済的ではありますが、見晴らしが悪くて、登山者から見るともっと変化がほしいところ。その代わり、急ぐ脚には、好適ではあります。 13時27分、七跳山の「ゴンパ尾根分岐点」に着きました。七跳山あたりまでくると、酉谷山、芋ノ木ドッケ、雲取山、背後の飛竜山などが、樹木越しに切れ切れに望めます。 八朔みかんとお茶で休憩のあと、13時56分、ゴンパ尾根を下りはじめました。 このあたり、森の様子は、天祖山の尾根とよく似ていて、長い期間、自然のままに保存されてきた林が展開しています。中腹ではミズナラの大木がつぎつぎと現れ、直径1・5メートルほどのもの、根元が株立ちしているもの、大きな洞をもつものなど、見ごたえがあります。大木が現われるたびに、立ち止まって眺めつづけ、ゆっくり時間がすぎるひとときを味わいました。 道は、作業道としてよく整備され、終始、電光形に急斜面を切って、高度をどんどん下げていきます。 檜の植林地帯になると、ずっと下方に犬麦谷が見おろせるようになります。まだまだはるか下方です。 その犬麦谷が、どんどん近づいてくると、林道も近い。 15時05分、犬麦谷林道に降り立ちました。 そこから、車をデポした広場は、300メートルほど。 15時12分、登山口に到着。 私にとっての奥多摩の未踏破のエリアを、また一つ埋めることができた酉谷山の登山でした。 http://trace.kinokoyama.net/kanto/toridaniyama0704.htm |
写真
感想
以下は、1999年の時点で、山の展望と地図のフォーラムに書いていた文章。
酉谷山は、私も登りたくて、まだ実行していなかったのですけれども、そ
の一番のブレーキは、奥深い山ということでした。日が長い時期は、暑いの
で、それも敬遠の要因になってきました。
いいさんが、日帰りで回ってこられたと知って、少々、心が動き始めまし
た。でも、ヨコスズ尾根から回ると、距離はけっこうあったでしょうに、相
当なペースですね。前に家族ハイクでこの尾根に上がったときに、次男(当
時3歳くらい)が尾根から沢側へ転んで、いっしょにダイブして足をつかま
えたことがありました。
避難小屋ができたことと、山頂の見晴らしが良くなっていたことは、前に
(3月初めごろ)Eさんが報告していました。でも、水場もあるというの
は、また魅力ですね。いいさんの報告ですと、小川谷の林道から登りやすい
とのことでしたので、一度、家族で小屋に泊りに行きたいと思いました。
水場は、秋の好天のころでも涸れないようなしっかりした水源なんでしょう
か。いいさんには申し訳ないですが、林道をどこまで車で上がれるかという
条件によっても、行程が大きく変わりそうですね。
小川谷からは、私も行けるところまで酉谷山に接近しようと、雪がたくさ
ん降った後にためしに登ったことがありました。雪の上に猿の群れの足跡が
いっぱいついていて、それなのに一匹も姿が見えないのに、無気味な思いを
して来ました。
酉谷山は、五日市線の多摩川の鉄橋からも良く見える山です。西多摩地域
からなら、たいていの所から、見える山かもしれませんね。あそこに登っ
て、反対側の奥秩父の側を眺めて見たいと思います。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
はじめまして。
数日前にヤマレコに登録してこれから山の記録を書こうと思っている者です。 先週1/23に登った「酉谷山」で検索し、ここに来たところ、私が登った同じルートで書かれていたので、書かれているその場面が手に取るように思い出されました。先週は避難小屋から頂上までの道は雪で所々凍っていて何回かすべって転びチョット大変でした。それと、同じゴンバ尾根を降りたのですがZ字状の道が終わったあたりで道を見失いず〜と尾根沿いに降りた為、最後は道のない林の急坂をすべるように(冷や汗をかきながら)犬麦谷林道に駆け降りてきました。来週、このルートの山行記録を書こうと思っていますので良かったら見てください。書く内容がほとんど同じかもしれませんね(*^。^*)
(そんなことはないです・・・・)
lizhijpさん、雪の酉谷山は、登りも下りも難所が現われるんですね。アイゼンを使う斜度のところが、それぞれ出てきますね。逆コースだと、上部の長い沢型は、かなり怖いと思います。
林道は、大雪があると、私も一度、スキーで登ったことがあるのですが、谷を見下ろす怖いルートになります。最近は雪が少なめとはいえ、ここもずっと歩いて日帰りされちゃった体力には、敬服です。
記録のアップを楽しみしております。
tanigawaさんの書き方を参考に同じルートの酉谷山で山行記録を作って見ました。
多少勘違いされているようなので念の為断っておきますが「私はそんなに思われるほどの体力はありません、この登山も小屋で1時間も休憩しましたし、精一杯でやっとです」
lizhijp さん。
記録の方にコメントしておきました。
果敢に挑みながら、なかなか要所で冷静な判断と思いました。
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