金剛院入口 スタート
元治二年(1865)の石柱です。
まずはロードを進みます。
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8/1 5:22
金剛院入口 スタート
元治二年(1865)の石柱です。
まずはロードを進みます。
道祖神
この他にも沢山の石造物がありましたが、多くを割愛しています。
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8/1 5:31
道祖神
この他にも沢山の石造物がありましたが、多くを割愛しています。
名号塔と如意輪塔
自然石を使用した立派な石碑があり、往時の信仰を彷彿とさせます。
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8/1 5:35
名号塔と如意輪塔
自然石を使用した立派な石碑があり、往時の信仰を彷彿とさせます。
古道入口
石碑の背後に古道が見え、ピンクテープもありました。
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8/1 5:43
古道入口
石碑の背後に古道が見え、ピンクテープもありました。
古道
朝日の木漏れ日が気持ちいいですが、ザックが重く汗だくです。
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8/1 5:47
古道
朝日の木漏れ日が気持ちいいですが、ザックが重く汗だくです。
馬頭尊 大正十三年
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8/1 5:49
馬頭尊 大正十三年
御嶽神社(金剛院)
鹿除けのために表は閉ざしているそうです。早朝なので、ここから参拝です。
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8/1 5:55
御嶽神社(金剛院)
鹿除けのために表は閉ざしているそうです。早朝なので、ここから参拝です。
金剛院歴代住職墓
この裏手に山道があります。
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8/1 5:58
金剛院歴代住職墓
この裏手に山道があります。
山道は草ぼうぼうですが、歩きやすいです。
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8/1 6:04
山道は草ぼうぼうですが、歩きやすいです。
林道に合流しました。
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8/1 6:11
林道に合流しました。
林道からの朝焼け
左奥が観音山、右は四阿屋山の稜線です。いずれも奥秩父の末端です。
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8/1 6:21
林道からの朝焼け
左奥が観音山、右は四阿屋山の稜線です。いずれも奥秩父の末端です。
擁壁を登り、尾根に乗り上げます。
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8/1 6:24
擁壁を登り、尾根に乗り上げます。
・748
植林ピークです。両見山はすぐ先です。
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8/1 6:39
・748
植林ピークです。両見山はすぐ先です。
両見山
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8/1 6:42
両見山
左の祠には両現宮両神奥社と両神御嶽神社、右の祠には大山祇大神とありました。
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8/1 6:43
左の祠には両現宮両神奥社と両神御嶽神社、右の祠には大山祇大神とありました。
・892
広々としたピークで、腰掛けにちょうど良い岩もありました。
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8/1 7:17
・892
広々としたピークで、腰掛けにちょうど良い岩もありました。
三合落岳への急登
徐々に斜度が増していきます。
この辺りで猪に遭遇しました。
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8/1 7:40
三合落岳への急登
徐々に斜度が増していきます。
この辺りで猪に遭遇しました。
このあと四つん這いで登る斜度になり、滑落注意の急登でした。下りでは、ロープ必須かと思われます。
ここで不安を感じた場合は引き返した方が良いのかなと思います。
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8/1 7:46
このあと四つん這いで登る斜度になり、滑落注意の急登でした。下りでは、ロープ必須かと思われます。
ここで不安を感じた場合は引き返した方が良いのかなと思います。
主稜線に乗ると、北側は切れ落ちた岩場になっておりました。
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8/1 8:16
主稜線に乗ると、北側は切れ落ちた岩場になっておりました。
三合落岳
ここまでが第一関門でした。
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8/1 8:18
三合落岳
ここまでが第一関門でした。
三合落岳の西は、痩せ尾根の枝漕ぎとなります。両側とも下は崖なので、枝でバランスを崩さないように注意です。尾根伝いに進むと崖で行き止まりになるので、北側に巻道がありました。
3
8/1 8:41
三合落岳の西は、痩せ尾根の枝漕ぎとなります。両側とも下は崖なので、枝でバランスを崩さないように注意です。尾根伝いに進むと崖で行き止まりになるので、北側に巻道がありました。
天武将尾根、奥は二子山です。
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8/1 8:43
天武将尾根、奥は二子山です。
梵天尾根
左のピークは凄い斜度だ。
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8/1 8:45
梵天尾根
左のピークは凄い斜度だ。
三合落岳の激下りを振り返って
写真では伝わらないですが、木を支点にして三点確保で下りました。
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8/1 9:07
三合落岳の激下りを振り返って
写真では伝わらないですが、木を支点にして三点確保で下りました。
山の神
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8/1 9:10
山の神
煤ノ山北峰
藪中のピークです。南峰の方が少し高いようですが、この後のことを考えてスルーです。
雉の大物がいました。
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8/1 9:38
煤ノ山北峰
藪中のピークです。南峰の方が少し高いようですが、この後のことを考えてスルーです。
雉の大物がいました。
前方は瞽女ヶ岳
この辺りで雲が出てきてしまい、展望が無くなりました。
5
8/1 10:16
前方は瞽女ヶ岳
この辺りで雲が出てきてしまい、展望が無くなりました。
ここも激下りで注意です。
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8/1 10:18
ここも激下りで注意です。
瞽女ヶ岳へは岩場の急登です。
ここ登るの?と躊躇するほどの急登です。
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8/1 10:42
瞽女ヶ岳へは岩場の急登です。
ここ登るの?と躊躇するほどの急登です。
登りきると岩壁になるので、左へ巻きますが…
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8/1 10:55
登りきると岩壁になるので、左へ巻きますが…
この斜度をへつりました。
木や岩の支点が無いところもあり、かなり危険でした。
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8/1 11:00
この斜度をへつりました。
木や岩の支点が無いところもあり、かなり危険でした。
瞽女ヶ岳南峰
最悪なことに、雨粒がポツポツと落ちてきました。
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8/1 11:06
瞽女ヶ岳南峰
最悪なことに、雨粒がポツポツと落ちてきました。
南峰から北峰も激下りでした。
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8/1 11:11
南峰から北峰も激下りでした。
瞽女ヶ岳北峰
山名板のあるピークです。
ここまでの危険箇所の連続で精神がやられ、進むのをやめようか躊躇しました。
グレープフルーツを食べ、心身ともにリフレッシュできました。
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8/1 11:22
瞽女ヶ岳北峰
山名板のあるピークです。
ここまでの危険箇所の連続で精神がやられ、進むのをやめようか躊躇しました。
グレープフルーツを食べ、心身ともにリフレッシュできました。
瞽女ヶ岳の急坂を下ると、植林ゾーンになります。
この区間はサクサク進めるので、足腰と心を休めることができました。
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8/1 11:46
瞽女ヶ岳の急坂を下ると、植林ゾーンになります。
この区間はサクサク進めるので、足腰と心を休めることができました。
大谷山
斜度も緩やかな、植林内のピークでした。
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8/1 12:01
大谷山
斜度も緩やかな、植林内のピークでした。
岩場もありますが、左巻きで進みました。
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8/1 12:08
岩場もありますが、左巻きで進みました。
大谷峠
石祠には薄村とあり、山仕事に関わる山の神かと。
周辺には酒瓶が多量にありました。
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8/1 12:09
大谷峠
石祠には薄村とあり、山仕事に関わる山の神かと。
周辺には酒瓶が多量にありました。
謎の日向
テント泊に良さそうです。
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8/1 12:26
謎の日向
テント泊に良さそうです。
・1284
振り返ると、この先が逸見尾根の核心部でありデスゾーンだったかと…
4
8/1 12:35
・1284
振り返ると、この先が逸見尾根の核心部でありデスゾーンだったかと…
鹿除けのネットが出現し、ルートミスしてしまいました。
3
8/1 12:47
鹿除けのネットが出現し、ルートミスしてしまいました。
正しくはネットを北巻きするように右折です。20分のロス。
激下りなので、ネットを掴みながら下ります。しかし靴とストックに絡むので、歩きづらいです。
5
8/1 13:00
正しくはネットを北巻きするように右折です。20分のロス。
激下りなので、ネットを掴みながら下ります。しかし靴とストックに絡むので、歩きづらいです。
左手(南)はネットなので北巻き一択となり、樹林帯なので視界もきかず、かなりハードです。
おまけに疲労がピークに達し、脚もつり始めました。
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8/1 13:08
左手(南)はネットなので北巻き一択となり、樹林帯なので視界もきかず、かなりハードです。
おまけに疲労がピークに達し、脚もつり始めました。
崖を北巻きして下の段(獣道)をへつります。(さらに下も崖)
4
8/1 13:23
崖を北巻きして下の段(獣道)をへつります。(さらに下も崖)
木を伝って下りるか、ロープだすか、戻ってさらに巻くかの選択肢を迫られました。
ストックを放り投げて、木を下りることにしました。
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8/1 13:25
木を伝って下りるか、ロープだすか、戻ってさらに巻くかの選択肢を迫られました。
ストックを放り投げて、木を下りることにしました。
枝に足をかけて下がったあと、ネットを掴みながら下りました。
さらにこのパターンが・1313手前にもう一度ありました。
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8/1 13:28
枝に足をかけて下がったあと、ネットを掴みながら下りました。
さらにこのパターンが・1313手前にもう一度ありました。
もはや左巻きの道標となっている「鳥獣保護区 埼玉県」ここは踏み跡明瞭なテープありの巻道がありました。
5
8/1 13:33
もはや左巻きの道標となっている「鳥獣保護区 埼玉県」ここは踏み跡明瞭なテープありの巻道がありました。
先へ進むと岩頭が現れるので北巻きしました。
3
8/1 13:52
先へ進むと岩頭が現れるので北巻きしました。
岩頭上のケルン
5
8/1 13:56
岩頭上のケルン
近くて遠い逸見ヶ岳、背後には両神山。
8
8/1 13:58
近くて遠い逸見ヶ岳、背後には両神山。
天武将尾根と犬曳尾根、日向大谷も見えました。
10
8/1 13:59
天武将尾根と犬曳尾根、日向大谷も見えました。
・1313を北巻き中
「・1313はスルーしちまえよ?」
「それもそうだな。」
こんな葛藤を頭の中でしています。
4
8/1 14:12
・1313を北巻き中
「・1313はスルーしちまえよ?」
「それもそうだな。」
こんな葛藤を頭の中でしています。
岩稜を右左に振り分けながら縫うように進んでいます。
この塩梅は言葉では説明できないし、同じところを辿ろうとしても、おそらく再現できないと思われます。
4
8/1 14:21
岩稜を右左に振り分けながら縫うように進んでいます。
この塩梅は言葉では説明できないし、同じところを辿ろうとしても、おそらく再現できないと思われます。
大岩の鞍部
へつりながら右回りの崖下りをして、写真右縁の岩と土の境にあるクラックから登りました。ここもかなりの危険箇所でした。
4
8/1 14:28
大岩の鞍部
へつりながら右回りの崖下りをして、写真右縁の岩と土の境にあるクラックから登りました。ここもかなりの危険箇所でした。
岩壁の回廊
写真では伝わりませんが、二人並んでも歩けるサイズ感です。高さも5m位あるかもしれません。
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8/1 14:47
岩壁の回廊
写真では伝わりませんが、二人並んでも歩けるサイズ感です。高さも5m位あるかもしれません。
逸見ヶ岳直下をへつります。
写真では普通ですが、下はえげつない斜度なのとホールドが乏しいので危険でした。
4
8/1 14:52
逸見ヶ岳直下をへつります。
写真では普通ですが、下はえげつない斜度なのとホールドが乏しいので危険でした。
逸見ヶ岳南峰
ここは激藪を掻き分け、山名板を発見です。
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8/1 14:58
逸見ヶ岳南峰
ここは激藪を掻き分け、山名板を発見です。
逸見ヶ岳北峰
さらに藪を掻き分けて進み、岩を登るとたどり着けました。
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8/1 15:03
逸見ヶ岳北峰
さらに藪を掻き分けて進み、岩を登るとたどり着けました。
両神山
幸運にも晴れ間がのぞき、この絶景を見ることができました。ここまでの疲れが吹き飛んだのと、精神的にも持ち直すことができました。
16
8/1 15:04
両神山
幸運にも晴れ間がのぞき、この絶景を見ることができました。ここまでの疲れが吹き飛んだのと、精神的にも持ち直すことができました。
夢中でシャッターを切ります。
『新編武蔵風土記稿』という江戸時代の書物にも描かれている風景です。
左から梵天尾根、逸見尾根、産泰尾根、天武将尾根、西岳尾根、全ての稜線とそれらが折りなす谷が、中央の岩屏風に集約されているかのようです。
9
8/1 15:04
夢中でシャッターを切ります。
『新編武蔵風土記稿』という江戸時代の書物にも描かれている風景です。
左から梵天尾根、逸見尾根、産泰尾根、天武将尾根、西岳尾根、全ての稜線とそれらが折りなす谷が、中央の岩屏風に集約されているかのようです。
檗平
金剛院道きっての穏やかな場所です。
3
8/1 15:30
檗平
金剛院道きっての穏やかな場所です。
・1351
逸見ヶ岳から先は、注意箇所はありますが普通に歩けるレベルかと思います。
3
8/1 15:38
・1351
逸見ヶ岳から先は、注意箇所はありますが普通に歩けるレベルかと思います。
南には大きな岩の裂け目
3
8/1 15:48
南には大きな岩の裂け目
銀明水神
どうやら一心誠講、河野家の大先祖を祀っている聖地のようです。
奥の碑は逸見ヶ岳で修行した、甲源一刀流の開祖である逸見大四郎の顕彰碑で、平成九年とありました。
10
8/1 16:11
銀明水神
どうやら一心誠講、河野家の大先祖を祀っている聖地のようです。
奥の碑は逸見ヶ岳で修行した、甲源一刀流の開祖である逸見大四郎の顕彰碑で、平成九年とありました。
海老弦ノ頭
烏天狗、大天狗、小天狗
共に一心誠講による造立で、大天狗には昭和四十二年とありました。さらに右二つには銘がありました。
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8/1 16:17
海老弦ノ頭
烏天狗、大天狗、小天狗
共に一心誠講による造立で、大天狗には昭和四十二年とありました。さらに右二つには銘がありました。
三笠山直下の岩場
ここまでこれるなら、この岩登りは楽勝かと。
もっと際どいところが無数にあったよ。
5
8/1 16:27
三笠山直下の岩場
ここまでこれるなら、この岩登りは楽勝かと。
もっと際どいところが無数にあったよ。
コノハズク?の鳥小屋
暗視カメラのようなモノまでありましたよ。
4
8/1 16:37
コノハズク?の鳥小屋
暗視カメラのようなモノまでありましたよ。
三笠山
春日大神、天照大神、八幡大神
右の八幡大神には佐久郡宿岩村とあり、金剛院文書「八日見山奉納金請取帳」という史料に記載されている、明治元年の八幡宮に比定できます。
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8/1 16:41
三笠山
春日大神、天照大神、八幡大神
右の八幡大神には佐久郡宿岩村とあり、金剛院文書「八日見山奉納金請取帳」という史料に記載されている、明治元年の八幡宮に比定できます。
天狗像
台石に郡 松田 満吉などの銘がありました。
古文書の慶應二年(1866)阿留口天狗に比定できる。さらに阿留口天狗とは木曽御嶽信仰の神である、阿留摩耶天の可能性があります。
7
8/1 16:47
天狗像
台石に郡 松田 満吉などの銘がありました。
古文書の慶應二年(1866)阿留口天狗に比定できる。さらに阿留口天狗とは木曽御嶽信仰の神である、阿留摩耶天の可能性があります。
三宝荒神
台石には御嶽の山丸三に慶應三年(1867)の年号、造立者名と石工石塚文七郎の銘がありました。
こちらも古文書に記載ありです。
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8/1 16:52
三宝荒神
台石には御嶽の山丸三に慶應三年(1867)の年号、造立者名と石工石塚文七郎の銘がありました。
こちらも古文書に記載ありです。
三笠山刀利天
木曽御嶽信仰の神
台石には上州碓井郡大先達天照寺とあり、古文書には慶應三年(1867)とあります。
6
8/1 16:57
三笠山刀利天
木曽御嶽信仰の神
台石には上州碓井郡大先達天照寺とあり、古文書には慶應三年(1867)とあります。
一位ヶタワ
大山祇命、昭和三十一年とありました。
6
8/1 17:02
一位ヶタワ
大山祇命、昭和三十一年とありました。
一位局と白龍一位大明神
女人禁制を破り石にされた伝説の巫女、一位局が祀られております。造立者は両神山の女人禁制を打破したと云われる一心誠講大先達、渡辺ひさ。昭和三十五年とありました。
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8/1 17:03
一位局と白龍一位大明神
女人禁制を破り石にされた伝説の巫女、一位局が祀られております。造立者は両神山の女人禁制を打破したと云われる一心誠講大先達、渡辺ひさ。昭和三十五年とありました。
清滝小屋へ
鎖場もありますが、これを掴むような人はここには来ないでしょう…
5
8/1 17:11
清滝小屋へ
鎖場もありますが、これを掴むような人はここには来ないでしょう…
清滝小屋
スタートから丁度12時間です。無事に辿り着きました…安堵の瞬間です。
17
8/1 17:21
清滝小屋
スタートから丁度12時間です。無事に辿り着きました…安堵の瞬間です。
両神山に登頂された三人組のパーティーと相部屋となり、夕食をお裾分けしていただきました。
翌朝もコーヒーを入れて下さるなど、本当にありがたかったです。
12
8/1 19:43
両神山に登頂された三人組のパーティーと相部屋となり、夕食をお裾分けしていただきました。
翌朝もコーヒーを入れて下さるなど、本当にありがたかったです。
おはようございます。天気は残念ですが、六時に出発です。使わないであろう装備をデポしたので、リュックが空気です。
2
8/2 6:06
おはようございます。天気は残念ですが、六時に出発です。使わないであろう装備をデポしたので、リュックが空気です。
氷穴
春になっても氷が残る穴とのことですが、この辺りはいくつも穴があるので今ひとつ確信がもてません。
5
8/2 6:11
氷穴
春になっても氷が残る穴とのことですが、この辺りはいくつも穴があるので今ひとつ確信がもてません。
神変窟
役小角が籠もって修行した伝説があるそうな。結界とお札があったので、間違い無いかと。
3
8/2 6:17
神変窟
役小角が籠もって修行した伝説があるそうな。結界とお札があったので、間違い無いかと。
二度目の一位ヶタワ
一位局の後ろに登るように道があります。
2
8/2 6:29
二度目の一位ヶタワ
一位局の後ろに登るように道があります。
髭擦岩と呼ばれる岩ですが、ガスでほとんど見えません。
4
8/2 6:41
髭擦岩と呼ばれる岩ですが、ガスでほとんど見えません。
鎖などもあり、かつての参道の痕跡はあります。
2
8/2 6:42
鎖などもあり、かつての参道の痕跡はあります。
観音菩薩
上州□講中とありました。
このあと道をロストしてしまいました。
【古文書に記されている大江大権現の可能性が高いです。】追記
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8/2 6:43
観音菩薩
上州□講中とありました。
このあと道をロストしてしまいました。
【古文書に記されている大江大権現の可能性が高いです。】追記
寺平の竹内宿禰
ルートミスの結果、不動明王像と行者像をとばしてしまったようです。
4
8/2 7:14
寺平の竹内宿禰
ルートミスの結果、不動明王像と行者像をとばしてしまったようです。
東照大権現
上州宮本講による造立です。下仁田上町 山口などもあり、背面には石工黒沢三重郎とあります。
古文書には慶應二年(1866)とあります。
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8/2 7:25
東照大権現
上州宮本講による造立です。下仁田上町 山口などもあり、背面には石工黒沢三重郎とあります。
古文書には慶應二年(1866)とあります。
梯子のある廃道
ランドマークを見つけると安心できます。
4
8/2 7:34
梯子のある廃道
ランドマークを見つけると安心できます。
鏡岩
朝日を反射して光ると云うそうですが、まさしくその通りに光っておりました。
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8/2 7:36
鏡岩
朝日を反射して光ると云うそうですが、まさしくその通りに光っておりました。
覗岩
東覗きとも云われる、かつて修験者が宙吊りになって崖下を覗く荒行が行われていた場所です。
ガスで視界ゼロなので、再訪決定です。
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8/2 7:40
覗岩
東覗きとも云われる、かつて修験者が宙吊りになって崖下を覗く荒行が行われていた場所です。
ガスで視界ゼロなので、再訪決定です。
両神神社(観蔵院)奥社
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8/2 7:55
両神神社(観蔵院)奥社
御嶽神社(金剛院)奥社内部
立派な衣冠束帯の銅像は御嶽山座王大権現様。
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8/2 7:57
御嶽神社(金剛院)奥社内部
立派な衣冠束帯の銅像は御嶽山座王大権現様。
大日如来立像
台座正面には横濱講中とあり、側面には石工黒澤三重郎の銘を確認しました。
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8/2 7:58
大日如来立像
台座正面には横濱講中とあり、側面には石工黒澤三重郎の銘を確認しました。
山頂直下の清和天皇台座
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8/2 8:25
山頂直下の清和天皇台座
さらに下には清和天皇像の部材がありました。
一心誠講による造立で、河合家の始祖である清和天皇が祀られていたようです。
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8/2 8:29
さらに下には清和天皇像の部材がありました。
一心誠講による造立で、河合家の始祖である清和天皇が祀られていたようです。
剣ヶ峰
全く期待していなかった青空です。
帝釈天もあります。
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8/2 8:31
剣ヶ峰
全く期待していなかった青空です。
帝釈天もあります。
女座山
御嶽三尊碑と普寛霊神碑
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8/2 8:34
女座山
御嶽三尊碑と普寛霊神碑
女座山展望
赤岩尾根がかすかに見える程度でした。
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8/2 8:34
女座山展望
赤岩尾根がかすかに見える程度でした。
横岩
3
8/2 9:08
横岩
清滝不動三尊
デポした荷物をまとめて下山です。
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8/2 9:30
清滝不動三尊
デポした荷物をまとめて下山です。
弘法の井戸
霊水を恒例のお土産にします。
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8/2 9:53
弘法の井戸
霊水を恒例のお土産にします。
伊波羅天宮
木曽御嶽信仰の神で、普寛行者ゆかりの秩父御岳山の守護神。
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8/2 10:03
伊波羅天宮
木曽御嶽信仰の神で、普寛行者ゆかりの秩父御岳山の守護神。
八海山大頭羅神王
越後八海山の守護神であり、木曽御嶽信仰の神。
3
8/2 10:16
八海山大頭羅神王
越後八海山の守護神であり、木曽御嶽信仰の神。
杭岩の基部
3
8/2 10:34
杭岩の基部
薄川
両神山の表参道ともいわれる、百名山の人気コースなので多くの方とすれ違います。
全身泥だらけの私は、まるで滑落したかのようで、少し恥ずかしいです。
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8/2 10:37
薄川
両神山の表参道ともいわれる、百名山の人気コースなので多くの方とすれ違います。
全身泥だらけの私は、まるで滑落したかのようで、少し恥ずかしいです。
荒沢不動
145cmを測り、両神山中では最大の石仏です。
上州安中宿豊岡村による造立です。
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8/2 10:48
荒沢不動
145cmを測り、両神山中では最大の石仏です。
上州安中宿豊岡村による造立です。
普寛行者像
上州碓井郡安中講中による造立で御嶽の山丸三もあります。
側面には石工黒沢の銘がありました。
4
8/2 11:10
普寛行者像
上州碓井郡安中講中による造立で御嶽の山丸三もあります。
側面には石工黒沢の銘がありました。
観蔵堂 観蔵行者
表参道を開拓した両神神社(観蔵院)中興の祖。
3
8/2 11:33
観蔵堂 観蔵行者
表参道を開拓した両神神社(観蔵院)中興の祖。
両神神社(観蔵院)
無事下山の感謝を込めて参拝です。
このあと偶然にも11:48のバスがやってきました。
「ロード歩きやめて乗っちまえよ?」
「それもそうだな」
ゴールです。
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8/2 11:36
両神神社(観蔵院)
無事下山の感謝を込めて参拝です。
このあと偶然にも11:48のバスがやってきました。
「ロード歩きやめて乗っちまえよ?」
「それもそうだな」
ゴールです。
両神温泉薬師の湯
温泉でリフレッシュ後は、薬師蕎麦(800円)です。営業時間内に訪れることができたのは初めてです。
わらじカツ丼も捨てがたいですが、サッパリした蕎麦が疲れた身体に染み渡ります。
おしまい。
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8/2 13:07
両神温泉薬師の湯
温泉でリフレッシュ後は、薬師蕎麦(800円)です。営業時間内に訪れることができたのは初めてです。
わらじカツ丼も捨てがたいですが、サッパリした蕎麦が疲れた身体に染み渡ります。
おしまい。
montblanc55さん、こんにちは!
無事に目標達成できて、おめでとうございます。
これも2か月に渡る入念な計画と下調べ、そして本人の熱い情熱のたまものと思います。
2日目の迎えに間に合わず、申し訳ありませんでした。
また涼しくなって、「今度は四阿屋山から通しで歩きましょう!」なんて思わないようにしましょうね(;^ω^)
まずは、ロングバリエーション完踏お疲れ様でした。
bukozan
bukozanさん、こんばんは。
コースタイム10.5hと読んでいましたが、途中ロスもあり、かなり際どかったかと思います。無事に清滝に着いたときは本当に安堵でした。
今回は何気に四阿屋山からの下見も兼ねていましたよ(笑)それから梵天、狩倉、西岳、赤岩と難ルートも残っていますし、しばらく楽しめそうですね。
世間では、ロングバケーションですから、お孫さんの子守が忙しいのではないでしょうか?またよろしくお願いします。コメントありがとうございました!
montblanc55さん、こんばんは。
一気の辺見尾根踏破、お疲れ様でした。ホント凄いです。3年もかかった私にはとても無理です。
両神山までの辺見尾根縦走路を金剛院道って言うんですか。石像のコメントなど博識なんですね。勉強になりました。
実は私も覗岩に寄りたかったんですよねぇ。何とかなるだろうと予習しなかったせいで結局わからず諦めたのでした。梯子の辺りから降りて行くんですね。
私は、もうソッチ方面には行けそうにないので、今後もレコで楽しませてください。それと、嗜好は違うかもしれませんが、個人的には支尾根もお勧めですよ。
kinoeさん はじめまして、こんばんは。
ご本人からコメント頂けるとは感激です。
kinoeさんの過去レコのおかげで、今回の成功となった次第であります。危険箇所を地図に落としたり、コースタイムを見積りしたり、研究に費やした時間は12hを遥かに超えております。誰も足を踏み入れていない(情報が無い)ルートを暗中模索で進む方が困難度は格段に高いですよ。
覗岩、梯子の斜面を登ったらすぐに左手に踏み跡がありました。私も石像を二つ見逃したので、再訪しなくては…と考えておりました。kinoeさんオススメの支尾根(会所尾根)を辿り、探索してみます。
こちらこそ今後ともよろしくお願いします。コメントありがとうございました!
追伸:kinoeさんの過去レコ「産泰尾根」を参照し、bukozanさんと探検したレコもあります。手前味噌で恐縮ではありますが、よかったらお暇な時にでもご一読頂けると嬉しいです。
初めまして、mame302と申します。
以前、写真45の所で、同じようにネットに阻まれ、降りたら戻るのが大変そうだったのでP1313目前で撤退してしまいました。先に進む場合は、写真45、46にあるようにすれば良いんですね
近々、この辺りを歩くつもりだったので、大変参考になりました。
にしても、三合落から清滝小屋まで一気に歩き通すなんて、凄過ぎます
mame302さん はじめまして、こんばんは。
いつもレコ拝読させて頂いております。もちろんmame302さんの逸見尾根の記録も大変参考にさせていただきました。
さて45、46ですが、ロープだす時間が惜しいと、平静さを失った苦肉の策であり、あそこまで深入りしてしまうと逆に前に進むしかない状況で、まさしく背水の陣でした。平然とやってのけたように書いていますが、実はネットが靴の溝に絡まり難儀しました。
それから写真には残しておりませんが、同じように木を下りるのがもう一箇所ありました。そちらは枝が無かったので、登り棒状態で下りました。
歩きながらずっと考えていましたが、ネットを張った職人さんってすごいですね。
これから歩かれるとのことですが、どうかお気をつけて下さい。コメントありがとうございました!
こんばんは。
小屋ではいろいろ山の話を聞かせていただき、とても楽しく過ごせました!
また、アルファ米を差し入れていただき、大変感謝しています。
ありがとうございました😊
朝食にカレーで美味しくいただきましたので〜。
話では聞いていましたが、改めてルートを見ると本当にロングルートですね💦
私には同じルートは到底ムリですが、石像などたくさんありとても興味あるルートです!
両神山に次回登る時は八丁尾根と思いますが、その次は修行の道かも?しれないので、その時はアドバイスをお願いします🙏
今度ご一緒できたらと思いますが、ペースが早そうなので足を引っ張りそうな気が…😥
ロープワークは少しずつでも覚えたいので、その際は声掛けていただけたら嬉しいです?
またお会いして、一緒に山を楽しめたらと思っていますのでよろしくお願いします。
P.S. 薬師の湯で会った時にはホント驚きました〜😲
ホント健脚なのですねー💪
masaru0319さん、こんばんは。
その節は大変お世話になりました。
こちらこそ、チョリソーやホットサンドなど、思いがけないご馳走をありがとうございました!慣れない小屋泊で心配していましたが、とても楽しく過ごすことができました。
両神山の石像に興味をもっていただき、嬉しく思います。まだその全容は掴めておりませんが、多種多様な石像があり、その像容の美しさが特徴なのかなと思います。
八丁尾根には石像はありませんが、masaru0319さん達ならきっと楽しく歩かれるはずです。
最近は山の歴史や自然を感じながら歩くのが好きなので、特にスピードは拘っていないですよ。ロープワークについては正直に言うと指導できるほど技術は持ち合わせていないのですが、一緒に練習するのは大歓迎です。こちらこそ是非よろしくお願いします。
コメントありがとうございました!今後ともよろしくお願いします。
金剛院道、お疲れ様でした。レコ大変興味深く拝見しました。さすが修験の道だけあってとても厳しかったご様子でしたが、その中で石造物を詳細に紹介していただき大変参考になりました。東照大権現像の写真も有難うございました。金剛院道はさすがに無理ですが、私も時季をみて、せめて権現様には会いに行きたいと思います。
それから、大日様の台座は「横浜」だったのですね。「濱」は読めたのですが「横」が自信がありませんでした。それにしても「横浜」ってあの横浜ですかねえ。
それでは。 godohan
godohanさん、こんばんは。
労いのコメントありがとうございます。
通称徳川家康像、銘文から古文書にある東照大権現で間違いないようです。
レコには書いていませんが、両神山の石像は概ね、90cm前後に収まることから、おそらく三尺という規格の石材を加工して制作している可能性が指摘できるのかなと思います。
東京都の築地や昭島などの講中も積極的に関わっているようなので、横濱は神奈川県横浜市のことかと思われます。因みに古文書にも横濱講中の名前があります。ただ、果たして台石は大日如来様のものだったのか?という疑問点も残っています。それから帝釈天様も実際のところどうなのかな?と思うようになってきました。
その辺りの課題はゆっくりと調べて行きたいと思います。コメントありがとうございました!
確かにあの台石は、大日様を取り囲むようにちょっと雑に組まれており、私も少し違和感を感じていました。さらにあの台石のスペースが山頂のどこにあったのか、という疑問もあります。ただ以前は山頂に帝釈天様と共にあった、というのは事実みたいなので、そのあたりの記述はどこかにありませんかねえ。さらに信仰のシンボルである大日様が何故山頂から撤去?されたかも知りたいですね。ちなみに帝釈天様の首は明治末、三角点の工事の際に取れたという話がありますね。その時は谷を探して元に戻したようですが、その後しばらくして再び無くなったという事です。
また何かわかりましたら教えてくださいませ。それでは! godohan
まず、大日如来様と帝釈天様は確かに山頂にあったと原全教『奥秩父続編』に記されているので間違いはないかと思われます。社地の方に移された経緯は残念ながらわかりません。
帝釈天自体も御嶽信仰に関連があるようなのですが、摩利支天とか、まだ見つかっていない武尊大権現の方が御嶽信仰の宗教的世界感には合致するような気もしている今日この頃でした。
追記:もはや別次元の「変○ハイカー」になってますね(汗)
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