青春18きっぷを併用して屋久島へ(白谷雲水峡〜ウィルソン株〜縄文杉〜宮之浦岳〜花之江河) 過去レコ
- GPS
- 104:00
- 距離
- 23.9km
- 登り
- 2,163m
- 下り
- 1,579m
天候 | 奇跡的に行程中に晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2004年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
船
|
写真
感想
学生時代の過去レコです。
20年近く前の記憶をたどって当時の記録をまとめます。
(自分用備忘録でもあり、長文です)
就職前の学生最後の旅行、どこに行くか1年以上迷っていました。
大きく分けると、海外の山にいくか屋久島に行くかで迷い、究極的にはお金をかけて海外に行くか、時間をかけて屋久島にいくかという考えに至り、「社会人になってからお金かけて海外に行けばいいや」という考えから屋久島に決定。
(ちなみにいまだに海外の山に行っていません)
どうせ行くなら「究極の貧乏旅行」を達成したくなり、
「いかにコストを抑えて屋久島を堪能するか」という極限旅を計画しました。
1日目(3/12)
早朝、東京駅を出発。3月ということで貧乏旅行の必需品「青春18きっぷ」を使用しました。これで鹿児島を目指して地獄のJR各駅停車の旅が始まります。
所用時間は30時間。当然1日では到着せず、この日や新山口駅で動けなくなりました。駅前で野宿できそうな場所を探し、そのまま就寝。
2日目(3/13)
さっそく電車で九州を目指します。
当時、関門海峡は橋で繋がっていると思ったので、気が付いたら九州に入っていたので驚いた記憶があります。
当時はスマホなんてなく、電車の中の暇つぶしはひたすら時刻表を読むか、本を読むかしかありませんでした。
それも限界を迎え、途中駅で新聞を買って読んでいたのですが、その見出しで今日が「九州新幹線の開業初日」ということを知りました。
これも何かの縁かということで、手痛い出費ではありますが、18きっぷとは別に新幹線のチケットを買うことにしました。
当時新幹線はまだ完全開通ではなく、新八代から鹿児島中央までの開業でした。
(福岡から新八代までは「リレーつばめ」という列車で乗り継ぐ)
新八代駅のホームは九州新幹線開業のお祭り騒ぎ状態でした。
ただいざ新幹線に乗ってみると、車内はガラガラでした。(皆さん見送るだけ?)
鹿児島までの間、車窓の景色はほとんどトンネルであまり楽しめませんでしたが、ただ本来6時間かけて通過しようと思っていた区間が、30分であっという間に鹿児島に到着。
駅を降りるとやっぱり新幹線開業のお祭り騒ぎでした。
当初予定の時間を大幅に短縮できたので、銭湯に行ったり、桜島に渡って観光したりしました。(さすが鹿児島。町の銭湯も温泉)
夜も花火が上がったりしてお祭り騒ぎ。翌朝フェリーで渡る予定だったので、フェリー乗場近くで野宿することにします。
そこで「広島から自転車で来た(!?)」という男子学生2人組と会い、一緒に花火を見たりして過ごしました。(その後分かれて就寝)
3日目(3/14)
フェリーに乗り屋久島へ。フェリー内では私と同じように学生一人旅をしていた森下君と会話して過ごしました。彼も同じように宮之浦岳を目指していましたが、別ルートだったんで、山で会うことを約束して別れました。
フェリーを下りる時、広島2人組が自転車を下ろしているのが遠くで見えました。
広島から来てると言ってたから、てっきりスポーツ自転車だと思ってたのに、まさかのママチャリ。。思った以上にやべーやつらだったのか。。
フェリーを下りてから登山届を書きつつ、すぐに白谷雲水峡行きバスに乗って登山口までアプローチ。途中バスからはヤクザルが何匹も見えました。
この日は登山口からすぐ近くにある無人小屋に宿泊。
若いサラリーマン男性と一緒でした。この方は山口から来たらしいんですが、「会社が嫌になり、辞めてきました!その勢いでここまで来ました!」とのこと。この人もなかなかやばい。。
宮之浦岳目的ではなく縄文杉目当てだったらしく、もう見終わった帰りでした。
「縄文杉を見るまでは他の屋久杉は見ないように、下を向いて登りました」と、なんだかよく分からないこだわりを語っていました。そんな話を聞きながら就寝。
4日目(3/15)
翌朝は「これぞ屋久島」という登山道を辿ります。苔むした緑の世界。
旅行の直前に「もののけ姫」を見て予習していたので、テーマ曲がエンドレスで脳内再生されます。
3月ということでシーズンを外しているからか、ずっと一人で贅沢な空間を独り占めできました。
ただ、途中でトロッコ道のメインルートに合流してからは、一気に観光地のような混雑になりました。その後ウィルソン株を経由して縄文杉を目指して登ります。
途中でフェリーで一緒だった森下君とすれ違う。思っていたより早く合流できたんで事情を聞くと、どうやら登山口であった人に「その装備じゃ無理」と説教されてルートを変えたらしい。一緒に記念撮影したりして別れました。
縄文杉を初めて見た感想ですが、その、申し訳ないですが期待が大き過ぎました。
見た瞬間「デカい‼」という感想を言う準備をしていたのですが、縄文杉って屋久杉の中でダントツ大きい訳ではなく、ルートの直前にある「大王杉」より少し大きい位なんですよね。
もちろん杉の木としてはありえない位のサイズなのですが、あまり期待しすぎるのもよくないなと。そういう意味で、あの山口のサラリーマンの行動は正解でした。
まわりにいる多くの観光客の目的はほとんどが縄文杉だったので、また一気に静かに。少し登ったところにある新高塚小屋で山行2泊目。
小屋到着時には誰もいなくて、この日は貸し切りかなんて思っていたんですが、途中で20代後半の男性とご一緒になりました。
この人もやばかった。就寝までずっと会話をしていたのですが、「学校を卒業して普通に働いていたが、3年位で嫌になった。どうしても山が好きだったので、今は自転車で日本を一周しながら各都道府県の最高峰に登っている。鹿児島最高峰の宮之浦岳に登った後、沖縄に渡る」とのこと。もう無茶苦茶です。
(そっちの世界に引き込むような勧誘をめっちゃされましたが、結局なんとかこらえて今に至ります。)
5日目(3/16)
やべー登山者と一緒に出発。当然パーティーを組んだわけではないので、スタート時にお別れします。とはいえ、頑張ってついて行こうと思っていたんですが、とんでもないスピード! 当時体力全盛期の学生時代だったのに、全く追いつけませんでした。 (この方、今どこで何をしているのか。もしかしたら有名な登山家になっているのかも。名前を聞いておけばよかった)
宮之浦岳に向けて高度を稼ぐにつれて、積雪量が増します。しまいには2m以上の積雪となりました。雪は締まっており、ラッセルではないのですが、要するに登山道の2m上空を歩いていることになるので、目の前は木の枝です。
ルートが分かりにくく、途中派手にルートミスしてしまい、登山道とまったく違う場所を歩いていました。当時はGPSもなかったため、適当に彷徨することになりましたが、幸い天候が良く、展望もあったため、山を見ながらリカバリできて難を逃れました。
遭難しかけるもなんとか山頂に到着。
「ひと月に35日雨が降る」と言われるくらい、雨が多いことで有名な屋久島ですが、この日はなんと雲一つない快晴!
山頂の宮之浦岳からは360度の展望が楽しめました。島の山でなおかつ最高峰ということで、ぐるっと見渡せば回りは海。
山頂はだれもいなくて最高の景色を贅沢に堪能することができました。
名残惜しいですが、下山開始。
縦走路からまた樹林帯を超えることになるのですが、うっそうとした景色から、急に湿原が出現した時は感動的でした。もしかしたらルート上で一番衝撃だったかも。
天候に恵まれたこともあって、温暖な湿原はまさに楽園でした。
昼寝したりしてまったり過ごしました。
時間的にはこのまま麓に下りることもできたのでしょうが、そのまま登山口近くの淀川小屋に宿泊。この日は一人静かに就寝。
6日目(3/17)
この日はすぐ近くの登山口から下山するだけです。
あっという間に登山口に着いて、これからどうしようかなんて考えていたところ、1台の車が向かってくる。
老夫婦が乗車しており、どうやら迷ってしまったご主人に道をたずねられる。
今回の計画のために屋久島の地図は頭に叩き込んでいた(行きの電車内でも予習ばっっちり)ということもあり、道を教えたところ、なんと逆ヒッチハイクのお誘いを受けました。
「私達は屋久島と種子島をめぐるフェリーツアーに参加していて、本来はバスで屋久島を回るんだけど、自分達のペースで観光したいからレンタカーを借りた。老夫婦だけで島を回るのも味気ないので、良かったら一緒に観光しないか」とのお誘い。
この後の計画がまったくの白紙だったので、なんとも言えない渡りに船。
せっかくなのでお言葉に甘えることにします。
その後、屋久島の有名な観光地であるヤクスギランド、千尋の滝、ガジュマル園、大川の滝、永田浜を一気に回り、さらには食事もごちそうになってしまいました。
ご夫婦は種子島に渡るため、丁重に御礼を言って港でお別れをしました。
(神戸から来られたという細見さん、本当に感謝。)
夕方、その日の寝床を探してさまよっていたところ、声を掛けられる。
よく見ると広島チャリンコ2人組。島を一周しているちょうど半分のところでばったりと遭遇。
2人組に呼ばれて海岸に行くと、たき火をしていました。
たき火を囲みながらこれまでの旅路を語って夜まで談笑。
彼らも当然のように野宿旅のようで、寝床はすでに確保している様子。
それにご一緒しようかと思ったんですが、どうやら自転車でないと厳しい距離だったのでここでお別れをしました。
2人が去るのを見送ると同時に、島の住民の方達がこちらに向かってきます。
どうやらたき火がまずかったようで、「たき火をしている若者を見かけたか」と聞かれる。巻き添えを食う形にはなりましたが、お詫びをしつつ事情を説明。
それなら仕方ないということで納得いただきました。
その後さらに自分の状況を説明、野宿できる場所を聞きます。
「だったらウチに泊まっていけ」と温かい言葉をいただくも、さすがにそれは甘えすぎということもあって固辞、島の公民館の軒下部分を案内いただいてそこで就寝することとなりました。(お言葉に甘えておけばよかったかなと少し心のこり)
7日目(3/18)
朝、この日は島を離れる日ですが、最後の目的地、温泉を目指します。
前日は観光ついでに見るだけだった海中温泉。
幸い誰もいなくて目の前に海があるだけの野天風呂を満喫しました。
あとは港に向かって帰るだけなのですが、ここまでほとんどお金をかけずに旅行できているので、このままの勢いで行こうとなり、ヒッチハイクをすることにします。
1台目は間違えてホテルの送迎バスをヒッチハイクしていまい(アホ)、さすがに無理がありましたが、あっさり2台目で乗せていただくことができました。
その方は学校の女性教師でした。
もともとは本土の学校で教師をするつもりだったのですが、屋久島での勤務を命じられたらしいです。
一緒に配属を命じられた同期は、屋久島行きを悩み、自ら命を断ってしまったとのこと。(今だと考えられないかもしれませんが、40年近く前の屋久島は辺境の地のイメージだったようです)
その他、屋久島の風土や文化等、貴重なお話を聞かせていただくことができました。
フェリーまでの時間、お土産を買ったりして過ごしフェリーへ。
帰りのフェリーは九州の大学山岳部の女子部員チームと一緒でした。
「宮之浦岳登頂を目指すも積雪の多さに撤退、これから帰るところ。男子部員チームがこれから入れ替わりで登頂に向かう計画になっている」とのこと。
山岳部でも諦めた登頂を、独学で登山を始めた人間がソロで達成できたことが、当時は妙に嬉しかった記憶があります。
この後、福岡から来たというソロ登山者とフェリー内で仲良くなり、フェリー下りた後も一緒に飯に行ったりしました。
帰りはきっちり18きっぷを使用して帰京しました。
(帰りも18きっぷできっちり30時間かけて帰宅)
こんな感じで、初めての屋久島旅は、出会いに恵まれ、天候に恵まれ、極限予算で最大限に楽しむことができた最高の島旅・山旅となりました。
新幹線を使用してしまったのが想定外ですが、それでも交通費・滞在費・食費・土産代合わせても3万行かない位の金額です。これで島の観光地も行っているので、ちょっとした記録ではないかなと自負しています。
これを超える旅は20年経った今でもできていません。
ただいつかはまた屋久島に行って、同じルートをなぞりたいですね。
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