横山丘陵☆好展望の尾根から晩秋の湿原と古刹を巡る山旅


- GPS
- 06:11
- 距離
- 22.4km
- 登り
- 886m
- 下り
- 886m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
湖西線に乗って湖北の山に向かうつもりであったが、ICCOCA(JR西日本の交通系ICカード)に残高が足りないことに気がつき、地下鉄の駅でチャージをすると、目の前で湖西線に乗り継ぐ地下鉄が行ってしまう。
次の湖西線の列車はかなり後になるので、湖北の山は諦めて、山行先を横山丘陵に変更することにする。この横山を知ったのは以前、椿井嶺から余呉トレイルを縦走した時のこと、新快速に乗り込んできた登山スタイルのご夫婦に席を譲ったところ、「どちらの山に?」という話になり、横山城趾に出かけるということを車内で嬉しそうに話をされていたことを思い出す。
京都駅から米原まで新幹線で移動し、新快速に乗り継いで長浜にたどり着く。次の市内循環バスまでは20分近くあり、しかもバスは登山口まで30分も要するので諦めて歩くことにする。駅前通りを歩くと人が行列している店がある。有名なホワイト餃子の店かと思ったが、餃子の店がこの時間に空いている筈がない。行列していたのはその隣、菓子の「暫」の店である。私も早速「暫」を一つ購入する。
次のバス停に通りがかったところで目の前でバスが停まる。近江高山方面行きのバスではあるが、バスに乗り込んで登山口に近付いたところで下車して歩くことにする。養護学校で下車するのだが、登山口まではかなりの距離がある。
田圃の彼方に望む伊吹山を写真に収めようとして、カメラのメモリーカードがないことに気がつく。京都の紅葉のライトアップの写真をPCに取り込んだままだった。この日はスマホの写真に頼るしかない。途端に一眼レフが重たく感じられるのであった。
姉川の古戦場を通り過ぎると右手に横山丘陵が目に入る。この丘陵は臥龍山と、およそ低山には似つかわしくない勇壮な別称を有するが、確かにこの丘陵の北側から眺めると竜が臥せた姿に例えるのも頷けるところだ。
結局、登山口には市内循環バスよりも遅れて登山口に到着することになる。登山口が近づいたところで国道の向こうにローソンが目に入る。ローソンに立ち寄り、SDカードを購入することが出来る。一眼レフにセットアップすると、カメラは再び軽く感じられるようになった。
茶臼山の周囲は厳重に防獣柵が張り巡らされており、西側にある登山口から扉を開けて入るしかない。古墳跡に登ると好展望が広がる。快適な黄葉の自然林の尾根を登り、送電線鉄塔広場に至る。このあたりは龍ヶ鼻古墳と呼ばれる古墳群らしい。
尾根の琵琶湖側は切り払いされており、好展望を見ながら尾根を辿る。所々にある小さな隆起は古墳らしい。このあたりは堂の前古墳と呼ばれる古墳群らしい。、尾根の西側斜面には名前の付けられた岩がある。まず鳥居の向こうに祀られている岩は天神岩、この地に飛来したとされる岩らしい。その南には舟岩と呼ばれる岩がある。神代文字が刻まれているらしいが、近づいて見ても岩に刻まれた文字はわからなかった。
尾根を下り降り立つと祠に収められたお地蔵様がある。かつての峠越えの古道なのだろう。峠を越えて送電線鉄塔が立ち並ぶ尾根を辿る。随所で尾根からは好展望が広がるが、次第に背丈を越える笹原が両側に広がるようになる。
横山城趾にたどり着くと三角点がある。臥龍公園とも記されている。ここは二の城の跡らしい。横山城の略史を記した案内板が建てられている。当初はこの地を支配した京極氏の支城の一つとして築城されたらしいが、その後、浅井氏と京極氏が対立すると浅井氏がこの城を奪う。さらには姉川の合戦で織田信長がこの城を浅井氏から奪い、秀吉がこの城を任せられることになったという。こ
山頂から少し南に下ると鐘撞堂と石仏のある広場に出る。一人の男性が到着されたところで、鐘を鳴らしている。その後も続々とお仲間と思われる数名の男性が登って来られる。こちらは横山城の一の城趾らしい。
横山城趾から下ると峠地蔵と記されたお地蔵様の祀られた峠に出る。観音寺峠と呼ばれるところだ。この峠の東側にある観音寺はかつて長浜城主であった秀吉が寺の小僧をしていた石田三成の才を「三献の茶」によって見出したとされるところだ。
尾根上はしばらく送電線鉄塔が続き、送電線の下は樹木が切り払われているので好展望が続く。やがて鳥羽上城跡があったとされる広い山頂広場に出る。ここは今回の山旅でかつて城があったことを初めて知るが、六角氏と京極氏との間で城を巡り激戦が繰り広げられたところらしい。この周辺の山々には実に多くの山に城が築かれているが、北国街道と東国から京都に通じる街道が交わる交通の要衝であり、軍事的な重要性が極めて高い場所だったようだ。
鳥羽上城趾を過ぎると送電線と離れて、樹林の中を行くようになる。黄葉の樹が目立つがそのほとんどは三出複葉のタカノツメのようだ。菅江峠を過ぎると、登り返して三角点のあるピークにたどり着く。山名標はないが鳥羽上山だ。ここは以前、山室湿原から登ってきたことがある。山頂の東側の送電線鉄塔を訪れてみる。先ほどまではすぐ東側に見えていた伊吹山がいつしか北東の方向に見えるようになり、正面に霊仙山が現れる。
鳥羽上山から南に下った鞍部から山室湿原に下降してみる。鞍部から踏み跡のない谷筋を下ると植林地となり、林道に着地する。林道は倒木が多く荒れてはいるものの、すぐに山室湿原にたどり着く。この時期の湿原は目を惹くものはないため訪れる人もない。冬枯れの湿原がひっそりと静かな佇まいを見せてくれる。その湿原の静寂を切り裂くように新幹線が轟音をたてて通り過ぎてゆく。
再び稜線に戻り、縦走路を南下する。次のピークを過ぎると背丈を越える笹の藪となる。笹の中には刈り払いされた踏み跡を辛うじて辿ることが出来る。数年前のこの縦走路の山行記録をみると笹薮はそれほど酷くはないようだが、刈り払いが行われないと藪が濃くなるのに数年もあれば十分なのだろう。尾根の西側斜面、笹薮の外をトラバースすることも可能ではあるが、踏み跡はない。
果たしてどこまでこの笹薮が続くのだろうかと心配ではあったが、忽然と林道のように広い登山道に飛び出す。西側から登ってくる道があるようだ。尾根道は「山辺の道」、西側から登ってくる道には「弥生の道」と道標がある。良好に整備された快適な道はしばらく続いたが、再び西側の尾根を下ってゆく。
再び尾根は踏み跡が薄くなるものの、先ほどのような笹薮はなく、歩きやすい自然林の道が続く。やがて日撫神社の方向を示す真新しい道標が現れるようになると、再び踏み跡もはっきりとしてくる。
階段を緩やかに登り、小さなピークに達すると顔戸山砦遺跡との標識がある。ここが日撫山の山頂らしい。好展望のピークからは辿ってきた尾根の上に伊吹山が見える。
さらに尾根を進むと展望台の作られた尾根末端の小ピークにたどり着く。アミダビ遺跡との標識がある。目の前には琵琶湖の景色が大きく広がり、比叡山から比良、湖北の山に至るまでの展望が大きく開ける。三脚と大きなカメラを抱えた少年がいた。
ピークからは南麓の日撫神社に下降するつもりでいたが、西側に下る明瞭な道があるので辿ってみる。すぐに登山口に下降するが、道標も何もないので知らなければここから日撫山の登山口であることがわからないだろう。
西圓寺を経て米原を目指す。西圓寺は珍しい黄檗宗の寺で、人が玉龍園と呼ばれる庭園がある。寺には人がいる気配はなかったが、本堂の裏手にある庭園は自由に拝観できる。寺の裏山に登ると鞍部から南側に下降する踏み跡があるので、辿ってみる。しかし、踏み跡はまもなく不明瞭となる。藪をかき分けて舗装路に出る。
米原高校の前で左折して、旧街道の宿場町であった米原宿を歩いて青岸寺に向かう。昔、訪れた時は知られざる古刹だったのだが、驚いたことに寺には数多くの来訪者がある。若いカップルや女性同士の来訪者が多く、美しい池泉式の庭園を眺めながらお茶を楽しんでおられた。
米原からの次の東海道線の列車の時間を確認すると、後10分ほどしかない。その次の列車を待つしかないかと思われたが、寺を後にすると米原駅まではわずかに5分もかからずに到着し、無事、米原始発の新快速に乗ることが出来る。米原は車の往来が頻繁な国道の東西では世界がまるで異なり、異次元空間から戻ってきたかのような感があるのだった。
コメント
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横山丘陵に来られていたのですね。マイナーな山にようこそという感じです。
5年ほど前、一度縦走してみました。
あと、横山は伊吹とか眺めがいいのと、石田三成さんの出生地が西側の石田町なので、何度か歩いています。そういえばオトチの岩窟も、石田三成さんの敗走の地でしたね。
今年、コロナで自粛していた時、マイナーなところだったらいいだろうと、久しぶりに、鳥羽上山に行ってました。レコもアップしてますが、ジオンさんにコメントいただきました。ジオンさんは2度縦走されたとのこと。
yamanekoさんもそうですが、ほんと、いろいろなところ歩かれているなあと思います。七尾山〜七曲峠も、ほんと、渋いところ歩かれるなあと思います。びっくりしました
yonedaさん いつもコメントを頂くたびに知らないことを色々と教えて下さり有難うございます。当初、長浜〜近江長岡のバスが頻繁にあるので、石田から登ることも考えていたのですが、石田三成の出生地とは知りませんでした。秀吉に取り立てられますで近くの観音寺で小僧をしていた史実から考えれば、当然の話ですね。
本日、七曲峠〜七尾山を縦走して参りましたが、七尾山から横山丘陵のほぼ全体を俯瞰することが出来て、この横山丘陵は低いながらも関ヶ原から琵琶湖へのルートを塞ぐように横たわっていますね。歴史、地理に与える影響は計り知れないものがあったことを改めて感じます。
レコに記した通り、藪はありますが、ここは実に様々な表情を見せてくれる魅力的なところで、私も季節を変えて、何度も訪れたいところだと思いました。また機会がありましたらどうぞ宜しくお付き合いください。
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