『石狩岳/シュナイダーコースで1,966mピーク迄/動画あり』
- GPS
- 10:40
- 距離
- 9.5km
- 登り
- 1,170m
- 下り
- 1,159m
コースタイム
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
シュナイダーコースは一箇所徒渉するところがございますが、この時季は川床の石が滑りますので気をつける必要がございます。基本的には細尾根の稜線上を辿り、時には両手両足を使って直登するような所もあるコースでございます。稜線の一部は崩壊しかかっている所がございまして、初心者向きでは無い箇所やロープ場もございます。 |
写真
感想
【2013/07/11】北海道の「石狩岳」に登ってまいりました。この山は「大雪山国立公園」に属してございまして、上士幌町と上川町の境界に位置してございます。音更川二十一ノ沢出合登山口へのアクセスは、十勝三股を通る糠平国道(国道273号線)の「三股橋」の横から「音更川本流林道」に入ります。ニペソツ山のような個別の登山ポストが登山口にはございませんので、林道入り口から90m地点にございます入林ポストに記入してから登山口へ進みます。ちなみに、音更川二十一ノ沢出合登山口を無視して林道を更に奥へ進みますと岩間温泉露天風呂に至ります。
シュナイダーコースは一箇所徒渉するところがございますが、この時季は川床の石が滑りますので気をつける必要がございます。基本的には細尾根の稜線上を辿り、時には両手両足を使って直登するような所もあるコースでございます。稜線の一部は崩壊しかかっている所がございまして、初心者向きでは無い箇所やロープ場もございます。前回は3時間半で登りましたが、今回はステディカムが片手を塞ぎ、しかもそれがハイマツなどにいちいち引っかかりまして、撮影時間も含めて倍近い時間がかかってしまいました。細尾根を登って到達した石狩岳と音更山を結ぶコルには、可憐なコマクサの群落がございます。更に石狩岳直下には不自然なほどに集中して咲く多様な花々のお花畑がございます。
一般的に石狩岳の頂上は山名標識がある所と思われがちでございますが、実はあそこは標高1,966mでございまして、そこから南南西に250mほどの稜線上に標高1,967mの最高地点がございます。しかしそこには石が積まれているだけでございます。私は2001年9月24日にも同じ「シュナイダーコース」からこの山名標識がございます1,966mピークまで3時間30分ほどで登ってございます。今回も同じピークまで登りましたが木製の山名標識が12年前と全く同一のものでしたので、案外と長持ちするものだなと感心致しました。到着した石狩岳1,966mピークからは「大雪山」、「トムラウシ山」、「十勝連峰」、「ニペソツ山」、「ウペペサンケ山」、「クマネシリ山群」、「音更山」など360°の展望が得られまして疲れを忘れさせていただきました。
余談1:
後日、なぜ低い1,966m側に山名標識がございますのか調べておりました時に、「昭和44年札幌山の会年報」(下記リンク)を見つけました。この5〜6ページの中で、高沢光雄氏が深田久弥氏(1903〜1971)らと石狩岳と音更山の鞍部側から石狩岳に登った記事に、『測量点のある前衛峰を過ぎ、念願の石狩岳頂上に立つ』と書かれてございました。前衛峰とは1,966mピークのことで、当時はここには三角点のような測量点が存在したのではないかと推測されました。現在では三角点は隣の音更山に置かれているだけでございます。また、個人ブログ「シトサの山歩記(2009/08/27)」(下記リンク)を拝見致しますと、『9時30分、石狩岳1,966m峰山頂に着く。狭い山頂には石狩岳の標柱があるが、字は読みづらくなっている。ほかに三角点のような石柱と四角で平たい石版がある。少し休んで最高地点1,967m峰に向かう。』と書かれてございました。これは基準点の【盤石】と【柱石】の残骸なのではないかと思われます。更に、個人ブログ「一人歩きの北海道山紀行(13/07/24)」(下記リンク)では、『この頂上の少し先にここより1m高い本峰があり、うっすらと見えているが、過去2回そこにも立っているので、今回はパス。三角点標石のような石が岩の上に立てられていたが、この山には三角点はない。隣の音更山に一等三角点がある。』と、写真つきで書いておられます。これらのことから推察するに、今はその残骸が放置されているものの、かつてはここに三角点のような基準点があり、最高地点では無いにもかかわらず、本峰的な扱いでいまだに山名標識が置かれているのではございませんでしょうか。国土地理院の「日本の山岳標高一覧」ではしっかりと1,967mの方が石狩岳となってございます。
参考「昭和44年札幌山の会年報」:
http://ac-s.sakura.ne.jp/library/192/nenpo1.pdf
参考「シトサの山歩記」:
http://4103.at.webry.info/201209/article_5.html
参考「一人歩きの北海道山紀行」:
http://sakag.web.fc2.com/isikari13.htm
余談2:
上記の「昭和44年札幌山の会年報」を見ておりますと、高沢光雄氏の記事の中に『石狩岳山頂の北側に坂本直行氏(北海道で有名な画家、1906〜1982)から託されたヒマラヤの高山植物の種子を、深田先生(深田久弥、1903〜1971)の手で大地に播かれる。何年先に発芽し実を結ぶことであろう。』とございました。今では在来種を駆逐するなど生態系に悪影響を及ぼすとして、外来種を自然界に人為的に播くことは許されませんが、当時はこの様な事は普通の事であったのかも知れません。
余談3:
石狩岳に登る前に三国峠へ立ち寄らせていただきました。ここからは十勝三股盆地の広大な国有林を一望することが出来ます。実は十勝三股盆地は、太古には支笏湖のようなカルデラ湖であった所でございます。およそ50万年前、ここにございました火山が大爆発を起こして山体が吹き飛び、直径約10kmの「十勝三股カルデラ」が出現致しました。そして、そこに水が溜まりましてカルデラ湖となっていたのでございますが、その後のニペソツ火山群の火山活動による高温の火砕流の湖への突入堆積によりまして完全に埋まってしまったのでございます。広大な盆地状となりました大地には徐々に植物が勢力を拡大し、やがて現在のような大樹林地帯へと変貌を遂げたのでございます。近代になりまして、あたかも枯渇することの無い林業資源であるかのように認識されましたこの大樹林地帯は、特に戦後の木材需要で林業、鉄道、関連サービス業などが盛んになり、一時は十勝三股駅(海抜約660m)を中心に400戸1500人の大型集落にまで発展したのでございます。しかしその林業も現在は衰退し、国道273号線の開通で鉄道は廃線となりまして二戸が残るのみ。廃墟と土場跡が深い森の中に飲み込まれつつあるような状況なのでございます。三国峠から見えます広大な十勝三股盆地の国有林は、何事も無かったかのように穏やかで静かでございました。
参考「登山等に関する通行規制等について」:
http://www.rinya.maff.go.jp/hokkaido/apply/nyurin/nyurin_kisei.html
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する