紋別岳からイチャンコッペ山への縦走
- GPS
- 07:40
- 距離
- 14.9km
- 登り
- 1,218m
- 下り
- 1,143m
コースタイム
天候 | 曇り時々晴れ→晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所 1 南白老岳激似ピーク紋別岳側斜面滑落注意 (※ アイゼンを装着した方が良いと感じました。) 2 イチャンコッペ山体と幌平山をつなぐコル直下雪崩注意 (※ これから暖かくなると雪崩発生の可能性が高くなりそうな予感がします。) GPSログについて 山旅ロガーで記録したものの途中で強制終了していたので、sirfkinさんより提供していただきました。 |
写真
感想
本日は、紋別岳〜イチャンコッペ山の間を縦走してきました。
しかも今回は、ヤマレコを通じて知り合った「sirfkin」さんと2人での縦走です。
今回の山行のためにsirfkinさんはイチャンコッペ山側から、自分は紋別岳側から、それぞれ事前偵察しているので、ある程度計画的な行動が可能ですが、三角点「幌下」〜標高点「610」が空白地帯なので、ここを手探り状態で縦走することになります。
さて支笏湖に着いて準備をしますが、今回は共同作戦という事もあり、車を登山側と下山側に分けて行動できるので、紋別岳側から登ってイチャンコッペ側に下山するルートで行きます。
天候は曇りで外気温はマイナス2度を表示している。気温が微妙だ‥。sirfkinさんは、ベースにシェルの組み合わせ、自分はベース、ミッド、ハードシェルの組み合わせで出発します。管理道は最近山頂の施設を保守のためか雪上車っぽい車両のカタピラ跡があり固まった状態で大変登りやすくなってます。スノーシュー等は全く必要無く、つぼ足で十分です。 自分はスノーシューを装着してますが、sirfkinさんは最初からつぼ足で登っているので、 sirfkinさんのペースが快調で油断すると置いて行かれそうな勢いなので必死に登ります。‥が自分は3レイヤーなので、汗がどっと噴き出ます。sirfkinさんのレイヤリングや足回りの選択等は的確であり、自分は完全に失敗です(滝汗)。そんなこんなで徐々に高度を上げていき、カルデラ稜線まで来ました。ここでカルデラ稜線に行きたいところでしたが、今回のテーマを「紋別岳〜イチャンコッペ山を縦走」に掲げているので、遠回りになるのは判っていましたが、わざわざ管理道から紋別岳山頂に至りました。紋別岳山頂でsirfkinさんはザックを開けて天候等や地形等から判断し、上着をチェンジしたり、スノーシューを装着したり先を見据えた準備をしてます。それとは対照的に大量に発汗した自分は失った水分を補うべく、だらしなくスポーツドリンクをゴクゴク飲んでいるだけでしたが‥。
そんなこんなで紋別岳山頂を出発します。カルデラ上部稜線は、前回以上に雪が固まっており非常に歩きやすく、3cm程しか沈みません。心配していた風も弱くて絶好のコンディションです。足取りが軽かったので、前回スルーした“748峰”に登りしました。当初はあまりにも快調だったため、あっさりハイペースで南白老岳激似ピーク直下に辿り着きます。
南白老岳激似ピークは、日当たり良好なせいか結構な面積で地面(笹薮)が露出していたり、コル部は雪がしっかり固まっている等、1か月前と様子が変わっています。“前回通過出来たたから、今回も行けるだろう!”と深く考えず取り付きましたが、高度を上げてから風の流れの影響か急に雪が固くなって、スノーシューのアイゼンの刃が刺さりません。キックしても付け焼刃程度であり、これには前回以上に焦りました。
南白老岳激似ピーク中腹で、2人ともほぼ四つん這いの状態で何とかポジションを確保してます。滑落したら“皮膚が擦りトマト状態“になったり、場合によっては遥か下の立ち木に激突します。そんなピンチにも関わらず、危機感の足りない自分は“後ろから見られたら、我々の今の姿勢って結構カッコ悪いッスよね?”とか、”今夜は、きっとビールがウマいっスよ!”などと、ど〜でもイイ発言をして、 sirfkinさんを困惑させています。
2人による首脳会談の結果(首脳って誰だ?)、四つん這いのまま横にスライドして前回の山行でエスケープした植生ゾーンに逃避します。四つん這いのまま必死にスライドしていくと、なんと植生ゾーンの雪もガリガリであり、ちょっと油断するとズリ落ちます。ただ幸いなことに、植生があるのでズリ落ちても2〜3m程度であり、非常に安心感があります。そこでsirfkinさんはスノーシューを脱ぎ、つぼ足でピークを目指します。2人で四苦八苦しながら南白老岳激似ピークをクリアして、次の難関であるナイフリッジを目指します。‥が、ナイフリッジは雪庇で以前の2倍以上幅が広くなり、見た目あまり迫力がありません。実際は危険かもしれませんが、迫力に欠けるせいか2人ともあっさりパスします。そのあっさり具合は“お化け屋敷で、出てきたお化けが全然怖くなかった‥。”みたいな感じです。‥で、幌下山を目指します。
ナイフリッジを超えるとダラダラとアップダウンを繰り返して、前回と同じくニセピークに騙されながら、三角点「幌下」に到着します。 sirfkinさんは言われて気づいたのですが三角点幌下は白樺の木だけが密生している不思議な場所です。ここで若干の写真を撮って隣の標高点610を目指すため幌下山を下ります。しかし、この下りが意外にネックでした。隣の標高点610を意識していて幌下山の下りの事は、あまり気にしてなかったのですが、どう説明していいか難しいですが、「スノーシューで直下できるギリギリの斜度」、「シャリシャリの雪質」、「雪下の笹藪」が相まって、絶妙に歩きにくいんです。しかも高低差250m以上あり、それを一気に下るので足にダメージを与えていきます。そんな苦労して幌下山を下りましたが、今度は標高点610が行く手に立ちはだかります。しかも標高点610周辺は以前の台風のせいか、倒木多数で廃墟みたいであり、ゾンビでも出没しそうな勢いです。おまけに標高点610が鹿のアジトのようで縦横無尽に鹿トレースが走っており、“倒木“と”鹿トレース“が交互に存在するため、”難攻不落の大阪城の縄張“のようです。そんな歩きづらい標高点610なので、首脳会談の結果により「標高点610は、尾根をトラバースしてスルーしちゃうぞ作戦」に出ました。‥が、標高点610は手強くて下山側にも“倒木“と”鹿トレース“が攻撃に加え、”鹿の糞”という地雷まで用意してました(*_*)。その鹿の糞たるや尋常ではない量で鹿トレースのほとんどに散布されていて場所によってはトレース以外にも散布されており我々登山者を迎え撃ちます。誤って倒木や鹿トレースで足を引っ掛けてコケようものなら、転んだ際に顔や手が糞まみれという「とんでもない事」になります(ちなみに付近には、それらを洗えるような水場なんてものはありません。)。 おまけに尋常ではない量の鹿の糞のせいで“周囲一帯が臭い”という毒ガス攻撃により、かなりパンチ効いてます!。sirfkinさんは先週ここで実戦を経験済みなので、それらの障害を巧みにかわしますが自分は初めての場所なので、頑張ってsirfkinさんの後を追従します。下りに移行してから10分程度歩いた所で無傷で危険地帯を脱しました。振り返れば標高点610付近一帯は鹿により結界が張られていたのでは‥と思えるほどの“難所”でした(※ この山行では標高点610一帯が精神的に一番疲れました‥。)、さて、いよいよイチャンコッペ登山道に合流すべく標高点662の尾根に取付きます。
イチャンコッペ登山道向かう最中に昔、米軍がレーダー基地建設の際に作ったと思われる廃道を利用し、順調に高度を上げてイチャンコッペ登山道合流直前の見晴らしの良い場所で昼食を取るべく休憩します。そこではタイミングの良い事に曇りメインの天候から晴天に以降し、恵庭岳が素晴らしく映えて見えます。素晴らしい風景と丸い太陽と青空の下、白い雪原で昼食をとります。昼食中お互いの事をいろいろ話しましたが、以外と共通点が多く、一番好きなラーメン屋サンが一緒だった事がビックリでした(本当の偶然です。このラーメン屋サンは一般には知られてませんが、魚介系ベースのスープで本当に丁寧にラーメンを作ります。知りたい方はメッセージからどうぞ!。)
そんなこんなで昼食の後、いよいよイチャンコッペ山を目指します。今までワイルドな個所を歩いてきたせいか、イチャンコッペの登山道は非常に快適です。天気が良いのもあって途中の電波反射板跡地で写真と撮ったり、札幌〜恵庭岳間に見える山々の山名クイズ選手権優勝決定戦(そんな選手権あるのか?)をしたり、馬の背の下り斜面でヒールリフターを使用して歩くという無駄にスリルを味わいながら歩いたり(自分だけですが‥。)してイチャンコッペ山頂に近づきます。そしてついにイチャンコッペ山頂に到着しました。約2か月ぶりのイチャンコッペ山頂は、前回と同様に山頂看板は完全に埋没していたので再び発掘しようかと思いましたが、疲労コンバインなのでヤメておきました(T_T)。イチャンコッペ山頂では、感慨深く紋別岳及びイチャンコッペに至る縦走ルートを見てご満悦です。あとは写真を撮ったり、先に登頂していた老夫婦(素敵な夫婦でした。)とお話をして、最寄りのマイナーマウンテン情報を教わったりして過ごしました。山頂で20分程休憩した後、老夫婦にお礼を述べて14時に下山を開始します。下山は至って快調でしたが、さすがに午前7時頃から歩き続けているので足の踏ん張りが利かなくて、微妙にズリ落ちながら下山したりしました。いよいよヘアピンカーブ駐車場が見えてきた時には、”下界(現実世界)に帰ってきてしまった‥”と思わず言ってしまいましたが、事故もなく無事に15時にゴールしました。
その後、紋別岳駐車場まで戻って車をピックアップし、本日の体験談や趣味(車)の事など、さらに話し込みながらも雪があるうちに一緒に山行する事を約束してお互い帰途につきました。
今回の山行では距離にして15km、時間的には8時間程歩きましたが、登った山体は4つという事でアップダウンが多く、スタミナを消耗し、己の体力がまだまだ足りないと痛感した山行でした。
また自分以上に山行経験があるヤマレコユーザーの方と登るという事で、いろいろ勉強になることが多かったです。特に休憩時にこまめにレイヤリングを変えてその時の状況に合わせていたり、山でカップラーメンを食べる際に使用している魔法瓶など、大変参考になりました。
この山行記録の中でありますが。本日ご一緒させていただいたsirfkinさんに改めて感謝申し上げます。
さて、次のsirfkinさんとの山行を何処にしようかと、さっそく検討している俺(37歳)でした。
追伸:急いで文章を入力したので、誤字脱字はお許しください。後日「誤字脱字」や「てにおは」を修正します。
以前より考えていた紋別岳〜イチャンコッペ縦走を同じ目標に持つmorethanさんと実行する事とした。事前にお互いに前半と後半に分けて下見して危険箇所や注意箇所は確認済みである。
スタート時、天候は曇りで風は無く、登れば必ず暑くなるので上着はトレラン用のベースレイヤーのみで、ここ1週間は雪が降っていないので軽量で機動性の高いトレランシューズを選択する。変わっていると思うが自分にはこのスタイルがしっくりくる。
紋別岳への登りは快適で会話もはずみあっという間に山頂に到着する。ここからは稜線の風に備え着替えをしフリースを着用し、スノーシューも装着する。作業道から離れ雪原の様に広い尾根を進む。曇りながら景色は良好でイチャンコッペ側の稜線よりこちらの方が遙かに景色が良い。雪は締まっているため予想以上に順調に進み、最初の核心部である南白老岳に似ているというピーク下に取り付く。下から見ると以外に急な斜面であるが、スノーシューの歯もしっかり効くため雪庇のやや右のなるべくなだらかな尾根をルートにとる。ここまで順調に来てただけにここも難なく通過できると思っていたが、やはり冬山はそんなに甘くなかった。中腹より突然クラストしており右の植生のある場所にトラバースを試みる。緊迫した状況の中、morethanさんのジョークが飛び出すが、良い意味で緊張感が取れ、力み過ぎていた足がスムーズに動く様になり頭も冷静になれた。植生部の斜面に入っても思った以上に表面は堅いが先ほどの斜面ほど堅くはないので、スノーシューを外しキックステップで蹴り込み膝を入れてると登りやすくなり、何とかピークを到着した。第2の関門であるナイフリッジの鋭い部分は最近の暖気により溶けたのか平坦になりメタボリッジになっていたので難なく通過する。最後の関門は610mの通過であり危険箇所ではないが、前回来た時より鹿糞の量が増えており強い臭気が立ちこめている。早く通過したいと気がはやるが多数の倒木と大量の鹿の糞が行く手を阻みルートどりが難しい。無事610m肩を通過してイチャンコッペ登山道に合流した。ここからは青空に恵まれ樽前山〜風不死岳、恵庭岳を眺めながらの昼食とした。山頂に向けて出発しほどなく反射板跡地で偶然知人の不死身の男と会い挨拶を交わし山頂へ向かう。
無事山頂に到着し、無風で青空の中、太陽の光が当たり輝く支笏湖と外輪山、今日歩いていてきた縦走路をみると達成感がこみ上げてくる。下山では幌平山のトラバースでの雪崩に気をつけながら早足で通過し、ほぼ予定時刻にイチャンコッペ登山口に下山した。一人であればあのクラスト斜面で諦めていたかもしれないが、二人だから乗り越えこることができ山行を成功させることができたと思います。
morethanさんと分かれたあとの帰路で夕日を背にした美しい恵庭岳が目に入り、"良き山友"と
"充実した誕生日"というプレゼントを頂いたことをmorethanさんに感謝しながら帰路につく
俺(この日38歳になった)でした。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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イチャンコッペ山から旧反射板の山に下山中に青い服のお二方とすれ違いましたが、もしや?
はい、そのとおりです(^^)。
もしかして4名パーティーの方ですか?
追記:すみません、NAKさんの山行記録確認いたした。
すれちがったのはイチャンコッペ山頂と電波反射板跡地をつなぐ馬の背ですれ違った単独の方ですか?。ちなみにイチャンコッペ山頂の構造物は、第2世界大戦終了後、米軍がソ連共産党軍に備えて作ろうとしたレーダー基地と言われています。ただレーダー基地自体は建設中に朝鮮戦争の勃発により、違う地域に転用され、イチャンコッペ山には作られず中途半端に遺構のみ残存してます。
そーです、単独の人です(^^)
楽しげに話しながら歩いていたなという印象でした。
謎の建造物はそういうことだったんですね。
教えて頂いてありがとうございます。
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