【白馬岳】(主稜ルート)GW残雪だけど帰りは厳冬期に...


- GPS
- 40:27
- 距離
- 10.0km
- 登り
- 1,738m
- 下り
- 1,737m
コースタイム
18:00猿倉荘 - 19:00白馬尻小屋-(テント泊)
【5月4日】
8:00白馬尻小屋 - 白馬岳 主稜ルート - 15:00白馬岳頂上 - 15:30白馬山荘
【5月5日】
7:45白馬山荘 - 大雪渓ルート - 10:30猿倉荘
天候 | 3日曇り、4日晴れ、5日ホワイトアウト |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス タクシー
|
コース状況/ 危険箇所等 |
主稜ルートはP3からP2へのとりつき部分に雪がほとんど残ってなく、岩が露出していて、ルートが消えかかっていました。 GW中はその日のあと雨も降って、帰りの大雪渓から見てもルートにクラックがたくさん入っていたので、僕が通過したのがギリギリセーフだと記憶しています。 |
写真
しかしカップヌードルはちゃんと食欲を戻してくれる!醤油味サイコー^^
寝酒に軽量のバーボンを行きのコンビニで入手して、渋滞中にたくさん寝てしまったので、これで夜をやりすごします。
感想
白馬岳 主陵ルート 登攀記録
【前置き】
この記録は僕の初めての北アルプス登攀記録だ。
僕はまだ夏の北アルプスどころか、冬の北アルプスなんて知らなかった。
厳冬期の山に憧れていた私は、今年の正月に赤岳へ入山する計画を立てていたが、天候に恵まれずに時期を逃していた。
しかし一方でもスキーを覚えたいという想いもあって、単独で白馬八方スキー場にとくりだした。
2回も目にはコツ掴んで、すぐにスキーにのめり込むようになった。
向かうゲレンデは白馬八方ばかり。
僕は白馬をとても気に入っていた。
登ることは当時まだあまり考えたことがなかったものの、その山の容姿にはずっと見惚れていた。
やがて4月の春スキーを終え、「しばらく白馬は行かないだろうな…」。
そう思って少し寂しくシーズンのスキーを締めくくった。
しかしGWを迎える1ヶ月前、
僕は再び白馬に導かれることなんて知るよちもなかった。
5月3日(土)>>>
早朝の6:30に新宿から一本のバスで白馬八方へ向かう。出発前に運転手が申し訳なさそうにGWのため、渋滞が酷く、大幅に遅れると言った。今まで高速バスを使っての登山口アクセスは経験していなかったので、渋滞という概念を忘れていた。
考えてみれば当然のことだった。
白馬八方インフォメーションセンターへ到着したのは到着予定の5時間遅れで、時刻は17:30だった。
猿倉荘へは路線バスでの経路を考えていたが、最終のバスは途中の高速バス内で諦めていた。
白馬八方インフォメーションセンターはスキーで使い慣れていたので、勝手がよくわかる。
僕は登山装備に着替えると、ロッカーに帰りの着替えなどの入った荷物をデポした。
想定外に車内でたくさん寝たことを思い出すと、夜はきっと寝付きにくいはずだと考え、近くのコンビニでお酒とツマミを買ってからタクシーで猿倉荘へ向かう。
費用は\3200、ネットで調べたことと大体一緒だったので許容範囲とした。
途中で運転手と会話が弾み、滑落、雪崩、遭難者、熊など貴重な話が聞けた。そのせいか、降車して数分あとにスマホがないことに気付く。すぐにタクシー会社へ問い合わせたところ、届けてくれることに。
申し訳ない気持ちとともに、無償で届けて頂いたタクシーの運転士に深く礼をして見送った。
そうして僕は猿倉荘を18:00に発った。
その前にBCスキーの3名パーティがいた。彼らは猿倉荘から10分ほどある距離せ幕営する準備をしていた。
それを見て一瞬、自分もと考えたがやめた。
ここの日はまだ19:00まで持ちこたえる。それまでに白馬尻小屋へ到着するのだ。そういい聞かせて先へ進んだ。天候は曇りから、静かで開けた空に変わっていった。タクシーで向かう途中、新聞で見せてもらった予報には星空がみえるとのことだった。そのことに期待が高まり、足取りは軽かった。道に雪はまだしっかりと残っていたが、厳冬期用のブーツだったのでアイゼンを装着しなくても進める状態だった。
進んでいくなか、長走沢を渡ったさきに幕営しているテントを4張見た。ここでも数秒、自分もここでと考えたが、空の明るさを見て、目的地までもう少しなはずといい聞かせて先へ進む。そうして白馬尻小屋のテント場へ着いたのは、大雪渓と思わしき位置とGPS情報とテントの数を周囲にたくさん確認できてからだ。
そう認識するとひとまず安心。
幕営位置を探すと、10分で張った。
スコップは持っていなかったが、予め整地された場所が確保できたので幸いだった。
ここでは僅かにSoftbankの電波が届いていたので、いくらかSNSに投稿もできた。
しばらくしてから度々強い風が来たりもしたのでテントの外にでて、補強工作を施す。
そこでふと夜空を見上げると満点の星が無数に散りばめられていた。
流れ星もいくつか観ることができた。ヘッドライトを消し、目が暗さに慣れてくるとそこは宇宙のような空間にさえ思えた。
こんなことはやはりそうそうない。僕は一眼レフを取り出し、しばらくシャッターを切るのに夢中になった。
時刻は20:00を回って温度計は10℃を示し、しばらくすると冷え込みを感じたのでテントの中に戻った。
夜は時々風が立ったが、どうということでもなかった。
そこから夕飯をとり、安酒のバーボンをストレートで少しずつ飲みながら眠りにつくことにした。
新調したモンベル FP800 #3 の寝心地は快適そのもので、買ってよかったと満足感を噛み締めながら、満点星の夜の空間で深い眠りについた。
5月4日(日)>>>
4:00くらいに目が覚める。寒いと思い、温度計を見ると5℃を示していた。寒いので20分ほどシュラフでモゾモゾする。それにしても寒い。ふと天井のベンチレーターに目をやると、半開きではないか…
どうりで寒かったわけだ。
それをすぐに閉めると、まず朝一のコーヒーが飲みたくなった。
スタバ製のイタリアローストコーヒーだ。それを新調した、フォールディングカップに粉を入れて、沸かした湯を淹れるとテントのなかは一気に暖まり、いい香りに包まれた。少しして、左手にあるテントの入り口を開ける。時刻は5:00前で早くも先発隊が主陵ルートに取り付いていた。あれが俺も行くルートなのだと、期待に胸が踊った。とりつきの光景を想像しただけでその景色が想像できる。胸が高鳴る。コーヒーが最高に旨い朝だ。
しかも予報どおりにちゃんと快晴の天候となった。天気も気分も上々、お腹もちゃんと空いた。こういう時はやはり卵系が食べたい。
さっそくアルファ米に湯を淹れ、出来上がりの数分前にフリーズドライの玉子丼に手が伸びる。初めてのフリーズドライ食品だったが、盛り付けてある付属容器にお湯を入れればちょうどいい量だというのがわかった。
ビンゴ。やはりそうだった。
シメたという顔でそれをアルファ米に盛り付ける。
旨い。
テント入り口を少し開けて主陵を眺めながら、やはりテント泊はこうでなくては。
朝から充実感に包まれたながら、美味しく完食。
玉子丼だけではアルファ米は完食できなかったので、ワカメスープを半分だけ入れて食べた。
時刻は6:00すぎ、ひととおり朝のテントで支度を済ませると、撤収の準備を始めた。ものの30分だっただろうか。気付くと7:00前になっていた。
記念に数枚だけスマホで白馬岳の主陵を背景に自撮りをすると時刻は7:30、さあ行こうと思ったところに強烈な便意を感じた。
先のことを考えると、主陵で便をたすのは気が引けた。
少し遅れても大をたしていこうと決めて、丘の上にあがって済ませる。やっとこさ出発したのは8:00だ。ここから6-8時間で到達の計算だったので遅くとも15:00
に頂上。許容範囲だった。
大雪渓を渡り、途中で何枚か写真を撮る。やはりデカイ。落石にも、雪崩にも遇うのはゴメンだ。
さっそくP8へ向かうルートにとりつく。後続を確認するも、みな大雪渓を向かっていった。まずまずの傾斜に喘ぐ。快晴だったので雪がかなり緩んでいた。途中トラバースするところでトレースの少し上に歩くと雪は崩れて、5~10m程滑落する。
幸いにもピッケルで滑落停止はできた。
それ以降はトレースのないところは踏まないことにした。
そうしてP8へとりつく。時刻は9:30、まずまずのタイムだった。そこには幕営の跡が2つ程あった。少しだけ休憩を挟むと僕は先を進んだ。P7へつき、P6、P5へ着くと喉はカラカラに乾いていた。陽射しも強い。
しかし、休める場所は限られている。
リッジナイフが続くこの主陵ルートは足元が油断すれば滑落は免れられないため、幕営ポイントでしか腰を休める事ができない。
僕はとりつき前に行動食をポケットに忍ばせておけばと後悔した。
幸いにも水分補給チューブはセットしていたので持ち堪えることができた。
P5からP4へはアップがキツく、予想以上に時間を要した。
時刻は既に11:30、P4へ着くと僕の先頭にいた3人パーティの人達とほんの一瞬だけ重なった。
そこは幕営ポイントになっていたので空腹だった僕は小休止を入れてCLIFBARをひとつ食べきった。
主陵の先を見ると、もう何人かが登頂の順番待ちをしている様子が見れた。それを見ているともう少しな気がしてきた。時刻は12:00前、僕は先を急いだ。
主陵ルートは歩いていてとても気持ちのいいナイフリッジだ。風も弱く、快晴だった。唯一気をつけていたのは雪の溶け具合。陽射しが強いので雪解けが心配だった。12本爪のアイゼンとピッケルとはいえ、この傾斜と雪の締まりでは停止など不可能だ。P3へ取り付こうとする頃、先頭の3人パーティが止まって、1人が上でロープ工作していた。
僕が近づくと、道を譲ってくれたので先を進む。
しかし道は見た目以上に険しくなっていた。多くの人が通った結果、直登する部分の岩が露出していて、左足と両腕ををかけられたが、右足をかけようにも、左足とその両腕の掛かりに不安がよぎる。
もし右足をかけようとして、左足から両腕の支点が崩れたら…?
真下を見ると絶壁に近い岩の斜面だった。かと言って後退することも許されない足場の状態にあった。
打開の一手を必死で考えたが、どの一手にも不安だけしかよぎらなかった。
その場にはどれだけいただろうか。5~10分はそのままでいたと思う。
僕は力なく声を振り絞って、パーティ組に助けを求めることにした。
幸いにもその助けを受け入れた方は山岳救助隊の方だった。
なんと心強いことか。自分の無謀さが恥ずかしかった。
彼はロープ工作を進めるとともに、私に手製のハーネスを作って、ビレイ確保してから登らせていただいた。私にとって最大の誤算はその部分にあった。本来は最低でもダブルアックスで登るべきだったのだ。
ハーネスも標準装着していれば尚よかった。
僕は自分の無謀さを知り、その力なさを受け止めながらもその後彼らと登頂することになった。
彼らとはスノーバーとロープを駆使し、アルパインクライミングのスタイルで登攀していった。
自分達が登る頃には登頂の渋滞もなくなり、P2のアンカーにビレイ確保をしながらも再び頂上からスノーバーで支点を作っての登頂となった。
こうして時刻はいつのまにか15:30、私の登山経験は一気に濃密なものとなった。彼らは僕を優しく励ましてくれた。そして僕は自分の無謀さに深く心から反省した。しっかりとした登攀技術が学びたいと思ったのだ。
彼らにはたくさんのことを教えてもらった。その登頂後も僕は本来テント泊を予定していたが、そういう心境ではすっかりなくなっていたので彼らと小屋泊することにした。
白馬山荘は今まで訪れた小屋の中で1番大きく感じた。温かくて広い。僕らは受付を済まると「大雪渓」の部屋へ案内された。荷物を置き、食事前の乾杯をすることに。
その場で僕は改めて自己紹介と白馬岳へ向かう経緯について語った。
僕は予算上自炊になったが、温かい場所で食べられるだけで満足。
なによりもこの命があることにとても満ちた。
食事あとに僕らは晩酌しているとテレビでは北アルプスでの相次ぐ遭難と滑落事故のニュースが立て続けに流れた。
自分もあと少しでそうなりかけたのが悍ましくて、あの緊張の場面が脳裏に焼き付いて離れなかった。
まだ長い筈の人生、本当に、ここに来れて良かったと、生きている幸せを噛み締めた。
その日のお酒は少量で身体を回り、すぐに眠りを誘った。
眠りにつく前、少しだけ夜の空をみたくなって、皆で外へ出て覗くと、星空も疎らで風は強く吹き、明日の天候が芳しくないことを確信した。
彼らの当初の予定では小蓮華山からバリエーションルートで下るという予定だったという。僕もそれに同行するつもりだったが、明日の朝の天気を見て判断することになった。
その日の夜中に、僕はあの緊張場面をふと思い出ししまいあまり深くは寝れなかったのであった…
5月5日(月)>>>
5:30起床、彼らは朝食を食堂で摂り、僕は自炊で朝食にラーメンを食べた。身体はあちこちが軋み、昨日の緊張からは若干だけ疲れがとれた、気がした。
窓を覗くと、辺りは吹雪いて、ホワイトアウトになっていた。
彼らは食堂でこの後のルートを議論しているようだった。
このホワイトアウトのなかでバリエーションルートを進むにはかなり危険であることがわかっていた。
7:00頃には各自の出発準備が整っていく。僕はまたこの出発前にも便意の衝動に駆られる。どうしてだろう。やはりホワイトアウトしてる外の途中ではするきが起きないので、そそくさに山荘のトイレで済ませる。
時刻は7:30を回り、ルートが決定された。2パーティに分かれることになり、僕は救助隊の方と大雪渓から下山。もう一つのパーティは予定通りに小蓮華山からその尾根を通るバリエーションルートを通ることになった。
救助隊の人は彼らにくれぐれも無理せず、ダメだったら大雪渓を経由してくれと言って、その場で彼らが出るのを見送った。僕は昨日とは装備が変わって、フリースジャケットを重ね、バラクラバにゴアテックス仕様の手袋で厳冬期仕様として保温装備に徹した。
山荘の玄関を開けると吹雪が中に舞い込み、凍てつく風が僕らの身体をまとった。完全なるホワイトアウトだった。小蓮華に向かった彼らが心配になった。
私よりも先輩で技術もあるとはいえ、ホワイトアウトは危険だと本能的に悟った。
時刻7:45に白馬山荘を出発した。
大雪渓は落石と雪崩が怖かったが、救助隊の方と降りるのはなんとも心強いものだ。
僕らの前にはBCスキーヤーの団体がいた。こんな不明瞭な中で大雪渓をスキーするのはいささか不安なんじゃないかと思った。
しかし彼らも小蓮華に向かった人と同じように自信があるのだろう。
僕にはそんなものがなかった。
天気を相手に勝てる気なんてしない。だからこないだのあの緊張場面は想定外であった。そのことがずっと恥ずかしかった。今でも恥ずかしくおもう。
僕はGPS記録の付け忘れていたことに気づき、途中からでもと記録を再開した。
大雪渓もホワイトアウトで視程10mないくらいのものだった。途中には落石や雪崩の跡があり、何人がこの大雪渓で命を落としたのだろうと、考えを巡らした。そうしていると一羽の雷鳥が遠くに見えた。白い。近づいて見てみたかったが、大雪渓ではそんな気はおきなかった。初めて見た雷鳥だった。本当に白い。
時刻は9:30、だいぶ降りたことを実感すると、吹雪は雨に変わっていた。遠目に見慣れた沢の分岐がある白馬尻小屋のポイントが見えてきた。そうすると安心したのか、尻セードがしたきなったので救助隊の方がビニール袋ですることえお進めた。ビニールでも以外と滑るのだが、傾斜がイマイチだったので、そこそこにして楽しむ。
ふと左手にある主陵ルートに目をやるとクラックが確認できた。この雨でもうとりつくには難しいだろうと救助隊の人が言った。同感だった。僕のような経験が少ないものでもそれはわかった。
そこから猿倉へ着くには時刻は10:45、あっという間の下山だった。
僕らはしばらく猿倉荘で休憩をしてから各帰路についた。
本来は翌日に帰る予定だったが、天気も下り坂だったので東京へ帰ることにしてバスの予約変更を済ませた。
僕は八方インフォまで送ってもらうと深く礼をして連絡先を交換して別れた。
とてもお腹が空いていたので、山賊焼き食べたくなったのだが、土産屋で店を尋ねると、ここは山賊焼きより蕎麦がおいしいと言うのだ。なるほど。店員によると林檎舎という店がお勧めのようだ。
お風呂に入る前に腹ごしらえを済ませるべくして、急いだ。少し変わったもの頼みたいクセがあったのが災いしてか、おしぼり蕎麦というものを頼んだ。これが大根汁に味噌とネギの付け蕎麦だった。献立をよく見ておくべきだった。きっと普通の蕎麦が美味しかったはずだ。しかし蕎麦自体は手打ち製麺だったのでとても美味しく食べた。
食事をあとにし、第一郷の湯で寛いだ。湯の温度は抜群の熱さだった。
そのせいか、疲れがとても取れた気分。
そこから14:20のバスに乗り、新宿へと向かうが、やはり渋滞は酷いと宣言される。
到着予定は19:20だが、大月から小仏トンネルは魔の区間だった。時刻はあっという間に21:00を過ぎた。
しかし京王のバスは中央道の各区間へ止まることを思い出した。
早く自宅へ着くにはそれを利用しない手はなかった。
時刻は10:20、僕は日野で降車して11:00前には自宅へと帰りつくことができたのだった。
【登攀感想】
白馬岳は実に美しい山だった。
初めての北アルプスにして、時間をかけ、バリエーションルートを通って登頂した分、特別な想いが詰まった山行となった。
私は救助してくれたパーティのアドバイスにしっかりと耳を傾け、しっかりとした登攀技術を学ぶことにする。
ハーネス、ロープ、カラビナ等を使った本格的なアルパインクライミング術を身につけたい。
単独行という状況においては今回は初めての失敗という結果になった。単独行かつあの場面で他の人がいなかったら僕は命を落としていただろう。山登りで、初めて、死を直感した瞬間だった。
パーティの1人であるKさんによればここへのルートには2年半の準備期間をかけて登攀の日を向かえたという。
僕はそれをたった1ヶ月の準備期間で登ろうとしたのだから、そう考えると無謀にも程があると思えた。
バリエーションルートは人の手入れされていない分、もっともっと注意を払うべきなのだ。
帰りのバスで渋滞が長引くも、行きと気持ちは違って、命がここにあることに深く感謝した。
登頂した喜びと共に、命あって空気を吸えること、また反省して次を考えられること、親や友人あえること、生きてできることがたくさんあるということに全て感謝の気持ちを込めた。
そして僕があの場面に直面する前に通った主陵ルート、P8-P3は素晴らしいルートだと記憶している。
もちろん全てが美しかったが、私のあくまで個人的な感想として。
傾斜のキツい直登を強いられる場面はピークの手前に必ずあり、息を上げながら登らざるを得ない。
徐々に近くなってくる頂上部分は胸を高鳴らせる。
雪山での単独行はまだ僕には早かったし、経験が少なすぎた。
これを機に自分の登攀力を総合的に磨き上げたいと思える、美しくも険しい山旅となった。
長文となりましたが、
最後まで読んでくれた方に深く感謝いたします。
皆様の山行に少しでもお役立てれば幸いです。
ご一読、有り難うございました。
コメント
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自分も当日、登ってました。
主稜に目をやるとたくさんの人、山頂には笑顔の人がいっぱいでした。
自分も主稜に登ってみたいです。
やっぱ達成感がハンパないのかな?
にしても運良く救助隊の方にお会いできてホント良かったですね!
とっても遅くなってすいません。。
あれからたくさんの時間が流れたと感じています。
一種の臨死体験を通して、あの主稜ルートは僕にたくさんのこと教えてくれたのだと今なら思えます。生きて頂上を登った達成感と共に最高です!
O野さんパーティには大変に感謝で一杯です。
また会う日のために日々、登攀技術への執着が高まるばかりです><
良い経験をされましたね。
アルパインは進退窮まることは、あり得ることです。
いざという時のために、エスケープ方法をシュミレーションしておくと良いでしょう。
山行で何より大切なのは、無事に帰宅することですよ。
ご無沙汰しております。
本当にありがとうございました。
全くもって、おっしゃる通りです!
この度、ハーネス装備を駆使した不帰嶮の横断を終えてきました。
白馬岳で救って頂いたこの命、決して無駄しないよう、
この経験を愛好家へ広めて安全な登山の向上に努めます。
引き続き、日々精進して参ります。
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