大峰奥駈道


- GPS
- 104:00
- 距離
- 91.7km
- 登り
- 7,461m
- 下り
- 7,587m
コースタイム
- 山行
- 6:36
- 休憩
- 0:29
- 合計
- 7:05
- 山行
- 11:47
- 休憩
- 0:45
- 合計
- 12:32
- 山行
- 10:30
- 休憩
- 0:15
- 合計
- 10:45
天候 | 強雨→ピーカン |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
ゲイター
日よけ帽子
着替え
靴
予備靴ひも
サンダル
ザック
ザックカバー
サブザック
昼ご飯
行動食
非常食
調理用食材
調味料
飲料
ハイドレーション
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
調理器具
ライター
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
GPS
筆記用具
ファーストエイドキット
針金
常備薬
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ツェルト
ストック
ナイフ
カメラ
ポール
テント
テントマット
シェラフ
ヘルメット
携帯トイレ
|
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感想
日本屈指のロングトレイル、「大峰奥駈道」を縦走した記録である。
大峰奥駈道は、8世紀初頭に開かれたと言われる修験道の修行の道で、吉野〜熊野本宮大社の約90kmを結んでいる。世界遺産にも登録されている修験道の行場ということで、「なんでこんなところに…?」という建造物や仏像を道中数多く拝むことができる。先人の強さは半端ではない。
計画では5泊6日の予定だったが、結局1日巻きで4泊5日で完走してしまった。
1日目、夜行バスで京都入りし、近鉄を乗り継いで吉野へ向かう。下車して支度をし、9時過ぎに出発。観光客を横目にクソでかいザックを背負い、金剛峯寺の門前町を闊歩していくが、やがて少しずつ山へと入っていく。薄曇りで気温もちょうどいいが、低山独特の鬱蒼とした空気を感じる。正直なところ、景色は丹沢のそれとそう変わらないので、ひたすら足元を回転させるしかやることはない。炊飯男は持ってきた魔剤缶に小さな穴が空いたらしく、穴から噴水のごとく噴出する魔剤をちびちび飲みながら歩いていた。15時半に五番関の女人禁制の鳥居の前に幕営。夕食はキムチ風雑炊であった。この日は15km歩いた。
2日目、平成最終日である。そそくさと起き上がり、6時前に出発する。寒冷前線が通過するらしく、早速出発して30分ほどで雨が降ってくる。山上ヶ岳は流石に世界遺産なだけあってだいぶ荘厳な雰囲気であった。雨は段々強くなり、ガスガスでドロドロの道を転んだりしながらとりあえず突き進む。ふと開けたところに出たりすれば、顔面を叩きつける風雨で修行感が増す。15時前に目的の避難小屋手前の水場に着き、炊飯男に「先行って休んでてよ」と伝え、水を汲んでから避難小屋のドアを開けると炊飯男が居ない。彼の性格は考えても、なるほどね、こいつ、俺を置いて先に進みやがった…と確信した。おい、次の幕営地までコースタイム4時間あるんだぞ…と思いながら、黙々と歩いて標高を上げ、おおよそ3時間弱で弥山まで登り切る。炊飯男はテントの中で寝袋に入りながら、余裕の表情でキムチ風雑炊を炊飯していた。なんだこいつ…。この日は21km歩いた。
3日目、記念すべき令和を迎えたこの日、朝から土砂降りである。まったくクソみたいな時代のスタートだ。僕はおそらく令和になってもクソみたいな雨男なのだろう。雨はどうせ上がらないので待つもクソもなく、普通に6時に出る。最高地点の八経ヶ岳からはガスで何も見えない。虚無である。炊飯男は歩くのが速い。何度か「待てやゴラァ!」とキレる。景色を眺めながら休もうにも視界は無く、神聖さもクソもない。土砂降りの中、死ぬほどアップダウンを繰り返したらしいがあまり記憶はない。寒かったことは覚えている。ドロドロの状態で16時半頃持経ノ宿に転がり込む。ストーブでぬくぬくの小屋を前に「入ろう!?」と懇願するも、炊飯男は「テント張る」の一点張り。ここまで持ってきたから張りたかったらしい。まあ気持ちはわかるよね。結局今日もテントでキムチ風雑炊を食べる。マッシュルームも入れてみた。この日は19km歩いた。
4日目。起きたら晴れていた。まあ、晴れていようが靴はグッショグショのドロドロで、足裏は血みどろである。疲れていたし、あまり意味はないだろうけど、何となく靴を乾かして、7時すぎに出る。途中の傘捨山の標識には傘が被せてあり、風流だ。笠捨山を越えるとちょっぴりハードな岩稜帯となる。「この鎖を付けた人はここで死んだ」みたいな看板があって戦々恐々とする。昨日とは打って変わって暑く、かえって体力を消耗した。岩稜帯を過ぎると後はひたすら玉置神社まで快適な登山道を進んでいく。境内に至る緩やかな登りをこなすと荘厳な玉置神社の境内に出る。正直なところ疲労困憊だったが、その雰囲気に圧倒された。玉置神社で安全祈願して、神社の駐車場に倒れ込む。玉置神社の駐車場にはうどん屋があるが、自分たちが来る数分前に閉店したらしく、これには流石の炊飯男も肩を落としていた。この駐車場から眺めた夕焼けは涙が出るほど綺麗で、ここまでの道程を嘲笑うかのようだった。他に誰もいないので、お店を広げて濡れた装備を乾かし、またキムチ風雑炊を食べて、この日はテントを張らずに夜空を見ながら、いつの間にか吸い込まれるように眠りについた。この日は21km歩いた。
5日目。起きたら綺麗な青空だった。6時に出る。もう一度玉置神社で安全祈願し、ビクトリーロードを駆け下る…と思いきや、意外と凸凹している。途中、テントポールを拾う。10km進んだ先で修験道のおじさんに出会い、少し立ち話をするとテントポールの持ち主だった。お礼に3000円くれた。標高が低くなるにつれ気温がどんどん上がり、足裏は汗が染みてアホみたいに痛い。10m単位のアップダウンを幾度もこなして、流石にまだかよ…と思っていた頃、遂に熊野川の先に熊野本宮大社の鳥居を拝む。ビーサンで渡渉しようとするも、何故かここで紐がちぎれて使い物にならなくなったので、血だらけになったボロボロの足裏に悲鳴というか奇声をあげながら、裸足で熊野川を死ぬ気で渡りきり、対岸に倒れ込む。あぁ、終わった…。数分倒れ込んで空を見上げていたが、とりあえずコーラを買いに行く。13時15分、熊野本宮大社。やりきった。下山後のコーラは最高だ!この日は17km歩いた。
令和元年になったばかりで神社も書き入れ時である。熊野本宮大社は激混みであった。一応手を合わせて、参拝後は逃げるようにバスに乗り込み新宮へ向かう。1日早い下山だったので、バスの予約は翌日の深夜だ。新宮では、最寄りのイオンまで数キロ歩いてマクドナルドのハンバーガを4つも食べて、銭湯で地元の刺青だらけのおっちゃんに「兄ちゃんら、ワンゲルやろ」と絡まれ、すき家で3時間粘って追い出されて、結局新宮駅前のベンチでぐっすり寝袋に入ってそれはそれは心地よい睡眠を取った。翌朝は早朝から名古屋へ移動。観光すればいいのだが、足裏がボロボロで歩けないうえ、そもそも金が無い。スマホの充電も無い。2,3日目の土砂降りを忘れたのか、と突っ込みたくなるほどの青空で、なおかつクソ暑いので、名古屋駅から徒歩5分の児童公園で、周辺住民とガキンチョどもにジロジロ見られながら、悪臭を放つびしょびしょの登山装備のお店を開く。ここで予約したバスが来るまで12時間も虚無の時間を過ごしたことが、この山行の核心だったのかもしれない。
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