記録ID: 5142505
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ハイキング
箱根・湯河原
箱根浅間山、鷹巣山(強羅-三島)
2023年02月03日(金) [日帰り]


体力度
4
1泊以上が適当
- GPS
- 08:06
- 距離
- 30.3km
- 登り
- 803m
- 下り
- 1,326m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 7:19
- 休憩
- 0:45
- 合計
- 8:04
距離 30.3km
登り 820m
下り 1,327m
16:18
ゴール地点
天候 | 曇り時々晴れ、無風 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年02月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
| 南武線(川崎行) 10.6km 1・4・5号車 | 04:59-05:15[16分] | 220円 ◇登戸 1・2番線発 [乗換5分+待ち27分] | 小田急線急行(小田原行) 67.3km 前 | 05:47-06:57[70分] | 733円 ◇小田原 [06:58は乗換え間に合わず。] | 箱根登山線(箱根湯本行) 15.0km | 07:14-07:28[14分] | 770円 ◇箱根湯本 [乗換1分+待ち7分] | 箱根登山線(強羅行) ↓ | 07:36-08:12[36分] ■強羅 =========== 山歩き =========== ■三島 3番線発 | 東海道本線(東海)(熱海行) 16.1km 中央 | 16:28-16:41[13分] | 680円 ◇熱海 [乗換1分+待ち4分] | 東海道本線(東日本)(高崎行) 20.7km 中後 | 16:46-17:08[22分] | ↓ ( 普通車 ) ◇小田原 [乗換4分+待ち5分] | 小田急線急行(新宿行) 67.3km | 17:17-18:20[63分] | 733円 ◇新百合ヶ丘 5・6番線着・5・6番線発 [乗換1分+待ち2分] | 小田急線快速急行(新宿行) ↓ やや後 | 18:23-18:29[6分](理由不明で遅延)18:35着 ■登戸 | 南武線(立川行) 10.6km | 18:42-19:00[18分] | 220円 ■府中本町 4番線着 交通費合計:3356円 |
写真
箱根湯本駅で箱根登山鉄道に乗り換え。
電車内は終点の強羅駅まで制服の女学生だらけ。強羅駅近くのカトリック系女学校、函嶺白百合学園(かんれいしらゆりがくえん)の登校時間のようだ。ランドセルの小学生から高校生位まで濃紺の制服女学生が沢山いる。
電車内は終点の強羅駅まで制服の女学生だらけ。強羅駅近くのカトリック系女学校、函嶺白百合学園(かんれいしらゆりがくえん)の登校時間のようだ。ランドセルの小学生から高校生位まで濃紺の制服女学生が沢山いる。
宮城野への急な階段を下る。この道は2021年09月23日【金時山】で通った道だ。
金時山のヤマレコLINK→https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3551278.html
金時山のヤマレコLINK→https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3551278.html
+5℃ R138箱根裏街道「宮城野橋」を通過。ここまで養生した径50mm位のパイプと一緒に坂道を降りてきた。パイプは源泉の引湯配管らしく触ると温かった。宮城野橋の袂は湯気もうもう。余分な引湯をここで早川に流しているのかな? 豊富な湯量を演出する上手な手法だと思う。
+2℃ 浅間山(804m)頂上に到着。
神奈川県の山(分県登山ガイド) 44/54座目。
東京周辺の山350 119/350座目。
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昔は下鷹ノ巣山と言われていました。江戸時代、富士山への信仰から浅間信仰が起こり、この山の中腹に浅間神社を祭ってから、浅間山と呼ばれるようになりました。鷹巣城があったのはこの山と思われます。
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以上、山名標の説明を写す。
浅間山の方が鷹巣山より低いが、山頂が広く平らで築城しやすい。鷹巣城はここにあったという意見に賛成。
神奈川県の山(分県登山ガイド) 44/54座目。
東京周辺の山350 119/350座目。
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昔は下鷹ノ巣山と言われていました。江戸時代、富士山への信仰から浅間信仰が起こり、この山の中腹に浅間神社を祭ってから、浅間山と呼ばれるようになりました。鷹巣城があったのはこの山と思われます。
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以上、山名標の説明を写す。
浅間山の方が鷹巣山より低いが、山頂が広く平らで築城しやすい。鷹巣城はここにあったという意見に賛成。
+2℃ 鷹巣山に到着。
神奈川県の山(分県登山ガイド) 45/54座目。
登っている最中に大磯丘陵の高麗山あたりが遠く薄く見えたが、鷹巣山山頂は眺望無し。鷹巣山は浅間山よりも狭い山頂。鷹巣城は浅間山にあったという説が真実と思う。
神奈川県の山(分県登山ガイド) 45/54座目。
登っている最中に大磯丘陵の高麗山あたりが遠く薄く見えたが、鷹巣山山頂は眺望無し。鷹巣山は浅間山よりも狭い山頂。鷹巣城は浅間山にあったという説が真実と思う。
五輪塔(曽我兄弟の墓+虎御前の墓)に到着。とても大きい。
僕のザックの高さが57cm。写真で ザックリ見積もって4.5倍なので250cm位ある。見ごたえのある五輪塔。現在は、曽我兄弟や虎御前のものでは無いと判明しているらしい。以下、ネットからカトペ。
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曽我兄弟の墓は、日本三大仇討で有名な曽我兄弟と、兄・十郎の恋人であった虎御前の墓として親しまれてきた五輪塔。左側の寄り添う2基が兄弟のもの、右側の少し小さく作られている1基が虎御前のものといわれているが、時代考察などから現在では兄弟たちの墓ではないと判明している。しかし、虎御前の墓とよばれる五輪塔からは地蔵講によって1295年に建立されたことがわかり、地蔵講の銘が刻まれている五輪塔としては日本最古のものとして非常に歴史的価値が高い。また、地輪にはそれぞれに梵字が、兄弟のものといわれる塔の水輪には仏像が刻まれており、特に珍しい様式とも言われている。この3つの五輪塔は元箱根石仏・石塔群の一つとして国の史跡として指定されているほか、建造物として重要文化財に登録されている。
僕のザックの高さが57cm。写真で ザックリ見積もって4.5倍なので250cm位ある。見ごたえのある五輪塔。現在は、曽我兄弟や虎御前のものでは無いと判明しているらしい。以下、ネットからカトペ。
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曽我兄弟の墓は、日本三大仇討で有名な曽我兄弟と、兄・十郎の恋人であった虎御前の墓として親しまれてきた五輪塔。左側の寄り添う2基が兄弟のもの、右側の少し小さく作られている1基が虎御前のものといわれているが、時代考察などから現在では兄弟たちの墓ではないと判明している。しかし、虎御前の墓とよばれる五輪塔からは地蔵講によって1295年に建立されたことがわかり、地蔵講の銘が刻まれている五輪塔としては日本最古のものとして非常に歴史的価値が高い。また、地輪にはそれぞれに梵字が、兄弟のものといわれる塔の水輪には仏像が刻まれており、特に珍しい様式とも言われている。この3つの五輪塔は元箱根石仏・石塔群の一つとして国の史跡として指定されているほか、建造物として重要文化財に登録されている。
元箱根摩崖仏「俗称 二十五菩薩(西側)」を見る。
高い岩に彫っている。足場を組んで彫ったのだろうけど、あの高さに彫るのは大変だったろうな。この辺で野宿しながら彫ったのかな。現代ならテントと1週間分の食料と工具を40kg背負ってここまで歩いてくることを想像できるけど、永仁元年(西暦1293年)頃に、1週間分の寝具、食料、工具を担いでくるというのはどういう旅だったのか想像できない。
高い岩に彫っている。足場を組んで彫ったのだろうけど、あの高さに彫るのは大変だったろうな。この辺で野宿しながら彫ったのかな。現代ならテントと1週間分の食料と工具を40kg背負ってここまで歩いてくることを想像できるけど、永仁元年(西暦1293年)頃に、1週間分の寝具、食料、工具を担いでくるというのはどういう旅だったのか想像できない。
箱根関所 写真のところまで来たら入場料500円と書いてある。国道1号線まで戻って迂回する。
※帰宅後netで調べたら「通り抜けは無料」とのこと。まぁ、気分は【関所破り】で面白かった。
※帰宅後netで調べたら「通り抜けは無料」とのこと。まぁ、気分は【関所破り】で面白かった。
向坂(むこうざか)、赤石坂(あかいしざか)、釜石坂(かまいしざか)、風越坂(かざこしざか)、挟石坂(はさみいしさか)の看板が立っているけど、みんな同じような坂に見えて区別がつかない。
延宝八年(1680年)に箱根街道(箱根八里)を整備した時は、坂道だけに石畳を敷いたのだそうだ。坂に名前を付けて管理した名残なのだろう。その後石畳は繋がって、ちょっと見には1本の坂の様のなっている。
接待茶屋の説明看板。江戸時代から一時途絶えた時期もあるけど、昭和45年(1970年)まで接待を続けていたとのこと。東海道本線開通が1889年に開通、新幹線が1964年に開通しているのに、1970年まで300年も接待茶屋が続けられていたのは凄いことだと思う。
「兜石」を通過。説明看板によると由来は2説あり。1)兜を伏せたような形をしている。2)豊臣秀吉が小田原征伐時に石の上に兜を置いて休憩したと石碑に書いてある。兜石は大きく、小柄な豊臣秀吉が兜を載せられるとは思えない。1)説が有力と思う。
雲助徳利の墓を通過。お酒が好きだったので、徳利と杯のお墓を後輩が建ててくれたのだそうだ。
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雲助の墓は、駒形諏訪(こまがたすわ)神社(山中新田)の向かいにあります。墓石には盃(さかずき)と徳利が浮き彫(ぼ)りにされ、その下には「久四郎」という名が刻(きざ)まれています。
雲助とは江戸時代に宿場や街道で駕籠(かご)かきや荷物の運搬(うんぱん)をした人のことをいいます。そのなかには悪さをする者もいました。この墓の雲助は日頃、仲間の取り締まりをしていましたが、困っている仲 間や若者の面倒をよくみてやり、仲間から慕われていました。また、街道筋の百姓からも厚い信頼を受けていました。
彼は終生酒を愛し、酒を楽しみ、酒の中で一生を終わりました。その死後、彼を慕う後輩の雲助や土地の人々の手によって、盃と徳利を刻んだこの墓がたてられました。現在でも、墓前には花が手向(たむ)けられています。
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雲助の墓は、駒形諏訪(こまがたすわ)神社(山中新田)の向かいにあります。墓石には盃(さかずき)と徳利が浮き彫(ぼ)りにされ、その下には「久四郎」という名が刻(きざ)まれています。
雲助とは江戸時代に宿場や街道で駕籠(かご)かきや荷物の運搬(うんぱん)をした人のことをいいます。そのなかには悪さをする者もいました。この墓の雲助は日頃、仲間の取り締まりをしていましたが、困っている仲 間や若者の面倒をよくみてやり、仲間から慕われていました。また、街道筋の百姓からも厚い信頼を受けていました。
彼は終生酒を愛し、酒を楽しみ、酒の中で一生を終わりました。その死後、彼を慕う後輩の雲助や土地の人々の手によって、盃と徳利を刻んだこの墓がたてられました。現在でも、墓前には花が手向(たむ)けられています。
山中城を見学。障子堀と畦堀が有名。(写真は畦堀)
防御工事が徹底していて美しい。現在は崩れないように、かつ景観のために芝を貼っているが、本来の姿は関東ローム層のデロデロ泥むき出しだったのだろう。この堀が赤土ヌルヌルだったら、圧倒的に防御が有利になったはずだ。しかし、山中城は秀吉の北条小田原征伐時、半日で落城したという。豊臣勢7万、北条勢4千。戦力比17倍の力押し。落城の様子はここが詳しい。→https://www.city.mishima.shizuoka.jp/ipn017264.html
防御工事が徹底していて美しい。現在は崩れないように、かつ景観のために芝を貼っているが、本来の姿は関東ローム層のデロデロ泥むき出しだったのだろう。この堀が赤土ヌルヌルだったら、圧倒的に防御が有利になったはずだ。しかし、山中城は秀吉の北条小田原征伐時、半日で落城したという。豊臣勢7万、北条勢4千。戦力比17倍の力押し。落城の様子はここが詳しい。→https://www.city.mishima.shizuoka.jp/ipn017264.html
錦田一里塚を通過。一対の榎の生えた塚が江戸から28里(約112km)であることを示している。なぜ榎かというと、徳川家康が「ええ木を植えよ」と言ったのを、家臣の大久保 長安(ながやす)が「榎を植えよ」と聞き間違えたという説があるそうだ。
感想
目的
1)以下2座をgetする。
浅間山:神奈川県の山(分県登山ガイド) 44/54座目
鷹巣山:神奈川県の山(分県登山ガイド) 45/54座目
2)赤線繋ぎ(強羅からスタートする。)
3)石畳を歩く。
4)山中城を見学する。
5)三島大社に参拝する。
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