箱根湯本駅で箱根登山鉄道に乗り換え。
電車内は終点の強羅駅まで制服の女学生だらけ。強羅駅近くのカトリック系女学校、函嶺白百合学園(かんれいしらゆりがくえん)の登校時間のようだ。ランドセルの小学生から高校生位まで濃紺の制服女学生が沢山いる。
0
2/3 7:33
箱根湯本駅で箱根登山鉄道に乗り換え。
電車内は終点の強羅駅まで制服の女学生だらけ。強羅駅近くのカトリック系女学校、函嶺白百合学園(かんれいしらゆりがくえん)の登校時間のようだ。ランドセルの小学生から高校生位まで濃紺の制服女学生が沢山いる。
+5℃ 強羅駅を出発。駅の地下道を抜け、早川に向かって住宅街を下りだす。ここで函嶺白百合学園の女生徒の登校の大群と分かれてホッとする。振り返ると早雲山。
0
2/3 8:15
+5℃ 強羅駅を出発。駅の地下道を抜け、早川に向かって住宅街を下りだす。ここで函嶺白百合学園の女生徒の登校の大群と分かれてホッとする。振り返ると早雲山。
+5℃ R138箱根裏街道「宮城野橋」を通過。ここまで養生した径50mm位のパイプと一緒に坂道を降りてきた。パイプは源泉の引湯配管らしく触ると温かった。宮城野橋の袂は湯気もうもう。余分な引湯をここで早川に流しているのかな? 豊富な湯量を演出する上手な手法だと思う。
0
2/3 8:23
+5℃ R138箱根裏街道「宮城野橋」を通過。ここまで養生した径50mm位のパイプと一緒に坂道を降りてきた。パイプは源泉の引湯配管らしく触ると温かった。宮城野橋の袂は湯気もうもう。余分な引湯をここで早川に流しているのかな? 豊富な湯量を演出する上手な手法だと思う。
+4℃ R138を進み、富士屋ホテルを過ぎてカーブを曲がり、熊野神社へ向かって右折する。写真はテレビでよく見る富士屋ホテル。
0
2/3 8:42
+4℃ R138を進み、富士屋ホテルを過ぎてカーブを曲がり、熊野神社へ向かって右折する。写真はテレビでよく見る富士屋ホテル。
浅間山の取付き傍に、強羅からここへ歩いてくる途中で見た太閤湯の看板。入浴料600円は嬉しい。逆コースなら入ってから帰りたかった。「太閤湯」のことは覚えておこう。
0
2/3 8:48
浅間山の取付き傍に、強羅からここへ歩いてくる途中で見た太閤湯の看板。入浴料600円は嬉しい。逆コースなら入ってから帰りたかった。「太閤湯」のことは覚えておこう。
浅間山の取付き。山支度をしてハイキング開始。
0
2/3 8:48
浅間山の取付き。山支度をしてハイキング開始。
箱根登山鉄道の「浅間山踏切」を通過。単線、無人、警報機無し、遮断機無し。懐かしい踏切。
0
2/3 8:50
箱根登山鉄道の「浅間山踏切」を通過。単線、無人、警報機無し、遮断機無し。懐かしい踏切。
+3℃ 広葉常緑樹と落葉の九十九折れを登る。
0
2/3 9:04
+3℃ 広葉常緑樹と落葉の九十九折れを登る。
+2℃ 浅間山(804m)頂上に到着。
神奈川県の山(分県登山ガイド) 44/54座目。
東京周辺の山350 119/350座目。
----------------------------
昔は下鷹ノ巣山と言われていました。江戸時代、富士山への信仰から浅間信仰が起こり、この山の中腹に浅間神社を祭ってから、浅間山と呼ばれるようになりました。鷹巣城があったのはこの山と思われます。
----------------------------
以上、山名標の説明を写す。
浅間山の方が鷹巣山より低いが、山頂が広く平らで築城しやすい。鷹巣城はここにあったという意見に賛成。
0
2/3 9:49
+2℃ 浅間山(804m)頂上に到着。
神奈川県の山(分県登山ガイド) 44/54座目。
東京周辺の山350 119/350座目。
----------------------------
昔は下鷹ノ巣山と言われていました。江戸時代、富士山への信仰から浅間信仰が起こり、この山の中腹に浅間神社を祭ってから、浅間山と呼ばれるようになりました。鷹巣城があったのはこの山と思われます。
----------------------------
以上、山名標の説明を写す。
浅間山の方が鷹巣山より低いが、山頂が広く平らで築城しやすい。鷹巣城はここにあったという意見に賛成。
三等三角点【鷹之巣】801.52mにタッチ。
浅間山山頂標には804mと書いてある。2万5千分の1地図では801.5mだ。浅間山山頂標を立てた人が間違えたのかな?
0
2/3 9:49
三等三角点【鷹之巣】801.52mにタッチ。
浅間山山頂標には804mと書いてある。2万5千分の1地図では801.5mだ。浅間山山頂標を立てた人が間違えたのかな?
浅間山の広い山頂を鷹巣山へ向かう。写真左端の樹に隠れた山が鷹巣山。正面は神山。
0
2/3 9:50
浅間山の広い山頂を鷹巣山へ向かう。写真左端の樹に隠れた山が鷹巣山。正面は神山。
指道標に付いている【湯坂路コース案内図】が判りやすい。今から鷹ノ巣山を越えて元箱根へ向かう。
0
2/3 9:51
指道標に付いている【湯坂路コース案内図】が判りやすい。今から鷹ノ巣山を越えて元箱根へ向かう。
+2℃ 鷹巣山に到着。
神奈川県の山(分県登山ガイド) 45/54座目。
登っている最中に大磯丘陵の高麗山あたりが遠く薄く見えたが、鷹巣山山頂は眺望無し。鷹巣山は浅間山よりも狭い山頂。鷹巣城は浅間山にあったという説が真実と思う。
0
2/3 10:11
+2℃ 鷹巣山に到着。
神奈川県の山(分県登山ガイド) 45/54座目。
登っている最中に大磯丘陵の高麗山あたりが遠く薄く見えたが、鷹巣山山頂は眺望無し。鷹巣山は浅間山よりも狭い山頂。鷹巣城は浅間山にあったという説が真実と思う。
鷹巣山から降りる。石畳の良い道。鎌倉古道とのこと。
0
2/3 10:16
鷹巣山から降りる。石畳の良い道。鎌倉古道とのこと。
国道1号線に出た。ここからしばらく舗装路歩き。
0
2/3 10:22
国道1号線に出た。ここからしばらく舗装路歩き。
+4℃ 舗装路歩き。左は上二子山、右は駒ヶ岳。
0
2/3 10:34
+4℃ 舗装路歩き。左は上二子山、右は駒ヶ岳。
少し進んだら、国道1号線と並行して石畳の古道がある。勿論、石畳古道を歩く。
0
2/3 10:38
少し進んだら、国道1号線と並行して石畳の古道がある。勿論、石畳古道を歩く。
五輪塔(曽我兄弟の墓+虎御前の墓)に到着。とても大きい。
僕のザックの高さが57cm。写真で ザックリ見積もって4.5倍なので250cm位ある。見ごたえのある五輪塔。現在は、曽我兄弟や虎御前のものでは無いと判明しているらしい。以下、ネットからカトペ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
曽我兄弟の墓は、日本三大仇討で有名な曽我兄弟と、兄・十郎の恋人であった虎御前の墓として親しまれてきた五輪塔。左側の寄り添う2基が兄弟のもの、右側の少し小さく作られている1基が虎御前のものといわれているが、時代考察などから現在では兄弟たちの墓ではないと判明している。しかし、虎御前の墓とよばれる五輪塔からは地蔵講によって1295年に建立されたことがわかり、地蔵講の銘が刻まれている五輪塔としては日本最古のものとして非常に歴史的価値が高い。また、地輪にはそれぞれに梵字が、兄弟のものといわれる塔の水輪には仏像が刻まれており、特に珍しい様式とも言われている。この3つの五輪塔は元箱根石仏・石塔群の一つとして国の史跡として指定されているほか、建造物として重要文化財に登録されている。
0
2/3 10:45
五輪塔(曽我兄弟の墓+虎御前の墓)に到着。とても大きい。
僕のザックの高さが57cm。写真で ザックリ見積もって4.5倍なので250cm位ある。見ごたえのある五輪塔。現在は、曽我兄弟や虎御前のものでは無いと判明しているらしい。以下、ネットからカトペ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
曽我兄弟の墓は、日本三大仇討で有名な曽我兄弟と、兄・十郎の恋人であった虎御前の墓として親しまれてきた五輪塔。左側の寄り添う2基が兄弟のもの、右側の少し小さく作られている1基が虎御前のものといわれているが、時代考察などから現在では兄弟たちの墓ではないと判明している。しかし、虎御前の墓とよばれる五輪塔からは地蔵講によって1295年に建立されたことがわかり、地蔵講の銘が刻まれている五輪塔としては日本最古のものとして非常に歴史的価値が高い。また、地輪にはそれぞれに梵字が、兄弟のものといわれる塔の水輪には仏像が刻まれており、特に珍しい様式とも言われている。この3つの五輪塔は元箱根石仏・石塔群の一つとして国の史跡として指定されているほか、建造物として重要文化財に登録されている。
元箱根石仏・石塔群を見ながら歩く。
0
2/3 10:47
元箱根石仏・石塔群を見ながら歩く。
元箱根摩崖仏「俗称 二十五菩薩(西側)」を見る。
高い岩に彫っている。足場を組んで彫ったのだろうけど、あの高さに彫るのは大変だったろうな。この辺で野宿しながら彫ったのかな。現代ならテントと1週間分の食料と工具を40kg背負ってここまで歩いてくることを想像できるけど、永仁元年(西暦1293年)頃に、1週間分の寝具、食料、工具を担いでくるというのはどういう旅だったのか想像できない。
0
2/3 10:48
元箱根摩崖仏「俗称 二十五菩薩(西側)」を見る。
高い岩に彫っている。足場を組んで彫ったのだろうけど、あの高さに彫るのは大変だったろうな。この辺で野宿しながら彫ったのかな。現代ならテントと1週間分の食料と工具を40kg背負ってここまで歩いてくることを想像できるけど、永仁元年(西暦1293年)頃に、1週間分の寝具、食料、工具を担いでくるというのはどういう旅だったのか想像できない。
精進池を通過。薄く凍っている。
0
2/3 10:52
精進池を通過。薄く凍っている。
磨崖仏 俗称 六道地蔵を拝む。大きくて信仰の堅さを感じさせる造形。よく拝んで先に進む。
0
2/3 10:57
磨崖仏 俗称 六道地蔵を拝む。大きくて信仰の堅さを感じさせる造形。よく拝んで先に進む。
ここからお玉が池には行かず、元箱根、箱根関所を通って三島を目指す。
0
2/3 11:02
ここからお玉が池には行かず、元箱根、箱根関所を通って三島を目指す。
+6℃ 振り返ると二子山。(写真)進む先には段々芦ノ湖が見えてくる。
0
2/3 11:11
+6℃ 振り返ると二子山。(写真)進む先には段々芦ノ湖が見えてくる。
芦ノ湖を通過する。
0
2/3 11:37
芦ノ湖を通過する。
箱根関所 写真のところまで来たら入場料500円と書いてある。国道1号線まで戻って迂回する。
※帰宅後netで調べたら「通り抜けは無料」とのこと。まぁ、気分は【関所破り】で面白かった。
0
2/3 11:45
箱根関所 写真のところまで来たら入場料500円と書いてある。国道1号線まで戻って迂回する。
※帰宅後netで調べたら「通り抜けは無料」とのこと。まぁ、気分は【関所破り】で面白かった。
芦川の石仏群に到着。ここから箱根旧街道(石畳)を歩く。
0
2/3 11:59
芦川の石仏群に到着。ここから箱根旧街道(石畳)を歩く。
向坂(むこうざか)、赤石坂(あかいしざか)、釜石坂(かまいしざか)、風越坂(かざこしざか)、挟石坂(はさみいしさか)の看板が立っているけど、みんな同じような坂に見えて区別がつかない。
0
2/3 12:00
向坂(むこうざか)、赤石坂(あかいしざか)、釜石坂(かまいしざか)、風越坂(かざこしざか)、挟石坂(はさみいしさか)の看板が立っているけど、みんな同じような坂に見えて区別がつかない。
延宝八年(1680年)に箱根街道(箱根八里)を整備した時は、坂道だけに石畳を敷いたのだそうだ。坂に名前を付けて管理した名残なのだろう。その後石畳は繋がって、ちょっと見には1本の坂の様のなっている。
0
2/3 12:01
延宝八年(1680年)に箱根街道(箱根八里)を整備した時は、坂道だけに石畳を敷いたのだそうだ。坂に名前を付けて管理した名残なのだろう。その後石畳は繋がって、ちょっと見には1本の坂の様のなっている。
+6℃ 箱根旧街道から国道1号線の舗装道路に併せて箱根峠を通過して静岡県に入る。
0
2/3 12:21
+6℃ 箱根旧街道から国道1号線の舗装道路に併せて箱根峠を通過して静岡県に入る。
+8℃ 接待茶屋への道は、2019年の台風19号被害で通行止めとのこと。国道1号線に迂回するように書いてあるけど、行ける所まで行ってみる。
0
2/3 12:37
+8℃ 接待茶屋への道は、2019年の台風19号被害で通行止めとのこと。国道1号線に迂回するように書いてあるけど、行ける所まで行ってみる。
接待茶屋への道はバリケード封鎖されていた。戻らずに少し先の作業道で国道1号線に出た。
0
2/3 12:40
接待茶屋への道はバリケード封鎖されていた。戻らずに少し先の作業道で国道1号線に出た。
接待茶屋の説明看板。江戸時代から一時途絶えた時期もあるけど、昭和45年(1970年)まで接待を続けていたとのこと。東海道本線開通が1889年に開通、新幹線が1964年に開通しているのに、1970年まで300年も接待茶屋が続けられていたのは凄いことだと思う。
0
2/3 12:52
接待茶屋の説明看板。江戸時代から一時途絶えた時期もあるけど、昭和45年(1970年)まで接待を続けていたとのこと。東海道本線開通が1889年に開通、新幹線が1964年に開通しているのに、1970年まで300年も接待茶屋が続けられていたのは凄いことだと思う。
「兜石」を通過。説明看板によると由来は2説あり。1)兜を伏せたような形をしている。2)豊臣秀吉が小田原征伐時に石の上に兜を置いて休憩したと石碑に書いてある。兜石は大きく、小柄な豊臣秀吉が兜を載せられるとは思えない。1)説が有力と思う。
0
2/3 12:53
「兜石」を通過。説明看板によると由来は2説あり。1)兜を伏せたような形をしている。2)豊臣秀吉が小田原征伐時に石の上に兜を置いて休憩したと石碑に書いてある。兜石は大きく、小柄な豊臣秀吉が兜を載せられるとは思えない。1)説が有力と思う。
施行平に到着。明治天皇御遠望臺の大きな石碑。
0
2/3 12:58
施行平に到着。明治天皇御遠望臺の大きな石碑。
+8℃ 施行平から駿河湾を望む。富士山・愛鷹山の眺めも良いと説明看板に書いてあったけど、山方向は曇っていて残念。
0
2/3 12:58
+8℃ 施行平から駿河湾を望む。富士山・愛鷹山の眺めも良いと説明看板に書いてあったけど、山方向は曇っていて残念。
石畳を歩いて山中城を目指す。
0
2/3 13:10
石畳を歩いて山中城を目指す。
静岡側は石畳を修復した記録が説明看板で説明されている。
0
2/3 13:21
静岡側は石畳を修復した記録が説明看板で説明されている。
雲助徳利の墓を通過。お酒が好きだったので、徳利と杯のお墓を後輩が建ててくれたのだそうだ。
-----
雲助の墓は、駒形諏訪(こまがたすわ)神社(山中新田)の向かいにあります。墓石には盃(さかずき)と徳利が浮き彫(ぼ)りにされ、その下には「久四郎」という名が刻(きざ)まれています。
雲助とは江戸時代に宿場や街道で駕籠(かご)かきや荷物の運搬(うんぱん)をした人のことをいいます。そのなかには悪さをする者もいました。この墓の雲助は日頃、仲間の取り締まりをしていましたが、困っている仲 間や若者の面倒をよくみてやり、仲間から慕われていました。また、街道筋の百姓からも厚い信頼を受けていました。
彼は終生酒を愛し、酒を楽しみ、酒の中で一生を終わりました。その死後、彼を慕う後輩の雲助や土地の人々の手によって、盃と徳利を刻んだこの墓がたてられました。現在でも、墓前には花が手向(たむ)けられています。
0
2/3 13:29
雲助徳利の墓を通過。お酒が好きだったので、徳利と杯のお墓を後輩が建ててくれたのだそうだ。
-----
雲助の墓は、駒形諏訪(こまがたすわ)神社(山中新田)の向かいにあります。墓石には盃(さかずき)と徳利が浮き彫(ぼ)りにされ、その下には「久四郎」という名が刻(きざ)まれています。
雲助とは江戸時代に宿場や街道で駕籠(かご)かきや荷物の運搬(うんぱん)をした人のことをいいます。そのなかには悪さをする者もいました。この墓の雲助は日頃、仲間の取り締まりをしていましたが、困っている仲 間や若者の面倒をよくみてやり、仲間から慕われていました。また、街道筋の百姓からも厚い信頼を受けていました。
彼は終生酒を愛し、酒を楽しみ、酒の中で一生を終わりました。その死後、彼を慕う後輩の雲助や土地の人々の手によって、盃と徳利を刻んだこの墓がたてられました。現在でも、墓前には花が手向(たむ)けられています。
山中城を見学。障子堀と畦堀が有名。(写真は畦堀)
防御工事が徹底していて美しい。現在は崩れないように、かつ景観のために芝を貼っているが、本来の姿は関東ローム層のデロデロ泥むき出しだったのだろう。この堀が赤土ヌルヌルだったら、圧倒的に防御が有利になったはずだ。しかし、山中城は秀吉の北条小田原征伐時、半日で落城したという。豊臣勢7万、北条勢4千。戦力比17倍の力押し。落城の様子はここが詳しい。→https://www.city.mishima.shizuoka.jp/ipn017264.html
0
2/3 13:42
山中城から三島淑を目指す。写真は国土交通省の看板。静岡でしか見かけなかった。
0
2/3 14:13
山中城から三島淑を目指す。写真は国土交通省の看板。静岡でしか見かけなかった。
旧街道がそのまま現在の集落のメインストリートになっている。道幅も変わっていないように思える。
0
2/3 14:21
旧街道がそのまま現在の集落のメインストリートになっている。道幅も変わっていないように思える。
街道沿いの六地蔵。2軍を数に入れると12地蔵。
0
2/3 14:51
街道沿いの六地蔵。2軍を数に入れると12地蔵。
街道沿いの馬頭観音。お馬の顔が面白い。
0
2/3 14:56
街道沿いの馬頭観音。お馬の顔が面白い。
街道沿いの集落は石仏、石碑が多い。歴史のある旧街筋であることが判る。
0
2/3 15:00
街道沿いの集落は石仏、石碑が多い。歴史のある旧街筋であることが判る。
+8℃ 愛鷹山は見えるけど、富士山は雲の中。
0
2/3 15:14
+8℃ 愛鷹山は見えるけど、富士山は雲の中。
錦田一里塚を通過。一対の榎の生えた塚が江戸から28里(約112km)であることを示している。なぜ榎かというと、徳川家康が「ええ木を植えよ」と言ったのを、家臣の大久保 長安(ながやす)が「榎を植えよ」と聞き間違えたという説があるそうだ。
0
2/3 15:16
錦田一里塚を通過。一対の榎の生えた塚が江戸から28里(約112km)であることを示している。なぜ榎かというと、徳川家康が「ええ木を植えよ」と言ったのを、家臣の大久保 長安(ながやす)が「榎を植えよ」と聞き間違えたという説があるそうだ。
「旧東海道踏切(118K832M)」で東海道本線を渡る。なぜ【旧】の字が付くのか気になる。
0
2/3 15:30
「旧東海道踏切(118K832M)」で東海道本線を渡る。なぜ【旧】の字が付くのか気になる。
伊豆国一之宮・総社 三島大社に到着。無事に箱根越え出来たことを感謝して参拝。御朱印を初穂料300円で頂く。
0
2/3 15:47
伊豆国一之宮・総社 三島大社に到着。無事に箱根越え出来たことを感謝して参拝。御朱印を初穂料300円で頂く。
今日は節分。追儺祭鳴弦式の神事を偶然見ることができた。
追儺(ついな)とは節分などに行われる鬼を払う行事。鳴弦とは矢をつがえずに弓を鳴らして邪を払うこと。
0
2/3 15:56
今日は節分。追儺祭鳴弦式の神事を偶然見ることができた。
追儺(ついな)とは節分などに行われる鬼を払う行事。鳴弦とは矢をつがえずに弓を鳴らして邪を払うこと。
JR三島駅からまっすぐ帰宅した。
0
2/3 16:14
JR三島駅からまっすぐ帰宅した。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する