表妙義・相馬岳北稜(リトライ)
- GPS
- 09:31
- 距離
- 9.8km
- 登り
- 1,364m
- 下り
- 1,379m
コースタイム
- 山行
- 8:04
- 休憩
- 0:51
- 合計
- 8:55
天候 | 9時まで 曇時々雪 12時まで 曇時々晴 13時まで 雪 13時から 概ね晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2014年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
松井田妙義IC ↓ 相馬岳北稜取付点脇車デポ地(写真参照) |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所があまりに多く、迂闊に触れると大しっぺ返しを食うので、 (自身がまさにそのクチ)文字による詳細の公開は控えます。 知りたい方はPMくだされば回答します。 下記に、ざっくりと。 ■取付〜P1 ものすごい急登だが、二本足で立てる程度。 体力と脚力は必要。 ■P1〜P5 比較的マシ。 ■P5先 ルーファイを誤ると、懸垂下降を余儀なくされる よく見れば避けられる。 ■P6〜P10 核心1。基本は西(進路右)側を下巻くが、 危険地帯が長く続き、神経が磨り減る。 とどめに稜線への壁っぽい登り返し、 稜線直下には大量の落葉が詰まった上に凍結したルンゼが待っている。 気を抜けるところがなく、ルーファイが難しい。 2本の脚で立てる場所の方が少なく、懸垂は普通だと考えたほうが良い。 ■P10〜P11 嵐の前の静けさ。 ■P12(つづみ岩) 核心2というか、最大の核心。 ピークの10m直下の登りかかりがオーバハング。 普通はP11とのギャップから懸垂で西(進路右)側から大きく下巻いて 仙人窟へ上がることがほとんど。 ■P12〜仙人窟 東(進路左)側を大きく下巻きをすればこれまでよりはマシ。 ■仙人窟〜相馬岳 これまでに比べると天国。 ■相馬岳コース エアリアの破線ルート。これまでに比べると極楽。 往生しないように油断禁物。 中盤までは痩せ尾根、登り返し有。鎖多数。雪多少あり。 ※登攀具について 途中、懸垂4回、単独登攀システム1回。 ナッツとハーケン&ハンマーは未使用、他はすべて使用。 ハーケン&ハンマーは使ってもいいと思える場面があったが、 ナッツは全く出番なし。カムは持参しなかったが、あってもいいかも。 ※会った人 相馬岳山頂で1パーティ2名 |
その他周辺情報 | 【温泉】 もみじの湯 510円。11月〜3月は19時まで。 とても良い湯。露天風呂からの夜景もよい。地元の人が多い。 http://www.joy.hi-ho.ne.jp/ma0011/T-Gunma87.htm |
写真
装備
個人装備 |
縦走用登山靴
クライミングシューズ
ザイル10mm×50m
アッセンダ左右1
ビナ安全環2+ナシ6
クイックドロー長2+短2
シュリンゲ適量
ナッツ3(10・12・13)
ハーケン6(軟鉄4・クロモリ2)
ハンマー
ATC
メット
ハーネス
日帰り縦走装備一式
行動食
非常食
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感想
この山行にあたり、妙義の数々のバリエーションルートを歩いていらっしゃる
treeappleさんの珠玉のレコを参考といたしました。
どうもありがとうございます。
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松井田妙義ICから取付点に向かって車を走らせると、
夜が明けかけた空の眼前に、その山群が姿を現す。
またここに戻ってくる日がやってきたことを実感し、
思わず涙が出そうになるけれど、言い聞かせる。
「泣くのは五体満足で下りてきてからにしろ」
7ヶ月前に、身も心も徹底的に痛めつけられたそのお山は、
ぼくにとって、どうしてももう一度会わなければならない場所だった。
勝ちとか負けとか、リベンジとか制覇とか、そんなことはどうでもよく、
ここで事故を起こしたことがただただ申し訳なくて仕方がなく、
直接訪れ、その顔を見て謝りたかった。
そして、もう一度ぼくはその山に問うてみたかった。
ぼくは、その中に存在するエレメントのひとつになり得る者なのか。
そうでなければ、ぼくはまた受け容れられず、追い払われてしまうのか。
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道具の点検は完璧にしたはずだけれど、
取付点でハーネスを装着することに戸惑い、時間を食う。
やはり、緊張しているな、と思う。
いや、平常心でいられる方がおかしいのだ、と言い聞かせる。
心がざわざわしているなかで、脚を踏み出した。
ものすごい急な登りだけれど、二本の脚で立って歩ける。
この急登は、ざわめいた心を見つめ直すにはちょうど良い。
1時間ばかりは、そんな時間を過ごした。
急登が終わり、前方に屹立する岩峰が切り立ってくるころには、
己を省みることより、これから先のことについて考えるようになった。
登ったり降りたりを幾度も繰り返す。
僅かでも不安感が襲えば、すぐにロープを出す。無理は決してしない。
いけそうかな?と思うと、ついいこうとしてしまうのがぼくの悪癖だが、
その気持ちをコントロールしなければ、お山はまたぼくに罰を下すだろう。
おまえは7ヶ月前に何を学んだのだ?と。
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標高が上がるにつれ、西側の斜面が凍結してきた。
だが、薄皮1枚の凍結だから、アイゼンは何の役にも立たない。
それは取付く前からよく分かっている。
あくまで、歩かせてもらえるところをぼくは歩くのだ。
ここは無理か?と思っても、よく見れば受け容れてくれる懐がある。
ぼくはそこに手をかけ、脚をかけて身体を押し上げていく。
7ヶ月前に事故を起こした場所も、そうやって通過した。
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緊張感を少しも緩められない時間が長く続く。
何か起きてからでは遅い。
何も起きないようにするには、
あくまで緊張感を高く持続させるしかない。
お山には「絶対」などないが、「必然」は存在する。
何か起こったとき、後になってそこから逆算すると、
要因となる「必然」に突き当たるのだ。
やがて、風が出てきた。
周りを見ると、西の空がどんよりと暗い。
分水嶺からの風が、雨雲と一緒に漏れてきているようだ。
最大の核心部に取り付く前に雪が降り出せば、
そこは避けなければならない。雪がある状態ではとても登れない。
辛うじて人が2人くらい立てる、狭いギャップに辿り着いた。
12個のピークが屹立するその尾根の、11個目と12個目の間。
核心部の基部だ。
ちょうど昨年の同時期、ぼくはその間に西側の沢から上がってきて、
12個目のピークを登っている。
けれど、今のぼくの身体は、あの時とはもはや別物。
同じやり方をすれば、おまえは何も分かっていないと罰を下すかもしれない。
持ってきたいくつかの道具を、ここでほとんどすべてハーネスに装着し、
まずは空荷で登りにかかる。
ランニングビレイを取り、万が一のときのために備える。
オーバハングした岩は、以前と同じようにためらわずに一気に通過する。
そうしないと、落とされてしまう。
やがて、12個目のピークのすぐ下にある、頑丈そうな灌木に支点を取った。
これで墜落の心配がなくなった。
ランニングを外しながら基部へ下降し、
ザックを背負ってもう一度登り返す。
ハングは先ほどよりも時間がかかったけれど、
アッセンダを使って乗り越す。
こうして、12個のピークの一番最後に立った。
そして同時に、雪が降り始めた。
ああ、貴女は漏れてきた雨雲から雪を降らせることを待っていてくれたのか。
12個目のピークには、つづみ岩という名がついている。
己の持ちうる最大限の感謝と謝意を込めて、パンパン!と手を叩くと、
つづみを叩くように、辺りに籠った音が響き渡る。
風は視界を遮るように雪を運ぶ。
道具を仕舞い、急いで下りにかかる。
緊張の時間はまだ緩めることができない。
ざっくりと切り立った斜面も、よく見ると歩ける場所がある。
灌木は豊富にあるので、その助けを借りて進む。
しばらく歩くと、岩のどてっぱらにぽっかりと穴が開いているのが見える。
その名を仙人窟と言って、どうやら昔の修験者がここで修行をしていたらしい。
ようやく、腰を下ろして休める場所まで辿り着いた。
まだ終わりではないけれど、少し緊張を緩め、行動食を口にする。
やがて、穴の向こうから明るい陽が差してきた。
谷の向こうの、Tの字の岩が立つ有名なピークも、
青空にくっきりと映っている。
そのとき、ようやくぼくは貴女への謝罪が通じたのかもしれない、
そして新しいお山を歩くことが許されたのかもしれない、そう思った。
また涙が出そうになるが、まだ終わっていないのでこらえる。
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そこから1時間ばかり歩くと、山頂に辿り着き、この稜線は終わりを告げる。
7ヶ月越しの謝罪山行は、こうして目的を果たすことができた。
誰もいない山頂で、思わず快哉を叫ぶ。
山頂でゆっくりと休んでいると、
夫婦らしき2人が上がってきた。この日、お山で見た初めての人だった。
彼らに、自分から写真を撮りましょうか、と言った。
このお山は、地図に載っているルートからでも立ち入る人は少ないからだ。
たぶん、ぼくが去ってしまえば、2人での写真を撮ることはできないだろう。
2人も多分、想いがあってこのお山に上がってきたはずだもの。
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山頂から下る。
まだ油断はならなかったけれども、
物想いに耽る時間を貰うことができた。
ぼくはこのお山に受け容れてもらえただろうか。
このお山のエレメントのひとつになることができただろうか。
それはまだ分からなかったけれども、
ひとまずはこれでまた新しいことを続けることができる。
ぼくの生き方を続けることが許されたとは思う。
人それぞれ、お山に対する考え方や接し方があると思う。
ヒマ人の道楽である、などという意見も聞いた。
それを否定するつもりはない。
確かに週末はヒマ人なのかもしれないから。
けれど、道楽では決してお山への想いを抱き続けることはできないし、
ここに再び戻ってくることもできなかった。
ぼくの考え方や接し方は、ある種の人から見れば荒唐無稽で、
馬鹿馬鹿しいものだと思われるかもしれないけれど、
ぼくはこういう風にお山と接してきたからこそ、
今の自分の人生があると考えている。
下山後、朝に想像していたような涙は出なかった。
むしろ、これからもお山を愛でていくことができるという、
感謝の気持ちで溢れていた。
本当にどうもありがとう。
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翌日の夜、なかなか寝付けなかった。
緊張やら興奮やらが未だに全身から抜けていないようだった。
身体の疲労はさほどでもないはずなのに、
重くて深い疲労感が心を覆っていた。
想い続けたひとに想いを伝え、それが通じた後のような気持ちだった。
7ヶ月前の事故山行レコ(自戒の意味を込めて、リンクを貼ります)
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-446419.html
コメント
この記録に関連する登山ルート
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motchさん こんばんは
ついに戻ってきて、やりきりましたね
motchさんがこのお山にいる必然性を感じます。
エレメントになっていますよ!
むしろ、渾然として一如となっているように思えます。
いいレコを読ませていただきました。
まずは、お疲れ様でした!
doppoさん
ありがとうございます。
今回までのプロセスで、doppoさんがくださったコメントには
どれだけ勇気づけられたことか。
歩き切った時、もちろんうれしいと思いました。
けれど、今はただただ赦されたんだな、
という安堵の気持ちとともに、
また次に受け容れてもらえるために、
心身を磨かないと、という粛然たる思いがあります。
よねやまさんの、書評「アルピニズムと死」を思い出しました。
野井泰史氏が、今日まで死ななかった理由として、
彼が凄い想像家であったこと。
山に入ったら研ぎすました五感ですべての気配を受け止め、判断するよろこびを満喫していること。
と書いています。
まさに、motchさんの、山との対峙そのものではないでしょうか。
私はmotchさんのようなクライミング技術もありませんし、地道に歩荷トレーニングする努力家でもありません。
でも、そんな姿勢に憧れ、自分もそのようになりたい、と思っています。
山がmotchさんを受け入れてくれた事を嬉しく思います。
kihaさん
こんばんは。
コメント、どうもありがとうございます。
山野井さんと対比だなんて、僭越にもほどがありますけれども、
確かにそういうような接し方を無意識のうちにしているような気もします。
ぼくは、基本となる部分は大学生のときに教わったものの、
以後は多くのものが独学で、専門的に技術を教わったケースが少ないのですが、
今後、更にお山に受け入れてもらえるようになるには、
もっときちんと勉強していかなければならないと、
今回のお山を通じて思いを新たにした次第です。
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