記録ID: 7928909
全員に公開
ハイキング
志賀・草津・四阿山・浅間
碓氷峠から矢ヶ崎峠を経て横川へ
2025年03月22日(土) [日帰り]



体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 05:41
- 距離
- 12.6km
- 登り
- 461m
- 下り
- 1,024m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
碓氷峠ー矢ヶ崎山分岐 特段問題となる箇所はありませんでした。 矢ヶ崎山分岐ー矢ヶ崎峠 昔の道と重なる部分です。若干崩れている箇所もあり、そんな場所は滑落注意。 矢ヶ崎峠ー中尾川 踏み跡はあるものの、はっきりしない箇所もあり。滑落に加え枝尾根へ間違って進まないように要注意。 中尾川ー旧国道18号 林道を歩く道。林道は近年使われていないようだが、概ね歩きやすい道。 旧国道18号ー碓井第六橋梁 国道は舗装路。ただし距離は短い。国道を逸れ碓井第六橋梁へ上る箇所はあまり歩かれていない。ただし、若干の踏み跡はあった。 碓井第六橋梁ー横川駅 近年”アプトの道”として整備された遊歩道。トンネル内には照明が燈りヘッドライトは不要。横川駅まで通しで歩く人は少ない模様。 |
その他周辺情報 | 横川から軽井沢への最終バスは18:50。ネットの情報では19:00と書かれたものがあるので要注意。 |
写真
分岐地点。ここを直進(踏み跡の付いている方向)すると矢ヶ崎山へ至る。今回はここを左折して矢ヶ崎山の横をトラバースして矢ヶ崎峠方面へと向かう。分岐点には道標らしきものがあったが、残念ながら文字は消えてしまっていた。
矢ヶ崎峠への分岐から暫く歩くとご覧のような有様。人間の踏み跡は無し。鹿と思しき足跡が道の縁を辿っている。戻って矢ヶ崎山経由にしようかとも思ったが、結局踏み跡の無いこの場所を通過することにした。流石に鹿(カモシカ?)の足跡を辿る気にもなれず、道の真ん中あたりを歩くことにした。
標高が低くなってくると雪も少なくなってくる。そんな時に現れたのがこのトラバース箇所。写真にすると何という事は無いのだが、実際には落ち葉が降り積もり、その下の足場が判然としない。踏みぬけば滑落してしまいそう。そして、滑落したら結構下まで落ちてしまいそうだった。こんな場所があと数か所存在した。季節が進めばそれ程嫌らしくは無くなるような気もした。ここに残雪が残っていなくてよかったな…。
矢ヶ崎峠付近。来た方向を振り返って写真を撮ってみた。休憩適地。ただ、鞍部の為か風がやや強めだった。この鞍部、”峠”と名前が付いているだけあって、旧版地形図には南へと下る道が載っている。つまり、この場所迄は昔の道跡であったらしい。ただ、歴史を感じさせる道標や石仏等は見かけなかった。この道の現役当時もそれ程頻繁に使われた道という訳ではなかったようだ。
この辺はかなり道も踏まれていて歩きやすい部類。藪に覆われてしまいそうに思える場所なのだが、盛夏に訪れることがあったとしても道が藪に沈むことは無さそうだ。鹿がそれ程増えてしまっていると言う事なのだろうか。
こんな何の変哲もないトラバース箇所(トラバースなんて言うのも大げさに見える)も枯葉が積もっていて足元が確認できず恐ろしい。通った後に振り返って写真を撮ると、通る際に落ち葉をどかした事もあり、道がしっかりと見える。
中尾川に作られた石積の砂防ダム。このタイプは結構古いもののように思える。もしかしたら戦前?中尾川には砂防ダムはそれ程多くは無かったが、なぜそんな昔に作られたのだろう。以前は周囲は禿山で土砂の流出が酷かったのだろうか。実際、戦後すぐに熊ノ平で地滑りが起きているので無関係ではないのかもしれない。
自然の力の前に敗北してしまったレトロな石積砂防ダム。上流側に堆砂が見受けられないので壊れてからそれなりの年月が経っていそうだ。再建されていないところを見ると、必要性は低いと判断されたのかな?
廃道に近い林道の横にあった廃屋。林業関係の小屋なのだろうか。以前よく見かける事のあった造林小屋とは少し違う作りだ。窓は木枠にガラスを嵌め込んだもの。ガラスの大きさは小さ目。昭和20年代中頃〜昭和30年代後半に作られたもの?
降雨による浸食作用で上部のコンクリートのみ残してその下側は全て洗われてしまっている。この上を歩く以外無いのだが、歩いている途中にコンクリートがポッキリ折れてしまったら…と考えるとあまり良い気はしない。鉄筋入っているのだろうか。それとも無筋?(それは無さそうではあるけれど)
眼前に現れる碓井第六橋梁。この上を昭和38年迄アプト式の鉄道が走っていた。アプト式廃止以降、長らく放置されてきたが近年遊歩道として再整備された。この橋梁の脇を登れば、その先横川まではゆっくりと下り坂が続く遊歩道。
第六号隧道内部。碓氷峠の煉瓦造りのトンネルとしては長い部類。整備前にこの煉瓦トンネル群のいくつかを通ってみたが、このトンネルは今回初めてだと思う。以前は木製の枕木で柵がしてあった記憶がある。
第五号隧道と第四号隧道の間には建物の土台が残っている。碓氷峠電化前、トンネル幕引きという仕事がありその人が詰めていた建物の跡なのかな。これについてもそれを説明する看板はどは無かった。
横軽廃止のすぐ後にまだ列車が走って来そうな碓井線を歩いた。その当時はこの丸山変電所跡は荒れるに任せ、屋根は抜け落ちていたような記憶すらある。その後、整備され今では重要文化財に指定されている。一方、同様の建物が軽井沢にもあった。名前は矢ヶ崎変電所。軽井沢駅から碓氷峠方向に暫く歩くとあった。こちらは人々の記憶から消えかけている。今残っていれば煉瓦の建物として良い観光資源になった筈なのに。いつの頃か解体されてしまった。(1980年代かな、多分)
撮影機器:
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
靴
ザック
ザックカバー
行動食
ハイドレーション
地図(地形図)
ヘッドランプ
GPS
保険証
時計
タオル
ストック
カメラ
|
---|
感想
碓氷峠から矢ヶ崎峠を経て熊ノ平・碓井第六橋梁へ。その後はアプトの道(廃線跡)を経て横川まで歩いてみました。
矢ヶ崎峠迄は古い地形図にも載る道。以前はそれなりに整備された道だったようですが、今では通る人も少ないようです。
矢ヶ崎峠から先は遠入地区へ下る道があったのですが、ざっと見ただけではそれと判る跡は見つかりませんでした。(もっとも、そのような目で見ていなかったので見落としている可能性は大きい)
矢ヶ崎峠より先は道がやや薄くなります。ただ、藪に沈んでしまうとかそのような事はありませんでした。調べてみるとトレランのコースになっていたこともあるみたいですね。その時(数年前)はそれなりに整備されていたのでしょうか。落葉が溜まって下手に踏み抜くと滑落しそうな箇所が散見されました。
また、矢ヶ崎峠から先を下りに使う場合、枝尾根に入り込まないように注意する必要はあります。実際に歩いてみて紙の地図のみでは迷いそうだと感じました。
地形図の等高線の表現力が実際の地形を忠実には追い切れていないように感じました。
尾根道を中尾川まで下ってしまうと迷いやすさは無くなります。ここから先はほぼ散歩コースのような感じです。
ここで気を抜いてはいけません。横川迄はそこそこ距離があり、また廃線跡は舗装されているので登山靴を履いた足には地味にダメージが来ます。
可能であればこの区間は登山靴から街歩き用の靴に履き替えたいところです。私は持って行かずにちょっと後悔しました。
私の足では午後からの行動開始は少々遅かったようです。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:161人
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する