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それはともかく、昭和天皇は雲仙と阿蘇、那須についての歌を多く残されています。面白いのは、雲仙では阿蘇、阿蘇では雲仙の歌を詠まれていることです。天皇が初めて雲仙を訪問されたのは昭和24年5月26日のことで、九州巡幸の途中の休養日のことでした。車で仁田峠に上がられた天皇(当時48歳)は、当時の宮内府の長官、田島道治氏の「あのあたりが阿蘇でございます」との説明に対して、「あーそう」とおっしゃったものの、側近は笑っていいものやら困って固まってしまい、天皇が苦笑される一幕があったとか。仁田峠から野岳（1142ｍ）に登る途中で詠まれた御製は、
高原にみやまきりしまうつくしく むらがり咲きて小鳥とぶなり
というもので、直接山を詠んだものではありませんでしたが、9年後の昭和33年4月、熊本県を訪問された際には、阿蘇山で雲仙のことを思い出して詠まれています。
「阿蘇の宿」
裏山にのぼりて見ればなつかしき 雲仙岳はほのかにかすめり
昭和天皇は草千里ヶ浜の西2�劼曚匹両貊蠅砲△辰唇ち百儻�ホテルに宿泊されましたから、宿の裏山に少し上がられたのでしょうか。(写真１――有明海のフェリーから望む雲仙岳)
その3年後、昭和36年の4月25日、還暦を間近にした昭和天皇は香淳皇后を伴って雲仙を訪れ、雲仙観光ホテルに宿泊されています。そして再び仁田峠に登り、
大阿蘇は波路はるかにあらはれて 山なみうすく霞たなびく
という御製を残されています。雲仙から阿蘇方面を見ると、有明海や熊本の平野の向こうに阿蘇が見えるのでしょうが、阿蘇までは80�劼曚謬�離があるので、春霞の季節には、遥か遠くに淡い色で見えたことでしょう。そして天皇は、3年前に雲仙を眺めたのはどのあたりだろう、と思われたことでしょう。「波路はるかにあらはれて」という部分によく感じが出ているように思います。
それから24年を経た昭和60年5月、全国植樹祭で熊本を訪問された天皇は、再び阿蘇観光ホテルに宿泊され、やはり雲仙の歌を詠まれています。
なつかしき雲仙岳と天草の 島はるかなり朝晴れに見つ
既に84歳になられていた天皇にとって、壮年期の巡幸は良い思い出だったのでしょう。雲仙はとりわけ良い思い出だったようで、前回もご紹介した「狂犬 矢嶋博士」氏は、「なつかしき」は雲仙につく枕詞のようだ、と書いています。http://yasimahirosi.at.webry.info/201107/article_26.html
昭和天皇にとってもう一つ思い出深い山があるとすれば、それは那須岳でしょう。那須の御用邸は大正15年、皇太子だった昭和天皇の成婚後の避暑の場として建てられたもので、天皇は毎夏のように那須に滞在されていましたから、那須岳を詠んだ歌が多くなるのは当然かもしれません。那須岳の歌に限らず、那須の自然を詠まれた歌、那須に滞在中に詠まれた歌まで含めれば、私が目にしただけでも30首近くあります。
那須岳を直接詠まれた最初の歌は、昭和32年の歌二首です。
高原に立ちて見わたす那須岳に 朝ゐる雲のしろくしづけし
高原のをちにそびゆる那須岳に 帯にも似たるしらくもかかる
翌昭和33年の歌会始のお題が「雲」で、天皇はこのうち二つ目の歌を歌会始で披露されていますから、この二首はいずれも歌会始に向けて詠まれたもので、そのうち気に入った方を選ばれたのでしょう。
那須岳を詠まれた歌には「高原」という言葉がよく出てきますが、これは「こうげん」ではなく「たかはら」と読むのでしょうか。御用邸は海抜約700ｍで、そこから見た那須岳は広い高原を前景にして見えるでしょうから、まさに「高原に立ちて見わたす」、「高原のをち（あちら）にそびゆる」という感じなのでしょう。「帯にも似たる白雲かかる」の方が雲の様子は具体的に浮かんできますが、「朝ゐる雲の白く静けし」の方が、高原の朝の雰囲気がよく伝わってくるような気もします。
那須岳と那須の高原を詠まれた歌は多く、ほかにも
み空には雲ぞのこれる吹き荒れし 野分のあとの那須の高原（昭和34年）
那須の山そびえてみゆる草原に いろとりどりの野の花はさく （昭和37年、翌年の歌会 始のお題「草原」にむけて）
初秋の空すみわたり雲の峯 日盛(ひざか)りにそびゆ那須岳の辺(へ)に（昭和52年）
という三首を詠まれています。那須の高原あたりでは、草をなぎ倒して吹く大風に、野分という古い言葉がぴったりくるのでしょう。「野分のあとの那須の高原」という箇所を全体としてみても、ノの音とナの音が小気味よいリズムを刻んでいます。
御用邸付近の高原で詠まれた歌の他にも、那須近辺の自然を詠んだ歌はあり、その中で那須岳南西の標高1200ｍ地点に位置する沼原湿原で詠まれた歌が二首あります。
白笹山のすその沼原黄の色に 日光きすげむれ咲きにほふ（昭和45年）
沼原にからくも咲けるやなぎらんの 紅の花をはじめて見たり（昭和61年）
60代の終わりと80代半ばでの歌ですから、沼原湿原には車で向かわれたのでしょうか。沼原湿原の南端には、水力発電用の沼原調整池が昭和49年に完成していますから、そのころから湿原にはあまり歩かずともいけるようになっていたのでしょう。私は今年8月の終わりに沼原湿原を散策しましたが、こじんまりとした湿原からは、白笹山がお供えに盛り付けたご飯のように、丸く大きく見えました(写真2)。
昭和63年、那須で過ごされた最後の夏、天皇は次のような歌を詠まれています。
あぶらぜみのこゑきかざるもえぞぜみと あかえぞぜみなく那須の山すずし
三種のセミが歌いこまれているところは、「雑草という草はない」という名言を残した生物学者の面目躍如という感じがしますし、アブラゼミのいかにも暑そうな鳴き声とエゾゼミを対比して、高原の涼しさが伝わってくるようでもあります。
昭和63年といえば昭和天皇は膵臓がんで手術を受けられた後で、東京の暑さはこたえたに違いありません。昭和天皇と同い年で、昭和53年に亡くなった私の祖父も、癌の手術から一旦回復し、夏に八ヶ岳山麓に避暑に行った後体調を崩して入院し、冷房の利かない病院で暑がりながら弱っていったのを覚えています。天皇にも高原の涼しさはさぞありがたく思われたことでしょう。
（那須平成の森）http://www.nasu-resorts.jp/comfortable/2011/05/27/files/110527-001ogi.php
昭和天皇の御製として知られる869首のうち最後のものが、第１回にも紹介した
空晴れてふりさけみれば那須岳はさやけく聳ゆ高原のうへ
という歌です。第一回では、この歌は、天皇が那須に滞在された7月20日から8月15日までの間に詠まれたのだろう、と推測しておきました。しかし、当時の新聞データベースを調べてみると、天皇は8月13日に帰京され、式典に出席された後、8月18日には再びヘリコプターで那須に向かわれています。翌日の読売新聞によると、「陛下は三度目のヘリの利用で慣れたご様子で、航空図を広げ、高度五百メートル、時速約二百キロのヘリから、筑波山や八溝山系の景色を楽しまれた」のだそうです。そして9月8日まで那須に滞在され、今度は新幹線で帰京されています。この二度目の滞在中、発熱で調子を崩された日もありましたが、8月19日から22日にかけては四日間連続で散策され、帰京の前日、9月7日には自らのご希望で50分間ほど御用邸内を散策されたといいます (読売新聞8月31日、9月8日夕刊) 。
上に掲げた御製は、おそらくはこの二度目の那須滞在中、ことによると最終日の散策の際に詠まれたものではないでしょうか。確証はもちろんありません。第1回にもご紹介したように、「さやけし」という言葉は、光が冴えて明るいさま、音や声が澄んで響くさま、ものがはっきり明瞭に見えるさまを形容する言葉ですが、大気が澄み渡り、山の稜線が近くに見えるような天気は、夏の盛りよりも、晩夏から初秋にかけて多くなっていきます。9月に入って秋が深まった折の歌だったとしても不思議はありません (写真3――初秋の那須岳。写真は「栃木みちくさ情報」のページからお借りしました) 。
天皇は8月27日に一旦体調を崩され、31日までには回復されましたが、その後も散策は控えておられました。ぐずつき気味の天気に加え、侍医達の忠告があったからでしょう。最終日に自ら希望し、侍医達も敢えて止めずに散策されたのは、ひょっとすると那須での最後の散策になるかもしれない、という思いがあったのかもしれません。もしそうだとするならば、この歌はぐっと重みを増して響いてきます。慣れ親しんだ那須の高原と、最後の別れになるかもしれないその日、空は見事に晴れ渡り、振り仰いで見ると、那須の峰々は、澄んだ秋の空気の中、手の届きそうな近さに見えている。そう読んでみるとこの御製は、昭和天皇の山の歌の掉尾を飾るにふさわしい絶唱にも見えてきます。私も今度那須を訪れる機会があれば、麓の高原から那須連峰をとくと眺めてみたいものだと思っています。
(残雪の那須連峰。写真は「夢実現助っ人」さんのブログからお借りしました)
http://blogs.yahoo.co.jp/yumeproj8864/GALLERY/show_image_v2.html?id=http%3A%2F%2Fimg2.blogs.yahoo.co.jp%2Fybi%2F1%2Fd4%2Fac%2Fyumeproj8864%2Ffolder%2F1195839%2Fimg_1195839_59642729_0%3F1274535662
5回にわたって書き継いできた「昭和天皇の山の歌」、長文にもかかわらずお付き合いいただきありがとうございました。
日本の火山がas,us,esの共通音を持つのはとても興味深いですね。
恐山にある大きな湖は宇曾利山湖。小樽には忍路（おしょろ）という地名があり、大きな窪地を意味するアイヌ語だそうですね。
昭和天皇は敗戦の年40歳そこそこだったのか・・・。（今の僕より年下じゃん！）と気づいてややショックです。しかしもっと昔の戦国武将なんかは更に年下なんですよね。
全体に、昭和天皇の山の歌は「ぜんぜん凝ってない」というのが印象でした。しかし多分そこに大きな意味があるのかもしれませんね。
Yoneyamaさん、毎回コメントをいただきありがとうございます！
恐山、宇曽利湖については阿蘇、那須などとはまた別系統ということになりそうですね。また有珠山についても、「火の山」とは関係のない由来が定説のようですね。地名の語源は面白いけれども、なかなか難しいものですね。
私も昭和天皇の歌を今回読んでみて、Yoneyamaさんと全く同じ感想を持ちました。生涯に一万首といえば、87年間作り続けても、三日に一首は作らなければできませんし、短歌に賭けていたわけでもない天皇が作られた歌ですから、日記のように淡々とした歌が多くなるのは当然かもしれません。ただ、素直な分だけ親しみやすい歌が多く、昭和天皇の一面を垣間見られたような気がしています。私の気に入ったのは富士川鉄橋の歌、上毛三山？の歌、そして最後の那須岳の歌でした。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
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