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3月16日の読売新聞朝刊「四季」欄に、京極為兼という鎌倉時代の歌人の歌が載っていました。まだヤマレコでは取り上げられていないようでしたので紹介させていただきます。
沈み果つる 入日のきはに あらはれぬ 霞める山の なほ奥の峰
という歌です。多少の意訳を加えて現代語に直すと、
夕日が沈み切る丁度その時、(昼間は遠くに)霞んでいた山の(姿もはっきりと見え、)さらにその奥の峰が見えていた
という内容でしょう。「きは」(際)はここでは時間の意味で解釈しましたが、夕日が沈み切った、丁度沈んだ山のあたりに、と空間の意味で解釈することもできるかもしれません。
早朝や夕暮れ時、遠くの山がかえってはっきり見えてくることは山を見ることが好きな人なら誰でも知っていることです。古の歌人たちも、ただ富士のように目立った山に注目するだけでなく、稜線の向こうの山に目を凝らしていたのだ、と思うと、はるか昔に同好の士を見つけたようで、嬉しくなってしまいます。
俳人の長谷川櫂氏は、この歌に「一首の歌が描くのは実際の風景のようだが、世の人に見えぬものを見ている精神の風景でもあるのだろう」との解説をつけておられます。長谷川氏はこの歌が作られた背景についての知識を踏まえて言っておられることかもしれませんが、私はこの歌は単なる叙景の歌として受け取ってもいいのではないかと思います。ただし、その根拠は山を見ることが好きな人間の偏見に過ぎません。
都会に住んでいて、山の見えない生活をしている人も多いし、そうでなくても、夕日が沈む一瞬、遠くの山の稜線に目を凝らす人は少ないでしょう。そういう意味では、山に落ちる夕日に目を凝らしていること自体、「世の人に見えぬものを見る」精神のありかたを象徴しているのかもしれない…などと考えるのは山岳展望マニアの思い上がりでしょう。

たんのさんおひさしぶりです。空が澄んだり霞んだりの激しい季節です。甲府で澄むと、笊ヶ岳の向こうのほうがスッキリ見えて興奮します。晴れた日の日が沈む時間だけは遠くが見える場所に居たいものですね。
Yoneyamaさんご無沙汰しました。コメントありがとうございます!地図で大体わかってはいても、視点が変わればまた見え方も変わり、思ってもみない山が見えたりしてびっくりすることがありますよね。私はこの歌を見て、埼玉の実家から、榛名山の上に岩菅山が見得たのを思い出しました。
こんにちは。
山の歌と聞いてふと思い出しました。
雪つもるかひのしらねをよそに見てはるかに越ゆるさやの中山 大江茂重 新千載集
室町時代の歌人も真っ白な白峰三山を見て感動していたんだなぁと。
それを思ってじぶんも感動。
白峰三山といえば・・
遠方からやってきて甲府に降り立ち、真っ白な白峰三山を眺めて感動!
「これからあんなに綺麗な山に登るのか〜」
↓
白峰三山に登り、真っ白な稜線から甲府を見下ろして感動!!
「あの町から見上げた稜線に立っているのか〜」
↓
下山して甲府に戻り、真っ白な白峰三山を振り返って感動!!!
「あの真っ白な頂に立っていたのか・・・感動!」
一度の山行で3度感動できる山。
あ〜あ、かひのしらねに登りに行きたいな。
同じく山岳展望マニアの独り言でした。失礼します。
kobetakaさん、初めまして。
コメントをいただきありがとうございました。返信が遅くなり失礼しました。
新千載集の大江茂重の歌、知りませんでしたが、室町時代にもそんな歌があったんですね。
登るだけでなく遠くから見て楽しみ、登った時には山を見上げた下界の町を探す、というのは山岳展望マニアの特権ですが、これに時間軸が加わるとさらに楽しみが増えますね。本当にいろいろな楽しみ方ができるものだと思います。
ちょうど今日、出張で千葉の自宅から常磐線で東京に出て、新幹線で大阪に来たのですが、よく晴れていて、常磐線が江戸川を渡る鉄橋の上から女峰・男体・奥白根・錫ヶ岳、皇海山あたりが見え、新幹線の多摩川鉄橋の上からは北岳と間ノ岳が、富士川鉄橋からは雲の上の富士山が、静岡近辺からは大無間山やその奥の山々が、名古屋付近の平野からは御嶽山や乗鞍岳、さらには加賀の白山、それに能郷白山が見えて幸せな気分になりました。そうしょっちゅう新幹線に乗るわけではないのに、山岳展望日和でラッキーでした。
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